特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『原発を止める人々』

まず始めに。先週WIN8.1に更新したら、はてなの文字装飾ができなくなりましたが、問い合わせたらWIN8.1に付属するIE11でそういう現象が起きるそうです。バグなので治すそうですが、それまでは違うブラウザーChromeFireFoxで更新すれば大丈夫とのこと。お知らせまで。


さて、この前 イスラム教徒の友人にこう言われた。
『東アジアの指導者、習近平金正日、パク・クネ、安倍晋三、方向性は皆同じじゃないか』。
確かに国民の権利を制限して、自分たちの権力・利権を守ることに躍起になっている点では4人とも似たようなもんだ。もしかしたら東アジアっていう地域は未だに民主的なことを尊重しない野蛮な体質なのだろうか。4国に共通するのは1500年前の律令体制だけど、それが原因なんだろうか。


小熊英二氏の『原発を止める人々
10月31日の朝日朝刊で、同氏が述べていた『世論の反対のおかげで、現実に日本の原発は止まっている』という指摘はなるほどと思った。その続きを読みたくて。

内容は、最初は金曜抗議を行っている反原連の面々の短い座談会、次に全国で抗議活動を行っている50人の手記、更に小熊英二の約100ページの論考、最後に311以降行われたデモなど反対運動の記録、という構成。こういうものはともすれば自家撞着的な身内だけの自画自賛、マスタベーションになりがちなのだが、この本はあまりそういう感じじゃなく、比較的客観的な視点がキープされている。


小熊の論考ではまず最初に、311以降の原発に対する抗議運動の流れが纏められている。
素人の乱』が呼びかけた高円寺での2011年4月のデモを皮切りに、6月の新宿、8月の日比谷、9月の新宿と数万人単位で抗議の人数が増えていったが、9月の警察の強引な大量逮捕(12人。拘留・取調べだけで起訴はなし)で一旦 流れが止まったこと。そのあと さまざまな団体が反原発のワンイシューで反原連として結びつき、2012年3月から官邸前で抗議が始まったこと。あとはこのブログで書いてきたとおりだ。

ボクは6月の新宿から参加したが、その頃は警察はとにかく敵対的だった。参加者は親子連れも居るし、皆 普通に歩いているだけだったが、ガード下の物陰や人の目が少ないところにさしかかると警察が突然襲い掛かってきた。びっくりした。警官が周りを取り囲んで外から見えないようにして、ボクの目の前で外国人のおじいさんを連行していった。他にも血を流している人も居た。この本によると、311以降 従来のデモとは違う参加者層だったので公安が参加者を無理やり拘留して取調べた、ということらしい。逮捕された人は尋問されたあと、罪に問われるはずもなく数日で釈放された。この本の小熊の論考によると、ある参加者が尋問された際 周りを歩いている人の名前なんか殆ど知らないと答えたら、 デモに参加したのは何らかの組織が中心と思っていた公安は絶句していたそうだ。
●2011年6月の新宿デモ。この警官の数を見てください。威圧的でしょう。

●2011年8月の日比谷デモ。警官が参加者に襲いかかってきた直後。警官が抗議しようとする他の参加者を制止している。

●2011年9月の新宿デモ。警官が参加者に襲い掛かってきた直後。外から見えないように警官が参加者を取り囲んでいるのが判る(左後ろ辺り)。


今 官邸前抗議で警察がこのような暴挙を行わなくなってきた理由がいくつか挙げられる。8月や9月の不当逮捕への反発(カンパや抗議署名)がかなり激しかったこと、安全な活動ができるよう反原連の人たちが警察と粘り強く交渉をしてきたこと、殆どの抗議の参加者が警察に隙を与えないよう自制的に行動していること。また警察にも、抗議に参加している人たちが過激派でも何でもなく、ごく普通の人たちが集まっているのがわかってきたこと、さらに警察の中にも原発に反対している人が居る、というのもあるという。そもそも永田町の真ん中で、警察が記者クラブや野党議員の目の前で好き勝手 違法行為をやるわけにはいかないというのが前提としてあるようだが(笑)。


小熊氏は抗議活動の参加者を分析している。反原連を構成している人は30代、40代が多いという。街頭に参加している人の顔ぶれを見ると年配の人が多いのかと思っていたので、それは意外だった。要するに集まっているのは60年代、70年代の過去の運動とは全く違う顔ぶれらしい。職業もかっての運動は公務員や労組員、教員などが多かったが、今は自営業者や音楽・アート系の人が多いという。要は近年 公的セクターが縮小したり、非正規化など環境が変化しているのが反映されている。過去 運動をやったことがなくても、普段から自分で企画などをやっている人、自律的に活動しやすい人間が参加している例が多いそうだ。


抗議に行ってもボクは周りがどんな人なのか全く話したこともなかったので大変興味深かった。特に反原連に加わっている外資系企業のマーケティング本部長という人が『企業の部門長の立場としても、これほど自律的に動く人たちは見たことがない』と言ってたのが印象に残った。参加者の行動を見ていても、確かにそれは言えている。抗議の列に加わってなくても、人から外れたところに座って、ただプラカードを掲げている中年のご夫婦もいるし、道端で勝手にお茶やお菓子を出している女性も居るし、一人でビラを配っている身障者の人も居る。皆 思い思いの行動をしているが、共通しているのは反原発の意志がはっきりしているのと、他人に迷惑をかけない自律的な行動をしていることだ。ボクは官邸前でゴミを散らかしている人間なんか見たことがない。


                                                     
冒頭に挙げた小熊英二氏の指摘のように、現実に今 日本の原発はほぼ止まっている。脱原発を宣言したドイツなどでもまだ原発は動いているのに、だ。先の選挙で自民党に投票した者の中でも原発に反対している層は7割を占めるという。多数決がいいって話ではないが、原発に関する民意は明確だ。確かに今は野党は壊滅状態だが、現在の動きの中から代替政党が育ってくる可能性もあるだろう。どうせ原発をやめるのには廃炉も含めて長い長い時間がかかるのだ。

本の中で小熊は日本における市民運動の未経験さゆえに期待が大きすぎることを指摘した後、こんなことを書いている。
首相が何の下準備もなく「明日から原発は全部廃炉にします。」と宣言するとか、にわか作りの「脱原発政党」が一気に多数派になるといったマンガのようなことは現実には簡単に起こらない。かといって実現したことが小さかったわけではない。
そして締めくくりに、こう言っている。
311後の脱原発運動は世界でも類例のない形態を実現させた。それは個々の当事者には見えていなかった多様な動きの連弩の結果であり、大きな民意の実現だった。人々はいまだ、その奇跡を奇跡として自覚するほど自らの達成に慣れていない。そのことがはらむ可能性の深さに、彼らはまだ気づいていない

                                       
確かにそうかもしれない。ボクも一時期 官邸前で抗議を続けることに意味があるのかと考えたこともあったけど、最近は結構吹っ切れてきた。政治の真ん中で原発に反対し続けている人間がいるということは非常に意味があるということが良くわかってきたからだ。誰かが反対し続けているということは官邸前へ来る人たちにとっても、なかなか来ることができない地方の人たちにとっても、そして自分にとっても意味があるのだ。今は国会と民意がずれているだけだ。だったら、まず自分が意思表示をして、そのずれを正していく努力が必要だと思う。