特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『鰤大根』と映画『異邦人』

 結局 日曜に行われた『原発ゼロ国会前集会』は出かけませんでした。
 デモや抗議に比べて集会は受け身になりがちなので嫌い(笑)、というのもあるのですが、やはりこの時期『感染リスクを冒してまで』と思ったからです。屋外だし、コールも注意してやるんでしょうけど、人が集まってると嫌悪感が先に立ちます(笑)。
 政治家や有名人のスピーチとかも殆ど興味ないのですが、唯一 小熊英二教授の話は聞きたかったな。


 またまた緊急事態宣言が延びました。
 まるで飲食店だけに責任をかぶせたかのように営業時間の短縮以外は他に大した対策はやっていないのだから、大して感染が減らないのは当然でしょう。
政府が言ってるテレワークと言っても出来る仕事とそうでない仕事があるのだし、検査は拡充しない、ランチで大口開けて喋ってる連中も大勢いるし、満員電車もそのまま、昼カラオケもそのまま。それで感染拡大を防げるのなら、これだけコロナが世界中に広がるはずはありません。

 土曜日は応援がてら、また近所のイタリアンに夕飯を食べにいったのですが、店の人たちは流石にがっかりしてました。夜は6時スタートの予約客のみ、8時に終わるようコースの皿数を減らし、キャパも定員の3分の1に抑え、空気清浄機+オゾン発生器?をガンガン入れて、お客には手洗い消毒を2回やらせる。
 そこまで気を使っている店と客を詰め込んで相変わらず密状態で営業している店を国や東京都は一緒くたに扱うのだから、酷い話です。これでほぼ3か月 夜の営業が出来ない訳ですから。

 店の人とも話したのですが、真面目に作ってる店って生産者も客も含めて『文化』なんですよね。食材を大事にする店、こだわりの生産者、食べるお客、価値が判る人間が皆で一つの文化を作り出している。権力や忖度ばかりの下品な政治家や役人には、それとは対極的な、市井で育まれる『文化の価値』は判らないのでしょう。
 ●この日出た『鰤大根』(笑)。生の鰤と紅心大根です。これはアリ😸

●3月1日に解禁になったばかりという冨山湾の蛍烏賊と金柑のタリアテッレ。柑橘系とイカの組み合わせもアリ😸



 と、いうことで、新宿で映画『異邦人
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ihoujin-movie.jp
 舞台は北アフリカ、第2次大戦前のアルジェ、会社員のムルソーマルチェロ・マストロヤンニ)は老人ホームで暮らしていた母の訃報を受け取る。遺体安置所で彼は遺体と対面もせず、埋葬の場でも涙を見せなかった。その翌日、偶然再会した元同僚のマリー(アンナ・カリーナ)と海水浴に行き、映画を見て一夜を共にする。その後ムルソーは友人のトラブルに巻き込まれ、預かったピストルでアラブ人を射殺してしまう。太陽がまぶしかったという以外、ムルソーにも理由は分からない。裁判所の法廷ではムルソーの行動は非人間的で不道徳である、とされて死刑を宣告されるが。


 ノーベル賞作家アルベール・カミュの原作を名匠ルキノ・ヴィスコンティマルチェロ・マストロヤンニアンナ・カリーナを起用して67年に映画化したもの。英語版が短期間上映されたものの、権利の関係やフィルムが散逸していたなどの理由でソフト化もされていなかった幻の作品、デジタルリマスターで復元されたイタリア語版です。


 こんな作品があるなんて知りませんでした。イタリアを代表する俳優、マストロヤンニとゴダール映画の女神さま(笑)のアンナ・カリーナ、ボクにとっては夢のような競演です。勇んで見に行きました。

