特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『モリ・カケ追及第2段 国税庁包囲&納税者一揆デモ』と映画『ナチュラルウーマン』(祝アカデミー外国語映画賞)と『リバーズ・エッジ』

毎年恒例で、この時期はアカデミー賞絡みで良さそうな映画が大量に公開されるので、忙しいです。土日に2本ずつ、週4本ペースでないと見きれない。どうして集中させるのかなあ。
そんな中 週末の土曜日は国税庁にデモへ行ってきました。

醍醐聡東大名誉教授らが呼びかけた「モリ・カケ追及第2段 国税庁包囲&納税者一揆デモ」です3月3日、モリ・カケ追及第2弾 国税庁包囲&デモ、やります: 醍醐聰のブログ。確定申告に合わせて行われた前回2月16日の国税庁包囲デモは行きたかったけど、平日で無理だったので。

●抗議風景。財務省前に道路を挟んで大勢の人が集まりました。1枚目 街宣車の上の黒い背広の人が醍醐聡東大名誉教授






集まっているのは完全無党派で個人の集まりです。前回のデモは麻生のバカが普通の人ではないとか言ってましたが、政党や組合のかけらもないし、あんまりスピーチや抗議もたどたどしい(悪いことではないです)。ただ年齢層が高い(笑)。コールとかテンポがのろすぎて、疲れる(笑)。前日の国会前とは違って、自分の気持ちが盛り上がらない(笑)。シンプルに『ウソツキ佐川は辞めろ』『安倍は辞めろ』って連呼すればいいと思うんだけどなあ。
●コールの内容は事前に配られました。こんなに長いと逆効果じゃないかなあ。


財務省前で約30分抗議をしたあと 日比谷公園に移動して、銀座の目抜き通りを歩くデモに移ります。ま、淡々と歩道を歩きます。
●抗議風景





集まったのは主催者発表で1500人、でも7、800人規模の梯団が3つできたので2000人強はいたと思います。公文書偽造の財務省に再び怒りのデモ! 麻生財務相の「デモ隊は普通じゃない」発言にも主催者が真っ向反論|LITERA/リテラ。産経は『目視で700人』と過少に報じてましたけど、どういう目をしてるんだよ(笑)。NHKはその日の午後6時のニュースで放映したようです。NHKも夜7時、夜9時以外のニュースはまともな傾向が強いです。朝日が報じた文書偽造も含め市民は黙ってないぞ、という画が作れたのは良かったと思います。



ということで、銀座で映画『ナチュラル・ウーマン』[:title]
この映画は感想を書かないつもりだったのですが、ちょうど今日発表されたアカデミー外国語映画賞を取りましたので簡単に感想を書きます。ベルリン国際映画祭でも脚本賞を受賞しています。

舞台はチリの首都、サンティアゴ。クラブの歌手、マリーナ(ダニエラ・ヴェガ)はトランスジェンダー。、自分の父のような年齢の恋人、オルランドと同棲していた。マリーナの誕生日を祝ったあと、オルランド動脈瘤で亡くなってしまう。ところがトランスジェンダーのマリーナはいわれのない差別を受ける。警察には事件性を疑われ、オルランドの前妻から怪物と呼ばれ、オルランドの息子からは暴力を受け、葬儀に出席することも許されない‐ - -


トランスジェンダーの女性(体は男性)を描いた作品です。50代後半の女性の自立を爽やかに描いた素晴らしい『グロリアの青春彼女について聞いている2,3の事柄:映画『グロリアの青春』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)セバスティアン・レリオが監督と脚本を担当しています。この作品の主役、ダニエラ・ヴェガは実際にトランスジェンダーで、今朝の朝日新聞でもインタビューが掲載されていたし(ひと)ダニエラ・ベガさん 米アカデミー賞で注目されるトランスジェンダーの俳優:朝日新聞デジタル(ひと)ダニエラ・ベガさん 米アカデミー賞で注目されるトランスジェンダーの俳優:朝日新聞デジタル、来日して高校で生徒とディスカッションをしているのも報じられました。

女優ダニエラ・ヴェガ、都立西高で共生の重要性説く - 芸能 : 日刊スポーツ


最近の恋愛ものは同性愛を取り扱ったものの方が質が高い作品が多いと思います。市民権を少しずつ得てきたのもあるでしょうし、不条理な障害がある方がお話しは盛り上がります(笑)。しかし、トランスジェンダーを正面から扱ったものはまだまだ少ない。同性愛では『ブロークバック・マウンテン』などが受賞していますが、トランスジェンダーアカデミー賞を取ったのも初めてです。
●主人公のマリーナ、トランスジェンダーです。クラブで歌手をしています。


同棲していた恋人の会社社長オルランドが急死、病院に連れて行ったマリーナは病院からも警察察からも、遺族からも偏見の目で見られます。病院では家族として扱われない、警察では犯人として疑われる(直接 言及されませんが、二人の間にSM関係のようなものがあったことが示唆されます)、前妻とは複雑な関係になるのは当然ですが、怪物扱いされる。
オルランド(右下)とマリーナ。歳の離れた恋人同士です。


マリーナにして見れば普通の恋愛関係であっただけなのに、周りからはまともに扱われない。精神も肉体も徒に傷つけられるばかりでなく、彼女の存在すらなかったものとして否定される。侮辱に耐える彼女が自分の尊厳を保つことができたのは音楽の力でした。歌が歌えて、なおかつ実際のトランスジェンダーであるダニエラ・ヴェガが演じているからこその説得力はあります。それが、この映画の最大の魅力でしょう。


