特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

H先生との再会


高校のとき、漢文を教わったH先生は変わった人でした。
冬場は真っ黒なタートルネックのセーター、夏場は黒いシャツ。髪の毛は耳まで隠れるほど伸ばしていて顔もモデルのように男前だったが、なにしろ性格が変わっていた。
普段は表情が硬く、余計なことは喋らない。見ようによってはいつも不機嫌そうに見えた。授業も変わっていて、白居易のロマンティックな古詩『長恨歌』を暗記すれば試験は零点でもAをやると言い、実際に暗誦した生徒には本当にそうしていました。


彼は昔グループサウンズのバンドでドラマーをやっていて、売れっ子だったらしい。全然場違いな漢文の教師になったのはバンド解散後、役者になろうとした際 台本の漢字を読めなくてバカにされたのがきっかけだそうだ。それ以来 芸能界とはきっぱり縁を切ったらしい。『家にはテレビもラジオも無く、新聞も取っていない。芸能界も世間もこりごりだ。』と吐き捨てるように言っていたのを良く覚えている。ルックスは20代後半といっても通用するような感じだったが、既に人生の終盤に差し掛かっているような口ぶりだった。


徒然草とか老子が好きで、隠遁や遁世に憧れる変わり者の高校生だったボクは世捨て人という言葉は知っていましたが、現物を実際に見たのは生まれて初めてだった(笑)。慣れてきて機嫌が良いときは色々な話をしてくれたが、普段は人を近づけないオーラが漂っている彼の過去には一体 どんなことがあったのだろうと思っていました。


卒業してしばらく経って、彼が属していたバンドが鳴り物入りで再結成したが、その中に彼の姿はなかった。ウソか本当かわからないが、再結成への参加を断固として断った彼のところに怖い人が押しかけてきて、身の危険を感じた彼は中国へ留学した、と言う噂も聞いた。

  


昨晩 寝る前に何となくNHKテレビ(SONGS、『沢田研二 ザ・タイガースを歌う』)をつけたら、なんと!H先生が出演しているではないか。びっくりした。
先生は沢田研二のバックで60代とは思えないような派手なドラムを叩いていた。サポートドラムなしだから立派です。昔は文字通り貴公子のようだった端正な顔には深く皺が刻まれているが、髪型は昔のままだ。何よりも表情が生き生きしていて、とても嬉しそうだ。あんなに人前に出るのを避けてきた人なのに
なんでもザ・タイガースのメンバーがずっと音信不通だったH先生への歌を作って演奏したのが再会のきっかけらしい。
60歳過ぎて、また音楽で繋がるのかと思った
相変わらずタートルネックを着たH先生、いや 瞳みのる、通称『ピー』(笑)はそう言っていた。

 

音楽の力って本当にすごい。人間のかたくなな心を解きほぐしてしまう。人間の根本的なところを変えてしまう。そして、人間って、いくつになっても自分で変わる力を持っている。 また、先生に教わってしまった。しかも、すごく大切なことを。
H先生、ありがとう。
 
●真ん中でドラムを叩いているのがH先生