特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『川内原発再稼働反対! 1213 反原発☆渋谷大行進』と秋の映画2題:『マダム・マロリーと魔法のスパイス』と『ミンヨン 倍音の法則』

勿論 選挙は行ってきたけど、結果なんか相手にしないです(笑)。日曜はTVも消して静かな、そして寒い夜だった(笑)。まともな投票先がないんだから、この結果はある意味 当然ともいえます。それでも、史上最低という投票率の酷さで自民と維新が微減、それにジジイ次世代が壊滅ということだから、まだマシだったのかな。ボクは小選挙区では『戦略的投票』で民主党に入れましたけど、苦渋の選択(笑)でしかありません。民主党は上層部もそのままで失政の責任をとらないし、社民党共産党は頑なで自己満足だけ、維新は名前からして落第(笑)、他には野党なんかない(笑)。共産党議席が増えて世の中がマシになると本気で思ってる人なんているんでしょうか(笑)。だけど一人一票の格差を改善しようとしない最高裁のバカ裁判官に×をつけるという重要業務もあるし、棄権するっていう発想自体が信じられません。政治家もバカだが、少なくとも半分の国民は同じくらいバカ!ってことでしょ。
    
                                                                                                                      
今週19日の金曜はくだらない用で官邸前へ行けないこともあって、この週末は渋谷のデモへ行ってきました。『川内原発再稼働反対! 1213 反原発☆渋谷大行進川内原発再稼働反対! 1213 反原発☆渋谷大行進 | 首都圏反原発連合

                                                        
銀座で映画『ストックホルムでワルツを』(面白かった!)を見てから駆け付けた渋谷はホントに人が多かったです。銀座だって人が少ないわけじゃないけど、年末の渋谷はいかにも『雑踏』という感じがします。渋谷と言うのは道玄坂宮益坂、二つの坂に挟まれた文字通り谷状の地形だけど、その狭苦しい谷底に人も車も溢れている感じです。年末の華やかさと言うより、ちょっと殺伐とした感じ。
●抗議風景




                                                                           
途中から抗議の列に入った丸井のところでデモの全体を見回したけど、年末のクソ忙しい中(笑)思ったより参加者は多い感じでした。今日のデモの呼びかけは反原連だけで労組の組織的動員とかは無かったからです。主催者発表3800人。ただ、年配の人が多い(嘆息)。昼間だから、それに若い人が多い渋谷だから、余計にそう感じたのかもしれないけど、やっぱり参加する人が歳をとっている。昔取った杵柄(笑)の人たちばかり、というのはあんまり良いことではありません。原発をやめるというのは未来のためのことだからです。もちろん参加者に若い人がいないわけではないし、ボク自身 今 20〜30歳台だったら、忙しくてデモに行ってる場合じゃないだろうとも思うけれど。


●抗議風景2






●駅前のスクランブル交差点へ向かって。




                             
渋谷とか青山というのはボクが生まれ育った街で、デモで歩くのは何となく気恥ずかしい。もちろん良心に反することをしてるわけじゃない(笑)。銀座とか新宿、霞が関だと全然平気なんだけどな。それでも、やっぱり自分の意志表示だけはしないと我慢がなりません(笑)。これ以上 バカ政治家が図に乗ったらどうなるんだ。元がバカなんだから(笑)。
●この日の写真:ボクらは毎日を風下で暮らしている。

                                                                                         
80年代後半 穏やかな日常生活を送る老夫婦の元に、風に乗って死の灰が飛んでくる核戦争の恐怖を歌ったデビッド・ボウイの『When The Wind Blows』という名曲がありました。結局 本質はそういうことです。一度や二度の選挙がどうなろうと原発の本質は何も変わらない。

                                                                                 
                                   
                                                                                                         
溜まっている映画の感想を少し。まず銀座で映画『マダム・マロリーと秘密のスパイス

舞台はフランスの片田舎。インド移民の一家がミシェランの一つ星レストランを守るマダム・マロリー(ヘレン・ミレン)の高級フレンチレストランの真向かいにギラギラのインド料理店を開いた。それぞれの料理と文化に誇りを持つマダム・マロリーと移民一家の父親は互いに譲らず、いがみ合いを続ける。そんな中で移民一家の次男で料理の天才ハッサン(マニッシュ・ダヤル)とマダムの店でスー・シェフとして働くマルグリット(シャルロット・ルボン)は互いに憎からず思うようになるのだが---



前半はインド人一家とフランス人との摩擦が描かれます。これが非常に面白い。インド人一家の父親はフランスへ来ても必ず値切る描写があります。フランス人はそれをバカにする。日本人の観客もそれを見て失笑する。だがそのあと直ぐ、インド人一家の父親が『私が値切るのはケチなのでもカネがないのでもなく、倹約が美徳だからだ』という説明があります。
●左がインド人家族のお父さん

