特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

新自由主義との戦い方:『クラテッロ・ディ・ジベッロ』と『不寛容な時代』

 いやー今週は寒くなりました。東京は氷点下になりましたから、もう真冬なみです。
 ボクは依然1時間半の徒歩通勤を続けていますので家を出る時はまだ夜明け前、一番寒い時間帯です。それでも15分も歩くと暖かくなってきて、30分も歩けば汗が出てくるくらいですから、平気と言えば平気ですが、何故か肉体的・精神的なダメージを感じる(笑)。

 寒い外に出るだけで身体が強張って緊張するから、なんでしょうね。身体の緊張は風邪につながりますが、このご時世 風邪もおちおち惹いていられません。
 暖かくなってほしいなあ。日が昇っても布団でぬくぬくしたいなー。お正月休み、早く来い。

●昨日の朝6時。三島由紀夫の旧宅あたり。


 コロナの感染は広がる一方ですが、政治家の無能さとモラルハザードにも呆れるばかりです。これだけ無能な政府というのはマスクをしないトランプよりはマシというだけで、先進国随一だと思う。

 菅が王貞治みのもんたなど爺さんを集めて宴会をやったステーキ屋『ひらやま』は、行ったことがある友人に聞くと一人5万円だそうですけど、その金はどこから来ているんでしょうか。

 一方 米軍は東京など感染が酷い一部の地域は立ち入り禁止。バーやレストランでの飲食・飲酒や刺青屋は禁止という通達がでているそうですね。映画館も禁止かー。
●米海軍横須賀基地の指令。東京など黒い地域は立ち入り禁止。神奈川など黄色の地域はバーやレストランなどの立ち入り禁止
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note.com

 やっぱり、ボクは日本人って統治能力はないんじゃないか、と思うんですよねえ。

 感染を防いだ台湾のオードリー・タン氏は手を洗ってマスクすれば感染は防げる、と言っています。そうやってリスクを下げながら自衛するしかない、んでしょう。けれど国民に対する政府の無為無策は太平洋戦争の時も、原発事故の時もそうでした。

●この投稿者が属するデロイトトーマツなんて高いだけで経営コンサルとしては2流、と思いますが、ま、組織論的にも日本政府がオワコンというのは間違いない。

 安倍や菅は論外ですが、政権が野党に変っても政府の国民軽視の体質はそう簡単に変わるとは思えない。組織の風土を変えるのって、誰かが号令すれば明日から変わるってものではない。
 だったらアメリカにでも統治してもらった方がまだマシではないか、そう思うんですよね。


 今日 のニュースによると、飲食業の約3割がコロナが長引けば廃業を検討する、そうです。

第11回「新型コロナウイルスに関するアンケート」調査 : 東京商工リサーチ

 先週のエントリーで書いた、12月いっぱいで閉店が決まった創業40年の青山のイタリアンへ行ってきました。日本人が経営するイタリアンでは3本か5本の指に入るくらい古いところです。

 これは幻の生ハムとか生ハムのロールスロイスとか呼ばれる『クラテッロ ディ ジベッロ』。
 豚の尻の肉だけを膀胱に詰めた生ハムですが、産地認定制度でイタリア北部の湿地帯にある8つの村で作られたものしか『クラテッロ』と名乗れないそうです。イタリア人のブランディングのうまさ(付加価値の取り方)は斜陽国家日本は見習わなくちゃいけないのですが、これはクラテッロの中でもジベッロという村のもので年間6万本しか作られません。

 イタリアの生ハムは年間600万本作られるパルマ産のものが有名ですが、これはそれより塩味がマイルドで脂があまーい。パルマ地域と異なり、ジベッロ村周辺は潮風が届かないから、だそうです。

 ハムなんて切ったものを出すだけじゃないか、と思えますが、店主曰く 事前の準備が大変だそうです。
 生ハムは切り立てじゃないと香りが立ちません。この店では1本丸ごと仕入れていますが、お客さんに出す前には掃除してカビや汚れを落とさなくてはならないそうです。しかもクラテッロは白ワインを熟成庫の床に撒いて熟成させるので、肉塊を白ワインで時間をかけて洗う。この店では、最後の最後までボクの知らない話が出てきます。


 この日は食べている途中で突然 店が真っ暗になりました。店奥のテーブルの女性のところへ、店主が『ハッピー・バースディ』と言いながら、ローソク付きのケーキを持ってきたのです。他のテーブルからは自然に拍手と時節柄控えめなハッピー・バースディの声が挙がります。

 ネット予約も出来ない、GOTOイートなんか端から無視している地味な店構えですが、以前から田中康夫が一人、店の奥で食べていたり、芸能人がお忍びで来ていたり、ビックリするような客層でした。しかし、見ず知らずの者同士でも皆で他人をお祝いするのはいつも変わらない。この店では約40年、そんな光景が続いてきました。


 そういうのって、何でもかんでも金や効率に換算し、自己責任にする新自由主義とはかけ離れた時間です。
 ボクは思うんですが、ご飯を食べるのだって新自由主義との戦いです(笑)。新自由主義と戦う武器は文化しかないからです。その土地特有の産物、手作りのもの、愛情込められて作られたもの、言い換えれば、それらは時間をかけてきて紡がれた物語です。
 このようなお金で買えないものの価値を理解し、楽しみ、大事にする。それが文化、とボクは思っています。

