特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

日米若手女優の演技合戦:映画『アメリカンハッスル』と映画『ほとりの朔子』

まだまだ寒いけれど、通勤のときに見る家々の庭先の梅もだいぶ綻び始めた。白やピンクの花がどんどん膨らんでくるのを見るのは良いものだ。寂しかった冬の風景が過ぎれば、華やかな梅や桜の花が咲くのを待っている。今更ながら自然の配剤って素晴らしいなあと思う。
                                                                    
アベノミクスの化けの皮がそろそろ剥れて株価が下がってきたけれど、安倍は相変わらず集団的自衛権だの騒いでいる。それには理由がある。昨年 ケリー国務長官ヘーゲル国防長官が来日したときに、2014年末までになんとかすることを既に約束してしまった(笑)からだ。http://www.mod.go.jp/j/approach/anpo/js20131003_gaiyou.html

集団的自衛権の必要性やメリットって、ボクにはいまいち理解できない。強いてメリットを想像すると、とりあえずアメリカに媚を売っておいて、尖閣などを防衛するためのアメリカの助力を確実にしたいということなんだろうが、尖閣なんかどうでもいいよ。宋文州氏が言ってたように、尖閣なんか、隕石でもぶつかって消滅してしまったほうが日中お互いのため、だろう。だいたいあんな岩場、こんな状況じゃ資源開発が出来るわけでもないし、日本が実効支配してたって何のメリットもないじゃん(笑)。
一方 デメリットのほうは容易に想像できる。アメリカの戦争に日本人が巻き込まれる、ということだ。戦後60年、アメリカはほぼずっと、どこかで戦争をやってきた。日本が戦争に巻き込まれる確率はかなり高い、と言わざるをえないだろう。そう考えると集団的自衛権って、デメリットしか、ボクには思いつかないんだよなあ。
日本以外の国なら普通、自国の国会で議論する前にアメリカに約束してしまう政治家ってどうなってるんだ、ってことになるだろう。いつも言ってることだが、これならアメリカの51番目の州の方がマシだって。やっぱり安倍晋三を始めとした日本の政治家は国賊ぞろい、ってことで簡単に片付けてしまっていいのだろうか。そう言っちゃうと話は終わりになっちゃうし(笑)。なんか裏の事情でもあるのかなあ。

                                                                                                                                                                                                                                                                                      
さて、例年のことだが、この時期はアカデミー賞絡みの映画が一杯上映されていて忙しい(笑)。今日の感想は2本。アカデミー賞の前哨戦 ゴールデン・グローブ賞ではほぼ独り勝ちだった映画『アメリカン・ハッスル

舞台は70年代後半のNY。融資や偽美術品の詐欺を働いていた(クリスチャン・ベール)と相棒兼愛人の(エイミー・アダムス)はFBIのおとり捜査に引っかかってしまう。二人は野心満々の捜査官(ブラッドリー・クーパー)が持ち出した司法取引で、他に知り合いの詐欺師を5人捕まえさせるおとり捜査に協力することになる。だが詐欺師たちを泳がせているうちに話はどんどん大きくなって、対象は現役の市長、それに国会議員、更には大物マフィアまで広がってしまう。おまけに、そのマフィアに自分の悪妻(ジェニファー・ローレンス)まで絡んで、話はこんがらがってくる。下手をすれば自分の命まで危うい。二人はどうするか。
                                                                        
現職の国会議員が逮捕されたこのお話はほぼ実話らしい。実話を元にした完璧な映画というと昨年の『アルゴ』を思い出すけれど、この映画もそれに近い感触がする。最初はアルゴのベン・アフレックが監督するはずだったらしいし。アルゴと同じように、脚本、演技、演出とも非常に良く練られた作品だ。
●詐欺師(クリスチャン・ベール)とその相棒(エイミー・アダムス

                                                  
映画は弛んだ腹を突き出した主人公の寝起きの姿から始まる。起きた後は薄くなった髪の毛にかつらを被せ、残っている髪の毛を貼り付ける。これがバットマンをやってたクリスチャン・ベールかと、ファンはショックを受けるだろう(笑)。この主人公は詐欺師なんだけど妻の連れ子を溺愛したり、詐欺相手を救おうとしたり、実に人が良い。そういう男が全編に渡って、本妻と愛人、強烈な二人の女性に振りまわされる様がとても面白かった。
主人公の愛人兼、詐欺の相棒を演じるエイミー・アダムスは美人だし、一見華やかなファッションに圧倒されてしまうが、実は葛藤に悩む複雑なキャラクターを良く演じていたと思う。恥ずかしながら詐欺の一環としてイギリス人を演じていたという彼女のアクセントの違いが判らなかったのは不覚(泣)。
●左から愛人、FBI捜査官(ブラッドリー・クーパー)、騙す相手の市長、主人公、本妻(ジェニファー・ローレンス

ジェニファー・ローレンスの演技がいつもながらにすごい。悪妻ぶりを強調するコメディアンのような達者な台詞まわし、あるときは妖艶な色気を出したり、かわいらしさをだしたり、ナチュラル・ボーン・サイコぶりを発揮したり、この人が画面に映っているとまったく退屈しない。特にエイミー・アダムスとの愛人と本妻対決の迫力は本当にぞくぞくした。わめいたり、暴力を振るったりではない、ぞわ〜という迫力が画面から漂ってくるのだ。そしてその後の泣かせる背中の演技と言ったら!この人はまだ20代前半だとおもうけれど、どうしたらこんな演技が出来るのだろうか。

●いかにも〜の70年代ファッション。ベルトのバックルがでかい(笑)