そこで思わず『なるほど〜』と膝を叩いてしまうような具合で、文化の違いにも理由があるということが判るような丁寧な描写が続きます。
見る前はディズニー資本のお気楽な料理映画と思って舐めてましたが、どうもおかしいと思ったら(笑)、製作はスティーヴン・スピルバーグオプラ・ウィンフリー。言うまでもなくオプラはオバマを大統領に当選させるのに大きな力があった黒人女性司会者・企業家です。人種間や性別の差別に対して発言を続けている人でもあります。この映画にもヘイト・スピーチの描写がありますが、それが前半のお話のキーになっているところはお見事でした。

画面に出てくる料理はちゃんと作っていて、どれも美味しそう。

後半、ミシェランの星取の話が出てきてから料理もお話も通俗的になってきて??という気もしてきます。ボクの嫌いな創作料理で3つ星を目指そうとするし、華美なインテリアもインチキ臭い。だいたいオーナーシェフやマネージャーがミシェランの星を取るのにムキになるのは判るけど、料理人がミシェランの星に本当にそんなに血道を上げているんだろうか。日本のミシェランの星の付け方の酷さは有名ですが(特に和食はまともに食べたことない素人が星を付けているとの評判)、ヨーロッパでも星の数は少なくとも3つ星を取るような店は味だけでなく格式とかサービスが問題だから、料理人だけがムキになっても仕方がないような気もしました。
だけど最後はお話も料理もちゃんと落とし前がついて良かった、良かった。素材を生かした素朴な料理こそ飽きが来ないし美味しいんです。結局 料理は愛情なんだよ!
ヘレン・ミレンってマジで怖そうでボクは苦手な顔なんですが、マルグリット役のシャルロット・ルボン嬢が大変美しくて、画面を見ていて飽きませんでした。あとインド人一家のお父さん役は実にかっこよかった。
●主人公とシャルロット・ルボン嬢

料理を舞台にした軽いラブ・コメディという体裁を取りながら異文化の衝突と多様性の受け入れがテーマになっています、楽しくも大人の鑑賞に耐える作品。ディズニー資本の映画とは思えない良心的な映画。見てよかったな。



岩波ホールで『ミンヨン 倍音の法則

NHKの傑作ドラマ「四季 〜ユートピアノ〜」「川の流れはバイオリンの音」などで知られる映像作家・佐々木昭一郎監督の20年ぶりの作品で初めての劇映画作品。この人は『イタリア賞のグランプリや芸術祭大賞など、数々の賞に輝くテレビドラマ界のレジェンド』だそうです。だがボクは全然知らん(笑)。日経の映画評はこの映画に5つ星をつけていたので、見に行ったのですが--

幼少期を日本で過ごして、今はソウルに住むミンヨンはモーツァルトが大好きな女の子。大学に通いながら、英語、日本語、韓国語の通訳をしている。空想することが大好きな彼女は度々 白昼夢に耽る癖がある。ある日 彼女は親がお世話になった日本人のおばさんの太平洋戦争中の写真を見つける。古ぼけた木造家屋の前で映る家族の姿に、彼女は白昼夢を描き始めるのだった。太平洋戦争、原爆投下、戦後の復興、言論弾圧、ミンヨンは過去と現在を夢の中で行き来する。

お話はミンヨンの白昼夢に沿って進んでいきます。だが、時系列を無視しているのはともかく、現代を演じている人が過去や未来を同じ姿で演じるのは、いまいち無理があるかな。慣れてくるとなんとかなったけど、違和感、不自然さは最後までぬぐえません。

劇中はまるで音楽劇のように絶えずモーツァルトのピアノコンチェルトやバッハが流れ、ミンヨンがアカペラで歌を歌います。明朗快活な音楽は非常に心地良い。

だけど、それが同じようにクラシック、それもモーツァルトが多用されたゴダールの作品のように映画的な美を醸し出しているか、というとそこまでの魅力はないんです。明朗な音楽はこの映画で描かれる戦時中の言論弾圧や原爆投下、それに未来の死の予感に対照的に対峙しているけれど、それ以上のものではありません。



                                            
出演者はオール素人だそうで、このミンヨンを演じる女の子は非常に魅力的です。美人ではないけれど、生き生きとした表情が本当に素晴らしい。そこは大正解。この人の起用で映画が救われた感じです。



悪い映画じゃないし、明朗快活さの中に未来への不安を潜ませた印象的な映画ではあります。ミンヨン役の女の子はサイコー。だけど悪い意味で70年代的というか、表現が古ぼけているのは否めません。このテイストは岩波ホールで流れるような作品らしい、のかもしれないですが(笑)、映画的に優れているというのとは違います。面白い映画ではあるけど、5つ星じゃないなあ。