ただ、お話しとしてはボクはあまり面白くなかった。いわれのない差別と侮辱を受けても毅然と生きようとするマリーナの姿はカッコいいです。ただ、それだけだと、ちょっとこちらは入り込めない。お話しのひねりが足りないんですね。同じトランスジェンダーの話でも先日の『アバウト・レイ 16歳の決断映画『アバウト・レイ 16歳の決断』と『スリー・ビルボード』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)のように普遍的な話に昇華してもらえればいいんですが、こちらはマリーナの苦悩以上のものはない。話の伏線には、オルランドが残した鍵は何かという謎解きもあるんですが、なーんだで終わってしまう。ただ、マリーナの心を中を象徴するかのような向かい風やレーザービームが交錯する画面は美しかった。そっちの路線で行ってくれれば もっと感情移入できたと思います。


というわけで、トランスジェンダーの人の苦悩をリアルに描く、という点においては優れた映画です。アカデミー賞を取るくらいの水準には達している。ただ映画としてはもう一捻りほしかった、とは思います。



もう一つ新宿で映画『リバーズ・エッジ映画『リバーズ・エッジ』公式サイト | 公開中!

1990年代 東京湾岸沿い。工場地帯にある河は悪臭が漂い、濁った水が溜まっているかのようだった。その近くの高校に通うハルナ(二階堂ふみ)はハルナの彼氏の観音崎に暴行されたゲイでいじめられっこの山田(吉沢亮)を救ったことで、友人になる。やがてハルナと山田、それに摂食障害のモデルのこずえの3人は、河原で見つけた死体に魅せられるようになる。そこに観音崎観音崎に横恋慕するルミ、山田に執着するカンナらがもつれ合って事件が起きる。


94年に発表された岡崎京子という漫画家の漫画を二階堂ふみちゃんが映画化を熱望し、企画から携わったという作品です。監督は数々のヒット作を送り出している行定勲
漫画に疎いボクは岡崎京子という漫画家も全く知りませんが、原作は『戦後日本マンガにおいて最高の1冊に数えられる』(日経夕刊2月16日)作品だそうです。ちなみに日経の映画評では★4つ。高評価です。


映画はドラマの中に、登場人物への疑似インタビューが挿入される形で進んでいきます。冒頭のインタビューに登場したハルナの傍らには雑誌ミュージック・マガジンが置かれています。マニアックな音楽記事と政府の悪口が詰まった、ボクも購読している音楽雑誌です。ハルナがどういう人間かそれだけで良くわかる。一般的な世の中から距離を置いているんですね。


映画は90年代の雰囲気を忠実に再現しています。主題歌は小沢健二が担当しているだけでなく、ブラウン管TVや走っている自動車、その頃にはケータイもPCもない。だけど非常に現代に近い雰囲気です。とにかく殺伐としている。登場人物は高校生ですが、全員が親と別れているか放置され、孤立している。全員がどこか壊れている。しかし、それが2018年の今の雰囲気と非常に合っている。映画の中で再現される90年代の人物も光景も、全てが我々の時代の合わせ鏡になっているんです。
●ハルナの彼氏の観音崎(右)は山田に暴行を続けます。

●女性に興味がない山田に、カンナ(右)は狂気の愛を捧げます

●売れっ子モデルのこずえは摂食障害です。食べた分だけ吐いてしまいますが、彼女は世の中自体に対して吐き気を催しているように見えます。

●女性に興味がない山田ですがはぐれ者同士 ハルナとは仲良くなります。


同性愛者で売春もしている苛められっ子の山田は世の中に絶望しています。女に興味のない山田に一方的な愛情を注ぐカンナの思いは次第に狂気を孕んでいきます。売れっ子モデルでありながら過食と嘔吐を繰り返すこずえは世の中と自分自身を拒否しているかのようです。ハンナの友人にも拘わらず観音崎と肉体関係を続けるルミ、暴力とセックスとクスリに溺れるノータリンの観音崎、そして、世の中に対して醒めているハルナ。それぞれの事情と誤解が絡まりあって悲劇が起こります。


決して面白いとか感動するような話ではありません。あと、死体を見つけるという話もリアルさの中に寓話が放り込まれたようで座りどころが悪いと思います。しかし、それ以外は非常によくできている。映像もきれいだし、音楽も巧みだし、観客を突き放す乾いたタッチがいいです。何よりもこの映画で描かれている出来事、こういうことってあるよね。現実ってこうだよね、という実感を感じさせます。この映画はその当時の空虚さ、苦々しさをそのままの形で2018年の現代に提示します。


そういう意味でこの映画は完成度が高いだけでなく、非常に志が高い。思い返せば確かに90年代って、良くも悪くも何もなかったと思います。経済面では新自由主義が席巻しているのに対して、異議申し立ての声は殆どありませんでした。文化の面でも渋谷系とかグランジとか捨て鉢なものばかりでした。その頃のボクも色んな意味で90年代はニール・ヤングの轟音くらいしか、感動するものはなかった。


●その90年代が終わろうとする際、シアトルでWTOに対する数万人の反乱がおきたことで新たに希望が生まれたとボクは思っています。


おそらくこの映画の作り手たちが考えているように、90年代の空虚さを直視することで見えてくるものがある、とボクも思います。あの空虚さは今に繋がるものです。この映画の登場人物たちも2018年の我々も、一歩間違えればドブ川に転落して沈んでいくか、団地のベランダから飛び降りることになるかもしれないのですから。