特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

世界の1%側として(笑):映画『アジョシ』

度々書いているが、ボクは他人と話すのがあまり好きではない。プライヴェートでも仕事でも、1日中誰とも口を利かなくても全然何とも思わないし、実際 そういう日は1年の中には、結構ある。
だけど、子供と犬に対しては違う。散歩中の犬には自分から声をかけることもできるし、電車や飛行機では子どもに声を掛けられることはしばしばだし(同類だと思われてるんだろう)、犬や子供に何かおねだりされたら、たいていのことは言うことを聞いてしまう。 可愛ければ、人嫌いとか原理原則なんてどうでもいいんだよ(笑)。


新宿で映画『アジョシ』http://ajussi2011.jp/pc/
麻薬取引と臓器取引!に巻き込まれた幼い女の子を、隣家のおじさん(アジョシ)が救い出す、というお話。
劇場で予告編を見たときから、恵まれない境遇で育つ女の子と元特殊部隊員で今は隠遁生活を送るおじさん、孤独な人間どうしの感情の機微が琴線に触れた。リュック・ベッソンの『レオン』に似ている。


この映画を見に行くときは正直、ちょっとビビッていた。周りは熱狂的な韓流マダムばっかりなんじゃないかって。びびった挙句 映画館へ行くのに、ちゃんとジャケット着ていったもんな(笑)。実際 観客の99%は、隣家のおじさんを演じる『ウォンビン、素敵〜』だろうし、ウォンビンくんは男のボクが見ても確かに格好良かった。ただ男前なだけでなく、一見 繊細で線が細くても、服を脱ぐとムキムキ(笑)っていうのがすごいよな。客観的には、この映画はウォンビンの格好良さを鑑賞するために作られたものだろう。


だけど、この際、世の中の残り1%側としてはっきり言わせてもらう(笑)。
この映画の真の魅力は幼い女の子(キム・セロンちゃん)がめちゃくちゃ可愛いところなのだ10歳くらいの鼻ぺちゃで、いたいけな女の子に、たどたどしい口調で、『私、おじさんに嫌われたら、好きと思える人が世の中に誰もいなくなっちゃう』なんて言われたら、その時点で涙腺の堤防は決壊するに決まってるだろ。
そのシーン以降、ボクの理性は崩壊した(笑)。


映画は前半 女の子とおじさん、孤独な者同士の穏やかな心の触れ合いが描かれ、後半はお約束どおり 女の子をさらった悪役の兄弟とその部下を、元特殊部隊員のウォン・ビン文字通り、ぶち殺す×17(敵が17人居るってコト)。


悪役の兄弟二人は臓器売買という超外道のウルトラ極悪人として描かれているから、人殺しシーンにも関わらず見ている側は全く同情を感じない(笑)。孤独な男が他人を守る側へと変わっていく姿とも相まって、カタルシスを感じてしまう。そして最後は、多少は唐突でも とにかく、ハッピーエンド(笑)。娯楽映画なんだから、これでいいんだよ
昔の日本のヤクザ映画って、こんな感じだったんだろうか。

昔っぽいと言えば、この映画のもう一つのポイントは脇役が皆、ちょっと前の日本、70年代とかの映画にでてくるような味がある顔をしていることだ。極悪兄弟もウォンビンを追う刑事たちもベトナム帰りの悪役も、少女を暖かい目で見守る文房具屋のおじいさんもすごく良かった。良くも悪くも無機質じゃない、人間らしい感じがする



ナイフの使い方や格闘シーンなどアクション映画としてもすごいという評もあるが、それはボクにはわからない。ただ画面を見ていて、とても痛そうだった、ということだけは言える(韓国映画ってそういう描写が多いのかもしれないが、よくわからん)。 ま、娯楽映画らしく、あんまり痛そうな場面は事前にわかるので、ボクは目をつぶってたけど(笑)。


あと、この映画で描かれている韓国のギャング業界が市場規模が大きい中国に進出していこうとしているのも面白かった。ギャング業界もグローバリゼーションなんだ(笑)。
本当は韓国というと小泉改革、いや90年代後半の通貨危機後の新自由主義改革のせいで弱肉強食の厳しい社会なんだろうから(*ま、今のジニ係数は日本と同程度らしいが)、この映画の背景にある人々の暮らしぶりにはきっとそういうところもあるんだと思う。


でも それ以前にいたいけな少女が可愛くて可愛くて
『アジョシ』は手に汗握る娯楽作品、スカッとして楽しい映画だ。ハンカチは必須だけど(笑)。