特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『知的な体力』とブルース・スプリングスティーンの新譜『ハイ・ホープ』:今週の官邸前抗議は雪で取り止め(笑)

今日の官邸前抗議は雪で取り止めになってしまった。朝は行く気満々で、ご飯をセットして、プラカードをかばんに入れて家を出たけど、今日の昼間は時折、前が見えなくなるくらい雪が降っていたからしょうがないかも。金曜日、たまに早く帰れて、実はちょっと嬉しかった(笑)。そのかわりに、ゆっくり物事を考えてみよう。
●東京は夜の7時


    
                                                                                                                         
                            
さて、覚えている人も多いだろうけど、イラク戦争のとき現地で人質になった若者3人が日本中からバッシングに逢うということがあった。元来国民の生命を守るのが仕事のはずの政治家たちが無名の彼女たちを非難したし、外務省は帰国の飛行機代金を彼女たちに請求した。彼女たちの元へ日本中から匿名の嫌がらせが殺到し、アメリカのパウエル国防長官ですら『世の中には彼らのように善意で行動する人たちが必要なのだ』とかばったほどだ。あの卑怯な匿名のバッシングの嵐を見たときほど、自分が日本人であることを恥ずかしく思ったことはない。憤りのあまり、ボクは彼女たちの飛行機代のカンパも送ったような記憶がある。
●人質事件を題材にした映画『バッシング』(小林政弘監督)。カンヌ映画祭にも招聘された秀作です。

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今週はそれと同じ風景を見かけた。先日の都知事選で候補の一本化を唱えていた湯川れい子氏に非難のツイートが一杯寄せられていたのだ。こんな感じだ。『細川落ちて、ざまあみろ、有名人が偉そうにするんじゃね〜よ』とか『苦労知らずの有名人に、苦労している俺たち一般人の気持ちがわかるか』とか(笑)。さすがに湯川氏も『戦争で食べものがなくて苦労した私たちが、あんたたちにそんなことを言われる筋合いはない』とブチキレていた(笑)。そりゃあ、そうだよな。そういうツイートをしてたのは宇都宮氏を熱狂的に支持してた連中の一部のようだったが、田母神に入れた奴もいるだろうし、面白がって有名人を叩いている奴もいるんだろう。たぶん、そういうバカツイートが殺到したのは湯川氏だけじゃないだろう。
                                                
ネットだけに限った話ではない。この前 国会前で細川佳代子氏がスピーチに立っていたとき口汚く野次ってたバカもいたし(共産党の支持者だったらしい)、文字通り目を覆いたくなるような光景が一部で存在している。一部とは言え、原発に反対してた人たちが何故か今、罵り合ってる。
                                                             
結局 こういう時こそ人間の本性がわかる。人間の質が試される。共産党志位和夫や宇都宮は脱原発の候補が勝てなかったことより、自分が細川よりわずかばかり票が多かったことを喜んでいた。彼らだけでなく、今醜く他人を罵っている連中は、普段は脱原発とか言っていても所詮はその程度の人間だったということだ(笑)。世代の問題はあるかもしれないが、いい年こいてもどうしようもないアホもいるから、やはり個人の知性と品性の問題だろう。

このような現象についてkeniti3545さんが鋭い指摘をされていた。
一つ思うのですが今回の選挙。危機感を煽る(訴える)層が「有名・著名、な文化人達に片寄った」発起、行動に見て取られたきらいがありませんでしたかね。見方受け取り方によっては、一般人への「威圧・強制」的な印象を与えてしまったのではないでしょうか
●この日のコメント欄より引用させていただきました。
「keniti3545」since73:2014.2月11日曇り-10℃「東日本大震災」「311フクシマ」1069日 今日の一題「」 - keniti3545の日記

『威圧・強制』的だったかどうかは別として、やはり、ある種の分裂現象はあるのかもしれない。政策や支持候補の違いというより、状況に流される人そうでない人との違い、とでも言ったら良いのだろうか。それを社会学なんかで良く言う、大衆とエリートの違いと言ってしまうとありきたりに過ぎると思う。今のように誰もが情報がアクセスできる時代で大衆とエリートといっても、それほど大きな差はない筈だから。
                                                                                              
