楽しかった夏休みも終わってしまった。今日からは年末の休みを希望に、毎日我慢して過ごすことにします(泣)。
それにしても、松江市の教育委員会が図書館でマンガ『はだしのゲン』の閲覧を制限させたというニュースには呆れかえった。「はだしのゲン」を閲覧制限 松江市の小中学校 :日本経済新聞
きっかけは一部のネトウヨからの働きかけという話もあるが、秦の始皇帝の焚書坑儒じゃあるまいし、言論の自由を教育委員会が制限してどうするんだよ。確かにあの絵はどぎついところもあるが、それだったらTVのほうがよっぽどどぎついし有害だろう。たかがマンガの賛否なんか子供の判断に任せればいい。そうやって人間は判断力を養っていくのだ。だいたい日本には人材しか資源がないのに、よってたかってバカな大人が潰しているようにしか見えない。松江と言う街は宍道湖といい、お城といい、街並みといい、県立美術館と言い、文化と自然の調和がとれた、すごく美しくて良いところだが、こんなバカなことばっかりやってると、まともな子供たちは街を出ていくことばかり考えるようになり、松江の町は一段と寂れていくだろう。 例え原発事故が起きなくても20年後の松江はゴーストタウンかな(笑)。偉そうに言うわけじゃないが、松江市民の皆さんは自分の街の教育がそんなので良いのか、よ〜く考えたほうがいいんではないだろうか(笑)。
さて、夏休み読書の第4弾は『アベノミクスは何をもたらすか』。
- 作者: 高橋伸彰,水野和夫
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2013/06/28
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (2件) を見る
この本はアベノミクス、そしてそれが失敗した後(笑)どうなっていくか、長期的な視点で考えたもの。
水野氏はアベノミクスについてこう評価している。
『安倍政権は、「富者と銀行には国家社会主義、中間層と貧者には新自由主義で臨む」だった小泉改革の後継者。アベノミクスがもたらすものは小泉改革がうまく行かなかったことが、そのまま続いていることを天下にさらすだけ』。
水野氏は、歴史家フェルナン・ブローデルなどの考え方を引用しながら、歴史的に見て現代の資本主義がもう成長の限界に近付きつつあるという考え方に立っている。具体的には新興国の力の強まり、資源価格の値上がり、現物経済と金融との乖離などで、経済の成長余地がどんどん狭まっており、慢性的にデフレとバブルが繰り返すようになる。だから今後は低成長を前提とした経済システムを作っていかなければいけないとする。
投機マネーが若干動いた『花火大会』に過ぎないアベノミクスは日本経済の問題点(需要の減少、格差の拡大、財政収支の悪化)を一層拡大させるだけで、そんなことより雇用を分かち合うワークシェアや、金融取引や金融資産への課税、貧困層への再分配の強化、価格競争や為替に頼らないものづくりを目指すべきだとしている。
対談ということもあって議論は荒いところもあったし、高橋氏のやや強引な論理と水野氏の慎重な論理がかみ合ってなかったところもあったが、これから、どういう方向へ世の中が動いていくかについて思考をまた一歩先へ進めた本だった。勉強になりました。
次の日は最近売れっ子の古市憲寿の『誰も戦争を教えてくれなかった』
先日の『永久敗戦論』は10年くらい前に話題になった加藤典洋の著作『敗戦後論』を比較的積極的に評価していたが、古市氏のこの本はその加藤典洋が帯に推薦文を書いている。3冊とも「戦後」が終わったあと、どうやって生きていくかについて考えた本だ。ちなみに『敗戦後論』はメソメソした感傷に理屈が押し流されたようでボクはあんまり好きな本ではない。
- 作者: 古市憲寿
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/08/07
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (28件) を見る
以下、ネタばれします(笑)。
この本は著者が広島、パールハーバー、中国、韓国、アウシュビッツ、沖縄、世界各地にある戦争博物館を回って、戦争と現在の世の中のあり方を考えるというもの。
広島以外はボクはまったく行ったことがないが、前半は漫遊記みたいな感じで気楽に読める。関ヶ原の戦争博物館?まで触れているのは完全にウケを狙ってるし、脚注でやたらとギャグを飛ばしたがる古市文体に多少イライラしたけど(笑)。
彼は『他国が国営の戦争博物館を結構作っているのに対して、日本は国営のものはない』(公営はあるが)、と指摘する。展示内容も韓国の博物館は『韓国は日本の植民地支配の被害者だ』、中国は『日本軍国主義を打倒し、そのあとは日中友好を図る寛大な中国』ということを効果的にアピールしているし、アメリカの博物館は勝者の、ドイツの博物館は敗戦国という役割を積極的に引き受けているのに対し、日本は戦争に対する歴史観そのものをうやむやに している、と言うのだ。だが、それについて著者は価値判断はしない。そこから一歩進んで、積極的な意味を見出そうとする。戦争を知らないのが自分たちの世代のリアリティであると。