 それにしても、この季節の風物詩、ソースの中までどっさり白トリュフを入れたパスタも食べられなくなるとは、トホホ。



 今週 の15日、火曜日 朝日朝刊、作家の桐野夏生の長編インタビュー『不寛容の時代』には考えさせられるものがありました。


 要旨はこんな感じです。


 今回のコロナ禍でより大きく打撃を受けているのは非正規社員だが、非正規社員の6割が女性である。雇用の非正規化が進んだのは市場原理と自己責任を優先する新自由主義経済のせいだが、今回の女性への打撃も自己責任という言葉で片づけられつつある。
 新自由主義の自己責任というロジックを追求すると、あらゆるクレームを避けるための『正義』にぶち当たる。映画でも小説でも最近『何故 犯罪者をテーマにするのか』と尋ねてくる人間が居るが、人間は元来 右とも左とも言い切れない、不透明な部分を持っている。不透明な存在である人間をテーマにする小説を読むことは、新自由主義が私たちに押し付けてくる『正義』と戦うことではないだろうか。

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 女性に家事・育児を押し付ける日本の女性差別は、女性に低賃金・不安定な雇用を押し付けてきました。正直ボクも今回のコロナ禍はその構造を改めて思い知らされた。ボクは男性ですけど、女性が不幸だったら男だって幸福になれないんですよ。

 その不平等を支えているのが『自己責任』という発想です。桐野氏が言うように最近は『犯罪者をテーマにするのかという疑問を寄せられる』こと自体に驚きました。
 あまりにも幼稚すぎる。一人一人、生まれた国も時代も家庭環境も違うし、自己責任だけでどうにかなるのなら、苦労しません。自己責任で全てがかたずくのなら国なんか要らねーじゃん(笑)。こんな簡単なことがわからないのか。

 今朝 18日の朝日新聞の記事。大統領選と絡めて、犯罪者をテーマにしたスプリングスティーンの82年のCD『ネブラスカ』について言及されていました。

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 言及部です。

 労働者階級の歌を歌い続けてきたスプリングスティーンやビリー・アイリッシュなど多くのリベラルなミュージシャンがバイデンを応援したにもかかわらず、アメリカの分断はそのままで、『リベラルな精神は人々をまとめることが出来なかった』という記事です。
 スプリングスティーンの『ネブラスカ』は全編 白人貧困層の犯罪者をテーマにした弾き語りの作品です。それはトランプの支持層と重なるのではないか、というのです。ボクはトランプの支持者は内省的な『ネブラスカ』なんか聞かないと思いますけどね(笑)。 

ネブラスカ(REMASTER)

ネブラスカ(REMASTER)

 名優ショーン・ペンがこのCDの曲をそのまま『インディアン・ランナー』という映画にしたことでも知られています。これも名画です。

インディアン・ランナー [DVD]

インディアン・ランナー [DVD]

  • 発売日: 2005/09/28
  • メディア: DVD

 ボクは学生時代にこのCDを聞き、結構ショックを受けました。犯罪者も自分も紙一重、自分だってこのCDに出てくるような犯罪者になるかもしれないことが判ったからです。それでなくとも歳をとってくれば、誰だって自分が大して立派じゃないことは判ってきます。大なり小なり間違いだって冒す。犯罪者をまるっきり他人事、と言う発想は子供のもの、と思っていました。

 しかし『犯罪者はまるっきりの他人、自分とは関係ない』という発想の人が増えているらしい。まるで『犯罪者』という人間の属性があるかのようです。人間は環境次第によって変わることが理解できないらしい。いわれなく朝鮮の人を差別するDHCの社長もそうでしょう。

 これを『幼稚』と言っていいのか、『低能』と言っていいのか、『白痴』と言ってよいのか、その全てなのかは判りません。

 『明日は我が身』、自分だっていつ、犯罪者になったり、他人のサポートがなければ生きられなくなるかもしれないことに想像力が及ばないから、他人に『正義』を押し付けるのでしょう。格差の拡大や景気の悪化で生活に余裕がなくなれば、想像力の力は衰えていく

 桐野は『小説を読んで戦え』と言います。想像力を養うことが新自由主義がもたらす『自己責任』や『正義』に抗う武器になるからです。
 ましてコロナ禍で『自己責任』や『正義』が一層強調されるような時代になっています。自粛警察がその典型です。
 そんな異常な状況下で、小説や映画、音楽などの芸術に触れたり、大量生産ではない、本当に美味しいものを食べたりする事は想像力を想像力を拡げ、正気を保つための戦いでもあります。それぞれの人がそれぞれの場所で、きっと戦い方は色々あるのではないでしょうか。
 
●これは区の自民党も賛成しました。世田谷だけ検査しても流出入が多い東京では意味は薄いかもしれませんが、徹底的な検査で抑え込んだ北九州市の例もあるからやらないよりマシでしょう。


 


 ということで、今週も再稼働反対の金曜官邸前抗議は今週もリモートです。