特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

都知事選挙と映画『ソウル・ガールズ』

昨日の東京の大雪も9割がた溶けた。もちろん、今回の都知事選の結果は残念だった。舛添211万票、宇都宮98万票、細川96万票、田母神61万票と脱原発候補の得票の2倍を舛添が獲得している。さすが、石原、猪瀬を輩出した東京都民(笑)。脱原発というシングル・イシューが否定されたとかマスコミは言ってるが、そこはどうだろうか。舛添、宇都宮、細川の掲げた政策に原発以外は大きな違いはなかったのではないか。そもそも都の雇用や景気対策なんかたいしたことができるわけでもないし、待機児童ゼロも、防災対策の強化も候補者全員が言っていたことだ。違いはニュアンスの強弱、それに政策の詳細さ、くらいではなかったか(それでも宇都宮氏が政策で性的マイノリティ差別のことを触れたのはボクは高く評価している)http://www.nikkeibp.co.jp/article/matome/20140209/383122/?ST=business&P=3
唯一 候補者の経済特区に対する態度の違いは赤旗が指摘してたし、それ以降 一部ネット上で鬼の首を取ったように言っている人もいたが、そもそも議論している人たちは特区の仕組みやどんなものがあるかすら理解しているとは思えなかった(笑)。この件は、政府を追及するより味方の足を引っ張るほうがうまい共産党が意識的にデマを飛ばしたのでは?と思っている。
ボクが今回の選挙で感じたのは以下の3つだ。

1.低投票率
これが最大の問題点。天気ばっかりは仕方がないが、46%じゃなあ。足元が危なかったお年寄り以外、投票行かなかった奴は死ね、といいたい(笑)。以前 マツケンさん鳥取und八尾Tagebuchがコメントしてくださったように、オーストラリアやスイスの一部の州のように投票を義務化しないと日本はいつまでたってもダメかもネ。

                                                
2.やっぱり一本化しないと勝てない、それも保守層に顔が利く候補に。
わずか3万票とは言え、まさか宇都宮が細川を上回るとは思わなかった(笑)。これはボクは予想を外しました。やはり低投票率共産党の組織票が効いたのだろうか。舛添の211万票に対して宇都宮+細川で194万票もあったのは、候補を一本化してマトモな投票率だったら勝てたかもしれない、ということを示している。
だけど宇都宮に一本化していたら良かった、という考え方は残念ながら成り立たない。日経の出口調査によると前回の知事選で猪瀬に投票した人は58%が舛添、17%が細川、13%は田母神に投票したと言う。舛添氏が自公票固め、無党派票は分散 都知事選 :日本経済新聞

細川が新たに取り込んだ猪瀬票を単純に計算すると、440万票(前回の猪瀬の得票)×17%×46/63(投票率の差)で55万票になる。また宇都宮氏の票数は今回は98万票、前回97万票と殆ど変わっていない投票率を考えれば健闘したかもしれないが、彼の支持層は天気がどうだろうと投票へいくだろうから(笑)、彼にはこの得票が限度、ということも言える。

結局 猪瀬に投票するような保守層をある程度取り込んだことが、今回の低投票率の中での宇都宮+細川の194万票に繋がったのだ。名護市の選挙でもわかるとおり、脱原発を現実化するには保守層を取り込んでいかなければならない、ということだろう。

                                             
3.ネトウヨが61万人も居た!
田母神に投票した奴が61万人も居たと言うのはちょっと驚き。また朝日の出口調査では20代では舛添に続いて、田母神に24%も投票しているそうだ。ボクの感覚だと田母神も田母神に投票するような奴も狂人、としか考えられないのだが、案外ボクのほうが、少なくとも今の日本の雰囲気とは、ずれているのかも(笑)。ちなみに年代別に見てみると、舛添はどの年代でも首位だが70代で圧倒的に支持率が高く、宇都宮氏はどの層も満遍なく、細川は40〜60代は支持率が高いが20代、30代はまるでダメ(そういう意味では昔の人だった)、田母神は20代、30代の支持率が高い。http://www.asahi.com/articles/ASG294JLLG29UZPS001.html?iref=com_rnavi_srank
若い人たちがそんなに戦争に行きたいのなら、ボクは止めません。誰にでも自滅する権利はある(笑)。そんな国だったら、ボクはさっさと逃げだすことにします。


                                    
ま、選挙が終わっても自分に出来ることをやっていくのは変わらない。嫌々だけど仕事をして(だけど仕事の中にラディカルな方向を忍び込ませつつ)(笑)、デモへ行って、映画を見て、ご飯を作る。今年は山口県も石川県も知事選があるようだが、また!脱原発候補は共産と無所属に分裂しているようだ。やっぱり自民党の別動隊としての共産党の問題はしっかり考えていかないといけないと思う。それにしても、どんな党でも組合でも宗教団体でも、組織の方針通りに投票する奴の発想って全然理解できないんだけどなあ。
                                                               