                                                                                  
また 作中に使われる70年代の音楽や洋服も見ていてすごく楽しかった。特にポール・マッカートニーの『007 死ぬのは奴らだ』が流れるシーンは絶対に笑えます。
ということで、この映画は役者さんの演技は素晴らしいしお話も面白い、脚色も面白い、3拍子そろった作品です。殆ど全てのものが完璧な完成度だった『アルゴ』が100点だとしたら、この映画は95点くらいかな。良い意味でハリウッドらしい、ものすごく良く出来た映画であることは間違いない。見逃すのは絶対に損、すごく面白い映画です。


                                                
こちらはアカデミー賞は関係ないけど、各地の映画祭で受賞している映画。青山のイメージフォーラムで映画『ほとりの朔子http://sakukofilm.com/

                                                                  
大学受験に失敗して浪人生となった18歳の朔子(二階堂ふみ)。夏の終わりの2週間を聡明で美しい研究者の叔母(鶴田真由)とともに海辺の家で過ごすことになる。田舎で行き所もないまま過ごす彼女は、ふとしたことから福島の原発事故から避難してきた不登校児の少年とその叔父たちと知り合うが---
                                                        
そ〜んなお話。日経の映画評で5つ星がついていたこともあってか、劇場前は行列が出来ている。盛況らしい。
この映画は監督も認めているように、フランスの映画監督、エリック・ロメールの名作『海辺のポーリーヌ』の日本版という感じだ。『海辺の』はパリに住む少女が夏の休暇を一人で過ごす話だ。十代特有の自意識過剰なところとか、大人への違和感が美しい自然の中で瑞々しく描かれていて、ボクはとても大好きな映画だ。

『ほとりの朔子』は美しいブルターニュ地方と鄙びた関東地方の海辺の町という違いがあるが(笑)、繊細な少女が海辺で過ごす穏やかな毎日が日記形式で綴られていくお話だ。ちなみに映画のロケは千葉県君津市というクレジットがあったが、車のナンバーは湘南だったし、お話は茨城あたりの海水浴場と言う感じもしたし、舞台の場所は関東地方ということ以外 良くわからない。

主演は『ヒミズ』でベネチア映画祭新人賞を取った二階堂ふみちゃん。

ヒミズ コレクターズ・エディション [DVD]

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この映画の最大の魅力は彼女が演じる、大人でもない、子どもでもない、思春期ならではのどっちつかずのところだ。青っぽさと言っても良い。今回の彼女はいつものハイテンションな演技はそれほど見せず、周りの大人たちへのどこか醒めた視線を終始まとい続けている。それでも存在感が異様にある(笑)。やっぱり、この人はいいなあ。ちょうど先々週、1浪した彼女が慶應に合格したニュースが流れていたが、この映画の浪人役はリアルだったのね(笑)。

●かわいいなあ(笑)。この笑顔には実は棘があるんだけど(笑)。

                                                                     
エリック・ロメールの映画だとお話に悪人も出てこないし、ドラマチックな事件も起きないが、この映画では不倫だの、隠された過去だのと、原発事故だのと、お話が進むにつれ泥臭くなってくる。やはりブルターニュ地方と関東地方とは違うってことかもしれないが(笑)、それがお話から目を離せないものにしているのも確かだ。そこいら辺の演出はうまいなあ。

                                                      
朔子を取り巻く大人たちは一見 善人風に見える。だが話が進むに連れて事情がわかってくる。綺麗で知的な叔母さんも、親切な地元のおじさんも、叔母さんを訪ねてくる大学講師も、みんな一癖も二癖もある事情を抱えている。朔子が唯一心を許す地元の少年も、実はフクシマの事故からの避難者だ。一見のほほんとしている彼も避難先での差別や苛めを受けているし、反原発運動をしている大学生たちに利用されたりもする。

そのような人間の泥臭い部分を見るのは映画でも現実でも、ボクはあまり好きではない。疲れるからだ(笑)。映画と言うファンタジーの中くらい、醜い人間の営みは見たくない。だけどボクとは違い(笑)、深田監督はそんな人間の営みを切り捨てず、愛情を込めて見つめている。見ているとそれはそれでアリかな、と思えてくる。人間のちっぽけな営みも美しい自然も飲み込んで時間は流れていく志賀廣太郎のエロ親父ぶりは笑わせてもらったし、今まであまり好きではなかった鶴田真由が底知れない色気のようなものを出していたのにはちょっと驚かされた。好演だと思う。


画面を見ながら遠い昔、自分が18歳だったころを思い出してしまった(笑)。周りの大人たちを見て、とにかく、こいつらとは関わりたくない、と思ったもんなァ。ここでは二階堂ふみちゃん演じる主人公は彼らを徹底拒否するでもなく、かといって受け入れもしない。彼女は終始 醒めた視線をまといつつ、大人と子どもの間のほとりに立ち続けている。
                                                      
時の移ろいにつれ主人公が少しずつ成長するのは『もらとりあむタマ子』に似ている。だが、前田敦子演じる天然ボケのタマ子と違い、この主人公はあくまでも意識的だ。彼女は恐らく、ずっとほとりに立ち続けていくのだろう。
特に若い頃は、夏が終わるたびに人間は少しずつ変わっていくものだ。多くの人が割り切ったり、諦めたり、自分なりに人生に答えをみつけて変化していく。だが、いつまでたっても、ただ立ち尽くしている人間っているそうすることでしか生きていけない時ってある。この映画はそういう瞬間をうまく掬い取っている。これまた、見逃すにはもったいない、静かで繊細な秀作でした。