それについて論考する最終章はちょっと分量は薄いが、この本の核心だ。一応(笑)社会学者である著者はまず、戦争に関する知識は年齢層別によって大きな差はないことを指摘する。さらに博物館や歴史教育があろうとなかろうと、残念ながら戦争の記憶は薄れていっている。だから博物館のようなハコモノに過度な期待を持つこと自体 右派も左派もおかしい、という。特に現在は無人機やテロ、軍隊の民営化(ex.イラク戦争)で戦争の形が従来とは大幅に変わっており、徴兵制や領土への侵略など以前のような国家総力戦という形で将来の戦争が行われると思うこと自体 現実への想像力を欠いている、とする。将来の戦争の形は従来と大幅に変わるだろう、というのは、とても鋭い指摘だと思った。
著者は、現在の日本人のほとんどは戦争について知らない平和ボケ、であり、むしろ戦争を知らないという体験を肯定することから始めなければならないのではないか、とする。
冒頭に触れた『永久敗戦論』が積極的に敗戦の立場を引き受けることによって現状を考え直そうという立場に立つのに対して、この本は積極的に『平和ボケ』を引き受けることによって現状を考え直そう、というのだ。
上野千鶴子の著作に『当事者主権』という良著があるが、上野の教え子の古市は自分がある種の当事者であることを引き受けることで世の中に対峙しようとしている。同じ上野の教え子である開沼博のように指摘するだけの傍観者と思われがちなポーズはとらない(笑)。
- 作者: 中西正司,上野千鶴子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2003/10/22
- メディア: 新書
- 購入: 3人 クリック: 83回
- この商品を含むブログ (81件) を見る
過去の幸福論もピースボート論もそうだったが、いつもながらの著者の地に足がついた『自分なりのリアル』に立脚しようとする議論にはボクは共感する。そこには誰かの借り物ではない『ガチさ』を感じるからだ。『自分』ではなく『自分たちの世代』を強調するマーケティング臭さはあるけど、それくらいは許してやる(笑)。
しかし、ここで疑問も生じる。平和ボケは確かな今の現実だとしても、そのような当事者意識が現実の変化に対してどれだけの強度を持てるのか、という点だ。大日本帝国だって、ナチスだって、北朝鮮だって、アメリカだって、戦争なんてものは『正義の旗を掲げて』始めたのだ。今後も戦争が起きるとしたらマスコミや政府が虚実取り混ぜて、自分たちは正義である、と大宣伝するに決まっている。そんな中で、『平和ボケの当事者意識』がどれだけの強度を持てるだろうか。たとえば今 尖閣で紛争が始まったら、多くの日本人は最初は俄か愛国者になって万歳三唱するだろう。自分の頭の上に爆弾が落ちてくるまでは(笑)。
その点は著者自身も自分の論理に万全の自信があるわけでもなさそうだ。本文の終章で著者は、近未来の日本の姿を夢想している。それは、憲法9条を守りつつも自衛隊の無人戦闘機が南西の島々で戦闘しているのを見てみないふりをする近未来の日本人の姿だ。
だが答えらしきものが巻末に用意されている。それが著者と、ももクロちゃん(ももいろクローバーZ)との対談だ。
この対談に出たことで、ももクロちゃんたちは、この本をまともに読んでないに決まっているネトウヨ連中にネット上で『反日』呼ばわりされているらしい(笑)。ちなみに古市はこの本の中で、引き篭もりや非正規労働者ばかりのネトウヨは福祉政策や労働政策上の問題に過ぎない、と喝破している。ネトウヨも怒るのならそっちだろ(笑)。
ももクロちゃんたちは驚くくらいなんにも知らない。太平洋戦争がいつ起きて、どこの国と戦ったのかも知らない。だけど『戦争は嫌だ、みんなが死ぬっていうイメージしかない』という彼女たちが、『韓国には韓国の言い分があるじゃん。それが喧嘩のきっかけになっちゃうんだったら、韓国の言い分も知りたい』(れにちゃん)、『戦争が起きても絶対に偉い人は行かない』(夏菜子ちゃん)、と本質的なことを言っているのを聞くと、そこにはこの子たちなりのリアルさ、ある種の強度があるのを感じざるを得ない。
『うちらなんて難しいことわかんないけど、難しいことばっか考えている人は単純な考えができない。もしかしたらバカな人が必要なのかもしれない』(夏菜子ちゃん)、『まずおバカな党をつくってみればいいんだよ』(あ〜りん)
こうなってくるとボクのかねてからの持論、『犬やパンダを総理大臣に』とあんまり変わらなくなってくる。ボクもこの娘らと同程度だったのか、ガ〜ン(笑)。
だが現実を考えてみる。
今の日本の政治家、例えば安倍が何か言うより、ももクロちゃんやきゃりーぱみゅぱみゅ のほうが海外の人に対する説得力はあるだろう。その現象は『ソフトパワー』や『クールジャパン』(*20年前の『クール・ブリタニア』のパクリ(笑)。ちなみにパリで行われた『クールジャパン』のイベントに出演した、ももクロちゃんたちはクールジャパンという言葉の意味を知らなかった(笑))という言葉で表現できるのかもしれないが、本質はたぶん、この娘たちが何かの物まねではないオリジナルであるから、つまり『ガチ』であるからだろう。
この娘たちを数年前ライブハウスで見たとき、そのライブバンドぶり、ガチぶりに恐れいった記憶があるが、スターになった今でもイベントで原発に言及したり、こんな対談に出たりするガチぶりにある意味感心する。
『戦えって言われたら戦いますか? 』と聞かれて、『戦うわけないじゃん』と笑いあう著者とももクロちゃんたちが『ガチ』であることに希望を託したい、とボクは思ったのだ。
と、脱線気味なことまで考えさせられる、なかなか挑発的な、面白い本でした(笑)。ちなみにボクは『あ〜りん推し』です(笑)。