特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

10万年後は風評頼み:『10万年後の安全』

神奈川に続いて静岡県でも茶葉から放射性物質が検出されたそうだ。だが静岡県も神奈川県も乾燥された茶葉(荒茶)の検査を拒否するという。
http://mainichi.jp/select/science/news/20110518k0000m040096000c.html

それなら結構。
ボクは静岡県・神奈川県の新茶は少なくとも今年は、一切買わないことに決めた。


この前仙台へ行ったときは(手にもてる範囲で)山ほど日本酒を買ってきたが農産物は話は別だ。役所も生産者も誰も安全性を担保しない(責任をとらない)のなら、仕方がない。


こういう情報隠蔽体質、人間をバカにした態度が風評被害を自ら作り出しているんだよ。というか、実際に放射性物質が検出されているのだから風評なんかじゃない。

これで関東地方のほぼ全域で農産物に放射性物質が検出されたことになる。関東地方も本当にやばかったんだな。
海産物のデータもさっぱりでてこないが、こうなったら消費者としては産地(水揚げ場所でしかわからないが)で判断するしかない。

今 原発とその周辺で起きていることの多くは風評なんかじゃない、現実だ。政府や役所、(一部の)生産者が相変わらず情報隠蔽をするなら、自分の身は自分で守るしかないじゃないか。


今日のTVニュースで文部科学省前で20ミリシーベルトの安全基準に抗議する福島の父兄たちに、役人が『安全です。だけど放射線量は下げていきたいと思ってます』という訳のわからない応対をするのが写ってた。そんな応対しかできない役人を何で税金で養わなくてはいけないのか。そもそも、文部科学省なんて要らないよな。データ隠したり、くだらない教科書検定するくらいしか脳がない三流官庁こそ税金の無駄遣いだし、それこそ事業仕分けの対象だろう。あと原発推進の戦犯、経済産業省も要らないよな。統計だけやってりゃあいいよ。高度成長期と一緒に、こんな役所の役割は終わったんじゃないの。東電を初めとした天下り先を確保しようと民間の足引張るのが関の山だろう。


渋谷のアップリンクで映画『10万年後の安全』(原題''Into Eternity'')
フィンランドで建設中の放射性廃棄物を保存するための施設『オンカロ』を描いたドキュメンタリー。100年かけて地下500メートルに穴をほって原発放射性廃棄物を保存し、それが無害になる10万年後まで保存する、という。
日本ではいまだに放射性廃棄物の最終処理場所すら決まってない、というのだから、えらい違いだ。

ちなみにフィンランドがそういう施設を建設するのは、地盤が安定していると同時に、核燃料の再処理はしないという国のポリシーがあるから。そしてそのポリシーの理由は、核兵器の原料になるプルトニウムを燃料から取り出す再処理施設は核テロの標的になるリスクがあるから、だそうだ。
そういう施設を自ら受け入れた六ヶ所村の人たち、それに青森県の人たちは何かあった場合 自分たちがまっさきに犠牲になるリスクはもちろん覚悟しているんだよね(笑)。


だが問題なのは気の遠くなるような10万年後の未来まで廃棄物を保存できるのか、ということだ。確かに地下のほうが、戦争や天災のリスクがある地上よりはマシだろうが、将来 間違って人間が掘り返したらどうなるだろうか。
だからオンカロではそのリスクを後世に伝えるため、現在使われている各国の言語に加えて、絵を、それもムンクの絵のように一目で不吉とわかるような絵を施設の周りに埋める、そうだ。放射性廃棄物というやばいものが埋められているという言い伝え、要するに風評でリスクを伝えていくしかない、ということらしい。インタビュアーが『それで本当に大丈夫なんですか』と、オンカロの施設を運営する会社の副社長に尋ねると、彼の目が笑ってる。『そんなの知らねーよ』て、ことだろう。
そらあ、どんな人間にだって10万年後のことはわからないよ(笑)。



映画としてはちょっと退屈だったが、映像、特に地下を描写する映像は美しい。それだけに、人間はえらいものに手を出してしまったのだなあ、ということは実感させられる。
ましてや世界有数の地震津波の多発地域に人口が密集しているばかりか、ついでに情報公開も共産国以下ということが露呈した日本という国で、まだ原発をすすめる、という発想が理解できないんだけどなあ。