特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

子供たちに手渡すものを:映画『ヒミズ』


前回のブログは思いもかけず反響が大きくてびっくりしました。お読みくださった方、ありがとうございます。いつもどおりマニアックな話題に戻ります(笑)。
                           
さて、歳を取ることの効用の一つは、世の中は往々にして不公平で、時には不条理ですらあるのが理解できるようになることでしょう。
だから映画や音楽などの表現でも、また日常生活でも、ボクは『希望』というものを声高に唱えることに懐疑的です。殆どのものがカネで換算されているような今の世の中で、希望のようなものを信じるほど楽観的になれません。そもそもビジネスでも政治でも人間関係でも、単純な解などない、とも思うし。
 


園子温監督の新作『ヒミズ』は希望を描いた作品です。マンガが原作だそうだが、ボクは知りません。『ヒミズ』とは太陽の光を見ることがないモグラのことだそうです。 http://himizu.gaga.ne.jp/main.html#intro

  
  
住田(染谷翔太)と茶沢(二階堂ふみ)は将来の大きな夢もなく、ただ人に迷惑をかけない『普通の未来』を夢見る中学生。ところがある日 住田は度々カネをせびりにきては暴力を振るう自分の父親を衝動的に殺してしまう。それ以降 住田は自分の残りの人生をおまけの人生として、世の中の害悪となる悪党を殺していくことに決める。パンフレット曰く『未来をなくした少年と、愛にすがりつく少女。絶望の果てに二人が見たものとは?』
  

そんなお話。白井佳夫は日経の映画評で『中学生版ロメオとジュリエット』と言ってたが、ちょっと違いました。

映画は冒頭から二人の身近にある、この世の中の悪意や不条理が執拗に描かれます
泥酔しては子供に『死んでくれ』と願う父親、子供を置き去りにして男と逃げる母親。父親の借金を中学生から取り立てようとする闇金融のヤクザ、ヤクザからカネをくすねるチンピラ。自分より弱いものや恵まれたものに対して凶行に走る通り魔たち。彼らの身の回りだけではありません。画面には時折 昨年の大震災で被害を受けた廃墟の光景が挿入される。傷跡が生々しい。更にテレビから流れてくるのは原発から拡散し続ける放射性物質のニュース。

 

このような不条理、暴力に対して住田は無力です。殴られても傷つけられても耐えることはできる。だが世の中から一人取り残された中学生の彼は所詮は無力なままです。やがて住田は顔にペイントを施し、歪んだ形で社会に関わろうとする。ボクはこの子の造型はリアルだと思いました。何故って、程度の差こそあれボクだってそういう無力な子供の一人だったからです。



もう一人の主人公 同級生の茶沢(二階堂ふみ)はひたすら住田に想いを寄せ続けます。担任教師に抗弁する住田を大声で応援してみたり、度々住田の住居に押しかけては殴り合いまでするほど、彼に真剣に向き合おうとします。 何でそこまでするのか。それは彼女も世の中の不条理に対して無力だからです。

このような子をうざい、と言うなかれ。
世の中のことはまだわからないが聡明で、自意識過剰だが臆病。これから自分がどうやって世の中に飛び込んでいくか考え始める、そういう時期にしかありえない、キラキラした表情。こういう女の子、エリック・ロメールの映画によく出てきますそれくらい二階堂ふみが、良いです。それも輝くように。 昨年見た『劇場版神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ!』でこの娘の視線の強さに感動したんですが、今回はそれ以上です。
     
多少 アラもある映画ではあります。廃墟の画像は挿入されるタイミングが唐突に感じられないでもありません。また話の納得性のためにもう少し茶沢のこと、特に茶沢が抱える影を描いて欲しかったです。マンガとは全く違う(らしい)結末もきっと賛否両論あるでしょう。

だが、それを補ってあまりあるほどの説得力がこの映画にはあります。それは人間の存在感です。主役二人は泥まみれになって転げまわり、まるで歌うように大きく口を開けて語り続ける。そして、静まりかえった最後の夜、二人の表情。全てがラストシーンでのカタルシスにつながっていきます。がんばれ、という言葉で感動したのは生まれて初めてです。でんでんなど園子温オールスターズの助演陣も相変わらず良いです。闇金融のやくざを演じるでんでんが住田にピストルを手渡すエピソードはこの映画の中で最も優しい瞬間でした。

 
       
映画の中盤以降 ボクはずっと涙が止まらなくなりました。うれしいのか、悲しいのか、自分でも良くわからない感情です。
映画ヒミズ』には主役の二人のような若い人たち、子どもたちに今 伝えなければいけないことが溢れんばかりに表現されています。たぶん、そのことに感動したんでしょう。 そういうのを愛情って言うんじゃないでしょうか。
  
依然 大震災の惨状は癒えないし、放射性物資が拡散され続けている今、表現すべきことがある。不況があり、災害があり、就職難があり、これからは原発からの放射性物質に長年脅かされて暮らしていかなければならない中で、大人は子供たちに『世の中は不公平で不条理なものだ』と教えるだけでいいんでしょう?
そうじゃない。
映画『ヒミズ』はまだボクらも消化しきれていない強烈な体験に正面から向き合ったが故に、普遍性をほんの少し、欠いているかもしれません。だが、それと引き換えに大人が子供たちに今 手渡さなきゃいけないことを表現するのに成功しています。

それはたとえ、『希望』という不確かな言葉で表現されるようなものだとしてもいいのだ、と思います。時には君たちは、そしてボクたちは、無力じゃない、と信じてみてもいいじゃないですか。