特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

映画『スタンリーのお弁当箱』

これだけ暑いと家にいても、さすがにクーラーをつけてしまう。再稼働だよ(笑)。
この週末は3連休で幸せでした(笑)。いつも思うのだが、休みが過ぎるのはどうしてこんなに早いんだろうか。早く定年にならないかなあ(笑)。

                                               
先週読んでた本。『なぜ少数派に政治が動かされるのか

著者の平智之氏は大飯原発の再稼働に抗議して民主党を抜けた元衆議院議員。今回の選挙ではみんなの党比例代表で立候補している。
著者によると、原発を推進するメーカー、電気事業者、役人、学者など、家族も含めると原子力村の人口は家族も含めて約70万人。国民の大多数は原発を積極的に推進しようとは考えていないはずなのに、全体の人口からすると0.6%に過ぎない少数派が世の中を牛耳っている。経済的にも不効率な原発がなぜ維持されているのだろうか、という本。

このことはかねがね、ボクも疑問だった。処理費用やリスク対処費用を考えたら原発のほうが不経済だってことは誰でもわかる(強いて言えば、もう作っちゃったものを使いたい、ということだけだ)。原発村の連中なんてカネの亡者のくせに、どうしてカネの計算すらできないのか。

著者によると、『世の中の少数派の原発ムラの連中は、非効率だからこそ原発を維持しようとしている』、という。なぜなら、そのほうが関係者一人当たりの利権は大きくなるからだ。それを維持しているのは太平洋戦争中から続いている電力の地域独占体制で脱原発を図るには戦争中から続いている戦時統制経済から脱却しなければならない、とする。
そのためには各議員へのロビー活動が重要だという。結局 議員もすべての問題を理解しているわけではなく、官僚のレクチャーやロビー活動などによる情報提供がなければ判断ができないからだ。原発を唱えている側は20以上ものNPOや団体が乱立していて、原発推進側がまとまっているのに対して大きく差がついている、という。

非効率だからこそ原子力ムラの連中は原発を維持しようとしているというのはなかなかの慧眼、発想の転換で、勉強になった。たとえば 誰がどう考えても破たんしている核燃サイクルだが、維持さえすれば関係者の仕事や補助金は確保される。連中はきっと『再処理がうまく行こうが行くまいがどうでもいい』と考えているのだろう。
この著者は『禁原発法』という議員立法案も作って発表している。
●立ち読みした限りではマトモな本でした。

禁原発と成長戦略 禁原発の原理から禁原発推進法まで

禁原発と成長戦略 禁原発の原理から禁原発推進法まで

ただ 反対の声を挙げるだけでなく、現実的にどうやって原発から脱却していくか、具体的な手段を考えることは大事だと思う。実際 原発をやめるためには電力会社の地域独占体制を潰すことが早道だ とボクも思うし。

ただ 今回読んだ『少数派』の後半部はすご〜くクダラナイ。少数派っていう物言いがボクは嫌いなのは置いておいたとしても、後半は金持ちの税金を下げろとか相続税を下げろとかいう話だったので、完全スルー。ばかばかしい。この20年アメリカでも日本でも経済成長しても格差は広がる一方だった、スティグリッツが言うようにトリクルダウンなんて全然ありえなかった、ということが全然わかってない。前半は感心しながら読んでいたので、後半はがっかりした。



個人的には、なるべくなら 美しいもの、かわいいものだけを見ていたい、と思う。ボクは単純にかわいい犬や動物、子供が出てくる映画って大好きだ。今年前半のクマちゃん下ネタ映画『TED』とか、くまちゃんバンドが客席へダイブする『カントリーベアー』とかそういう映画大好き。昔の『ベートーベン』(犬の映画)だって、『べイブ』(仔豚ちゃんの映画)だって大好きだ。実際は映画を作る側はわかってないやつばかり、お涙ちょうだいや説教臭い作品ばかり作りやがって、純粋にかわいさだけで勝負している作品がほとんどないのは嘆かわしい。かわいければ、それでいいじゃん、本当にそう思う。

銀座でインド映画『スタンリーのお弁当箱

舞台はインドのムンバイ(たぶん)の小学校。いつもクラスのみんなを笑わせている少年、スタンリーは、家庭の事情でお弁当を持ってくることができない。昼休みになると水をがぶ飲みしたり、校庭や街を一人でぶらついて過ごしている。それに気が付いたクラスのみんなはお弁当を少しずつ分け与えるが、それを見つけた意地悪な先生から『お弁当を持ってこれないやつは学校に来る資格がない』と罵られ、彼は学校に来なくなってしまった。

脚本を作らず、インドの学校でワークショップを行いながら1年半かけて撮影したというドキュメンタリーのようなドラマ。勉強の邪魔はしてないとか、ボランティアの学生や家族の協力がどうの、とかの表示が延々5分くらい続いて映画の始まり。
●お弁当を目にした子供たち。真中が主役のスタンリー役の子

みんな素人の、子供たちの笑顔がはじける様で、とにかくかわいらしい。デブの子も痩せの子も、家が金持ちという設定の子も貧乏な家庭という設定の子も、み〜んな表情が生き生きとしている。監督が自ら演じる敵役の先生は一人いるけれど、基本的に悪い奴はでてこない、だから作品全体にのほほんとした明るい雰囲気が漂っている。あまりの楽観性に最初は違和感を覚えるくらいだったが、ずっと見ていると、それが画面に映るインドの強い陽の光とすごくマッチしている。インド映画お約束のミュージカルシーンはないけれど、要所要所で挿入歌でお話を進めていく構造は一緒。こういうところも悪くない。
あと ボクがインド料理好きなせいもあるが、画面に出てくるお弁当がおいしそうなこと。全部カレーなんだけど、おくらに、豆に、ホウレンソウに、チーズに全部おいしそう。ただ肉系のおかずはほとんどなかった。やっぱり一般ではまだ、なかなか口にできないんだろうなあ。
●本当の子供の笑顔!

●先生も美人!(笑)

                                 
最後の最後で、スタンリーがお弁当を持ってくることができなかった理由の種明かしがされて、へらへら笑っていたボクは愕然とさせられる。不条理な現実に対してボクの中で怒りが湧きおこるが、主役の男の子の無邪気な笑顔は最後まで失われることはない。過酷な環境の中でも彼が淡々と、だけど、おぼろげな希望を捨てずに生きていく姿が描かれ、ボクの薄っぺらな怒りは押し流されていく。そのあと インドの児童労働者数は1200万人、家業も含むと5000万人、という文字がエンドロールに出てきて、映画は終わる。

                                  
                                         
う〜ん、お気楽な映画を見に行ったつもりだったが、最後に大逆転。先月見た『きっと、うまく行く』もそうだったが、インド映画恐るべし。もちろん、帰りはインド料理屋に寄って帰りました(笑)。