 お話は北アフリカの海岸沿いを主人公のムルソーがバスで移動するところから始まります。アフリカの夏、強烈な陽の光の下、窓を開けたバスが走っていく。麻のジャケット姿のムルソーは母の訃報を聞いて、母が暮らす老人ホームへ向かっているのです。
 老人ホームに着いたムルソーは安置された母の棺桶の前で夜を過ごします。しかし涙も見せず、冷静なままです。棺を開けて母の死に顔を見ようともしない。施設の職員たちは不審な目を向けます。
 
 このように映画ではムルソーの暮らしが淡々と描かれていきます。会社では社長に目をかけられているし、私生活でも犬を連れた老人には親切だし、友情にも厚い。美しい彼女ともデートを楽しんでいる。


 
 ただ、彼は他人に対して積極的に自分の意思をはっきり示さない。意思がないわけではないんです。女の子とデートもしたいし、友人と遊びたいという欲求もあります。でも大前提として他人と距離を置いている。

 やがて彼は友人のトラブルに巻き込まれ、図らずも殺人を犯してしまうことになります。

 裁判では殺人そのものより、母の葬儀の際に示した冷淡な態度が問題になり、検察は彼を危険人物に仕立て、死刑が求刑されます。死刑囚の独房の中でムルソーは何を思うのでしょうか。

 

 前半は北アフリカの描写が印象に残ります。熱い太陽と荒涼とした土地、そしてアラブ人を支配下に置くフランスの植民地支配。

 そして、美しいアンナ・カリーナ(笑)。

 裁判が始まると、陪審員裁判と言うこともあって、劇はオペラのようになります。ここは如何にもヴィスコンティと言ったところでしょうか。検察が雄弁な弁舌を奮ってムルソーを危険人物に仕立てていく。

 ヴィスコンティらしさと言えば、いつも白い長袖シャツを着ているムルソーの肌には終始 不自然なほどシャツがべったり貼りついています。不自然なほど肌が透けまくっている。笑いました。ヴィスコンティと言う人は要するに美しいモノや美少年が好き、とボクは理解していますが(笑)、男前のマストロヤンニも彼の鑑賞対象として捉えられていたのでしょうか。

 原作は高校生の時に読んで訳が分からず断念したのですが(笑)、今 こうやって見ると凄く共感できます。主人公が裁判で『太陽が眩しかったから殺人を犯した』と弁論したことで、不条理劇と言われています。
 しかしヴィスコンティのこのドラマを見ていると、全然不条理でも何でもない。無神論者で、世の中、特に人間から距離を置こうとしているムルソーは不可解な人間ではありません。むしろ神を信じない彼を危険人物と決めつけて追い込んでいく世の中の方が不条理に見えてきます。不条理が逆転する。共産主義への恐怖が反映されているかのように見えるのはボクだけでしょうか。ここいら辺の展開は見事です。

 もともとマストロヤンニとアンナ・カリーナしか興味ないんですが(笑)、この映画の中の二人は素晴らしいです。
 主人公を演じるマストロヤンニは如何にも人が好さそうに見えるから最初は違和感を感じたのですが、中盤以降 彼特有のいつもの当惑顔(笑)が出てくるとだんだんお話に溶け込んでくる。一見 違和感のある彼の起用こそが意味があるのではないか、と思えてきます。
 特に終盤 死刑囚の独房に入ってからの演技は見事です。元が小説ですから説明のセリフは多いのですが、それ以上に彼の演技がお話に意味を付け加えています。死を目前にしたムルソーは初めて自分の存在意義を見つける。それが説得力をもって迫ってきます。

 またアンナ・カリーナはかわいこちゃん演技に終始しているかのように見えて、最後にビシッと決めて見せます。証言台で涙に崩れ落ちる彼女の演技が検察の言っていることをまるっきり反対に逆転させる。

 植民地時代のエキゾチックな北アフリカの雰囲気、地中海と明るい太陽、そしてその下で繰り広げられる俳優の演技、異邦人という作品の解題にもなっているだけでなく、新たな付加価値を足しているのではないでしょうか。賛否両論ある作品だそうですが、ボクはこの文芸映画、なかなか面白かったです。