炎上などが起こりがちなネット上で、政治家への悪口を言いたい抱題のこのブログに来て下さる方は、幸い常識的な方ばかりだ。ボクはそれを密かに誇りに思っている。だが世の中には原発に反対している人の中ですら、どうしようもない輩がいることは事実だ。先ほど挙げたような中には、原発に反対するのは正義だから多少のことは許される、下手すれば自分が偉くなったと勘違いしているバカ(笑)もいる。
でも、それは他人事ではない。彼ら・彼女らは、生まれ付いてのバカというわけではないだろう。たぶん彼らは右でも左でもいいし、もしかしたら原発の是非もどちらでもいいのだ。おそらく、単にある種の状況やムードに流されているだけなのだろう(きっと全共闘もそういう人が多かったのではないか)。それは特殊な現象ではない。イラク戦争に賛成したアメリカ人が7割いたように、また太平洋戦争に多くの日本人が賛成したように、『流される人』は状況が変われば簡単に原発や戦争に賛成する。そして『流される人』はどこにでもいる。ボクの心の中にもいる。
哲学者のハンナ・アーレントが『悪はごく平凡な人間によって行われる』と言っているように、状況に流されて判断を誤ってしまう可能性はボクも含めて、誰にでもある。だから『流される人』の存在を嘆いていても始まらない。
                                                                 
じゃあ、どうするか
本当に何かを実現しようと思ったら、『流される人』たちとも同じ地平に立つ覚悟を持たなくてはならないと思う。それには『知的な体力』みたいなものが必要だ。それは、異なる意見の相手に言葉を届けようとする強い意志異なる利害の相手と共通公約数を探し出す根気(その点、映画『リンカーン』はとても勉強になった)判らないことは判らないとペンディングする勇気、そして自分で自分の責任を取る誠実さみたいなものだと思う。そしてそれを貫くためには智恵と胆力。知識とか情報量の問題ではない。そのためにはまるで体力を鍛えるように、普段から自分の頭と心を鍛えていなければならないのではないか。
                                                  
今回の選挙とそのあとに起きたことを見て、一人ひとりの中にある『人間の質』が問われているんじゃないか、と思った。現実に原発を止めるのに必要なのは人間の数の多さだけではない。原発を止めるという意思決定を行い、それを『実行する』には原発に反対する人間の『数と質の掛け算』が必要みたいだ。
                                          
きっとこれからも、まるで昭和初期のように、ボクたち一人ひとりが試される、色々なことが降りかかるだろう。あとで騙された〜と後悔するのも、降りかかった大惨事を他人のせいにするのも、ボクは嫌だ。ボク自身、もっと(知的な)体力づくりをしなくちゃと感じる。そう思えたことは今回のどうしようもない知事選(笑)がもたらしてくれた果実、だと思っている。





さて、ちょうどブルース・スプリングスティーンの新譜『ハイ・ホープ』が2年ぶりに出たところだ。アメリカ、イギリス、カナダ、アイルランド、、ドイツ、スイス、イタリア、スペイン、ベルギーなどEU諸国、北欧4カ国、オーストラリアなど世界各国で一位になったし、珍しく日本の洋楽チャートでも1位になった。
●30年前の大ヒットアルバムBorn In The USAの再現ライブDVD付き。失業者のことを歌った歌詞を読んで、改めて今の日本に当てはまると思った。

このCDの解説で、その、湯川れい子氏がこう言っている。
国民の心情を無視し、権力を守り、権力と利権の擁護のために自国の憲法をないがしろにして、どう考えても国民を黙らせようとする国にあっては、(略)音楽で楽しく武装して、諦めないで生きていくしかないのよね
それを読んで昔、レーガンって酷いんだなあ、と思いながらスプリングスティーンのレコードを聞いていた頃を思い出した。だが今や日本もレーガン時代のアメリカと同じような状況になってしまったようだ。
この作品のハイライトは過激で知られるレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンというバンドのトム・モレロがギターを弾いた『ゴースト・オブ・トム・ジョード』のエレキヴァージョン。トム・ジョードとはもちろん、大恐慌を舞台にした小説&映画『怒りの葡萄』の主人公。『繁栄に取り残されたもう一つのアメリ『繁栄からこぼれ落ちたもうひとつのアメリカ』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)で取り上げられた、NAFTAなどに伴う産業構造の転換で生じた現代の失業者、ホームレスたちのことを歌っている。
後半部で斬新な、それでいて耳から離れないギターソロを弾くトム・モレロはハーヴァード大を首席で卒業して上院議員秘書をやってたが、政治に限界を感じて音楽活動を始めた人。どっちがいいのか正直わからないが(笑)、少なくともギターに載せた彼の怒りは世界中 数億人の人に届いている。彼も、時にはブーイングを浴びながらもこういう歌を唄い続けるスプリングスティーンも、『知的な体力』を使って異なる意見を持つ相手に懸命に語りかけようとしているのだと思う。
●後半のギターソロに注目(最初貼ったものはバカ・ソニーが国籍プロテクト入れやがったので貼り直しました。2/15)

  
                                                                     
話を戻すと、ボクはまったく今の状況を悲観していない。ただ、ボクたちはもう少し賢くならなければならない。今はちょっと混乱しているかもしれないが、今回のことはそのための途中のプロセスなのだと思う。負け惜しみじゃなく、一歩前進じゃないだろうか。