いずれにしても希望はある。大有りだ。今回の低投票率のことを考えれば、世論調査どおり、世の中には原発をやめたいと願っている人のほうが多いのだ。あとは、投票する側がもう少し賢くなること、民主主義というものにもう少し成熟することだろう。組織の言う通りではなく自分で考える、不思議に思ったことは鵜呑みにせず自分の眼で確認するそして諦めない。そういう人たちが増えていけば、世の中は変わっていくのではないか。
                                                                      
ボクとしては今回の選挙で一番面白かったのは、舛添や田母神の選挙カーにへばりついて褒め殺し街宣をやってたアナキスト外山恒一のキャッチフレーズ、『こんな国、もう滅ぼしましょう、原発で』【都知事選】外山恒一氏が場外参戦 脱原発求め街宣車で「ほめごろし」 | HuffPost Japan ちなみに彼の街宣はこういう感じだったそうだ(笑)。生で見たかったなあ。
『××(地名)の皆様、原発推進派、舛添要一、危険を、スリルを愛する男、原発推進派の極悪人、舛添要一を都民の皆様のお力添えで、大阪市長にでもいたしましょう!


                                       
さてさて、口直しに爽やかな映画の話でもいたしましょう!(笑)。渋谷で映画『ソウル・ガールズ

舞台は1969年のオーストラリア。主人公はアボリジニの居住地に住む少女たち。子どものときから歌がうまかった彼女たちは、カントリーソングを歌って職を得ようとするが、アボリジニを差別する白人たちに妨げられてうまく行かない。落選したパブで飲んだくれの白人オヤジと知り合った彼女たちは、彼からソウルミュージックを教えられる。『カントリーなんかやめろ。ソウルこそ、有色人種の気持ちが篭った音楽だ』というのだ。彼女たちはソウルを猛特訓、オーディションを受けて歌手の職を得る。だが、それはベトナム戦争の前線で兵士を慰問するものだった。彼らは見ず知らずの戦場にいきなり放り込まれる---
                                                                                                                                   
そんなお話。実話だそうだ。
映画の冒頭に触れられているが、オーストラリアでは1967年まで原住民=アボリジニは人間ではなく『動植物』として扱われていたそうだ!それだけでなく、オーストラリアという国がアボリジニを減らすために、アボリジニの子どもたちを拉致して親元から離れた居留地に押し込めたり、色が白い子は白人の家庭の養子として育てるような、北朝鮮もびっくりの極悪非道なことが行われていた。オーストラリアの白豪主義とはよくいったものだ。まあ、それでもオーストラリア政府は労働党政権時代にアボリジニに正式謝罪したから、どこかの国よりはマシかもしれないが。
●彼女たちのグループ名は『サファイアズ』(映画の原題)

                                  
主人公の女の子たちの歌がうまい。前半部は特にアカペラのシーンが多かったが、その部分が非常に引き立つ。歌がうまいから、映画を見ていて単純に楽しい。ドラマとしては少女たちが適度に仲が悪いところも楽しかった。目立ちたいとか、男とか、原因はさまざまだけど、素直な感情をぶつけ合うところは、普段は感情を凍りつかせているボクにはうらやましかった。そういう意味では爽やかな青春映画でもある。
居留地のキャンプに押し込められていた少女たちは外の世界の若い男性の中に放り込まれて、新鮮な喜びを感じる。それもいいなあ、と思う。

                                             
貧しいアボリジニ居留地しか知らない少女たちにとって、猥雑なサイゴンの町、ショーが行われる店やステージ、それに戦場は驚くべきものだった。新聞もろくすぽ読んだこともなかった少女たちはサイゴンでTVを見て米軍兵士と触れ合うことで、今アメリカで起こっていること、公民権運動、キング牧師の演説に触れる。そして理解するようになる。次第に彼女たちは有色人種として差別されてきたアボリジニの少女たちは次第に自分たちの立場をアメリカの黒人たちに置き換えて歌うようになる。これは他人事ではない。原発のこと、格差のこと、政治家が国民を見殺しにする国に暮らしていること、他国に文字通り従属する国に暮らしていること。アボリジニの少女たちとボクたちの距離はそんなに遠くない。

この映画ではアメリカの黒人たちが解放されていく時代がアボリジニの少女たちにとって、どういう意味があったのかが丁寧に描かれている。この映画の独自性、重みはここにあるし、日本に暮らすボクにとっても意味がある点でもある。この映画は少女たちを描いているだけでなく、普遍的な時代の変化を描いているのだ。キング牧師が暗殺された晩の彼女たちのステージのシーンは文字通り心を打つ。そして、彼女たちにできたのなら、ボクたちにもできると思わせる。

●命がけの戦場でも恋が芽生える


最後に映画のモデルになった少女たちの現在の写真が映される。もう皆、おばあさんだ(笑)。戦地から帰った彼女たちは自分たちなりの人生を切り開き、今も様々な形でアボリジニの文化や権利の拡大のために尽くす人生を送っている。音楽映画としても楽しいし、とてもとても、さわやかな映画。素晴らしいです。