特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

見極める力:中村哲氏の講演『アフガンとの約束』

最近、『本質を突いているなあ』と感心した言葉がある。
欧州のコンサルティングファームに勤務するコンサルタントの遠藤功氏がフランス人に『あんなリーダーしかいないなら、(日本は)原子力発電をやってはいけない』と言われたそうだ。「民の国」が抱える悩み 遠藤功さん | 慶應MCC 夕学リフレクション


今回の原発事故は津波対策の不備や政治家や東電の対処ミス、建屋や発電機の配置などの設計ミス、操作員が1号機の副水機を勝手に止めた操作ミス、といった様々なミスが積み重なっているわけだが、本質的にはこういうことではないか。

情報隠蔽しまくりの政治家や役人、事故が起きたらさっさと病院に逃げ込む東電の経営者、事故現場に1ヶ月以上も専門家を派遣しなかった原子力安全委員会などの学者、つまり日本のリーダークラスが腐りきっている、というのが根本的な問題だ。


おそらく、バ菅直人に限らず、総理大臣が安倍でも麻生でも、おそらく小泉でも原発事故への対処はあまり変わらないと思う。国民に情報は隠すだろうし、対策は遅れるだろう。もともと組織のマネジメント能力はないし、自分の思想・思い込みを押し通すことはあっても国民のためという意識はない、からだ(そもそも『先生』とか『総理』とか言われて喜んでいるような人間にそんな意識がある訳ない)。
こんなときに政争に明け暮れる他の国会議員連中も言わずもがな。
だから日本のような国は地震とか技術とか資源とか、それ以前にリーダー層の無能さゆえに原発をやる資格がないのだ、と思う。


となると当然、日本人は全部ダメなのか(笑)、という疑問が湧いてくる。
こんなバカ政治家に投票する国民、また今回の原発事故と同様にリーダー層の無能と無責任で太平洋戦争に突入した経緯などを考えると、かなりの確率で日本人=全部ダメ(笑)のように思えるが、数少ない例外もある。


丸の内へ医師の中村哲の講演を聞きに行く。
多くの本やTVで紹介されている人だが、一度ご本人が話すのを見てみたかった。28年前からアフガニスタンハンセン病の治療に携わり、この10年くらいは現地の大干ばつに対して自ら治水工事を行うことでより多くの人を救おうとしている、そんなヒトだ。
この人が主に活動しているのは、かの突撃映画監督モーガン・スパーロックですら潜入を断念したほど危険な砂漠地域。
だが、当日現れたのは『真ん中で話すのは恥ずかしい』と言って、ずっとステージの隅っこに立ったままの、静かな物腰の人だった(学生時代にお会いした故高木仁三郎氏のことを思い出した)。


話を聴いていると中村氏はリーダーとして現場で物凄いディシジョンを何度もしていることがわかる。
例えば現地では昨年 大洪水が起こり、用水路の下流も水害を受ける危機があったそうだ。そのとき中村氏は用水路の取水口を取り壊して閉鎖して水が流れ込むのを防いだそうだ。
8年がかりで自分たちが大変な費用と苦労をかけて作ってきた用水路をためらいもなく、自分でショベルカーを操作して壊してしまう。
理由は簡単。『最も大事なのは人命だから』だそうだ。


またアフガン戦が始まり治安が極端に悪化した際 現地から撤退するかどうかが大問題になった。外国も含めて殆どのNPOは撤退したが、中村氏は他の日本人スタッフは帰国させ自分だけは現地に残り続けた。理由は『自分が居ないと支援業務が霧散するから』


言葉で言うのは簡単だ。
いざ自分が現場でこういうディシジョンをしろ、と迫られたら、どうだろうか。ボクにはとても出来やしない。
中村氏がそういう厳しいディシジョンができる理由は、プリンシプルが明確になっているから、だと思う。
大事なのは人間の命』という基準が明確なのだ。そのためにはタリバンとも軍閥とも対話をする。中村氏曰く『宗教や文化がどんなに違おうと火は熱いし、水は冷たい』。

もちろんディシジョンを誤ったこともあったそうだ。
かって日本人スタッフが誘拐された際、二人の犯人をライフルを持った百人で追跡した。銃撃戦になり日本人スタッフは死亡する。中村氏は声を詰まらせながら『こちらの銃のほうが多かったのだから、おそらく追跡側の弾が当ったのだ』と語っていた。『こちらが武器を持っていなければ話し合いで解決できただろう』、と。

実体験を踏まえて『武器を使うことは憎しみを広げるだけで、結果はロクなことにならない』と語る中村氏の言葉をいったい誰が否定できるだろうか。
*かって日本の国会議員は『(アフガンの人の憎しみを買うだけだから)自衛隊をインド洋に派遣しないでくれ』という中村氏の国会証言を無視したが、それだけでも日本の政治家はバカぞろいということがわかる。



今年は中村氏らが作った用水路から水を引いた農地1万4000ヘクタールで小麦が大豊作で、アフガンの小麦の値段が20%下がったそうだ。
現地のヒトが自分たちでメンテナンスできるよう、『蛇かご』や『斜め堰』など(明治維新以前の)日本の水利技術を使って用水路を作っている中村氏は福島の原発事故について、あっさりと、こう言い切った。
『想定外のことが起きるという想定で工事するのが、本来の日本の技術』
『そもそも人生は想定外のことばかり、ではないか』(中村氏が最初にアフガンに行ったのは趣味の昆虫採集がきっかけだそうだ)


日本のリーダー層、政治家、独占企業の経営者、高級官僚、原子力安全委員会などに居る学者、あと大マスコミは今や、その多くは人間のカスばかり、だとボクは確信している。彼ら・彼女らはカネや名誉、権力に釣られて、物事の本質を見極める目が曇ってしまっていると思う。でも彼ら・彼女らは多分 特別の存在ではない。単なるボクらの縮図なのだ。
だが、明らかにそれとは違う種類の人間も存在する。税金を食い物にしている前述のような連中と、ヒモ付きになるのが嫌だからなるべく公的資金はもらわずに自分たちが集めた資金で活動する、という中村氏とではまったく対照的だ。
この人には物事の本質を見極める力がある。
他人とあんまり関わりたくないボクはリーダーシップなど全く興味ないし、こんな無私の人にはとてもなれないが、こういう人に『見極める力』を如何に学んでいくか、実に考えさせられた2時間だった。


活動指針は『無思想・無節操・無駄』という中村氏が当日 言っていたことを少し列挙する。価値がある言葉だとおもうから。
『私は人権活動家に言いたい。自分の思想が大事なのか、目の前にいる人間が大事なのか』

『アフガンには電気すらないが人々は実に明るい。日本人ボランティアの方が暗いくらいだ。モノを持てば持つほど人間は暗くなるのではないか』

『(現地の人から信頼されるには)やると決めたらやる。約束は守る。その2つだけだ』

『人間は、3度の食事ができること、家族が一緒に居られること、平和であること、の3つが重要で、それにくらべれば政治的に正しいかどうかなど、どうでもいい』