特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

人生は不条理だとしても:『ロベレ将軍』

原発事故のほうは残念ながら問題解決の兆しも見えない。今晩のNHKニュースでも30キロ圏外でも放射能汚染の制限値を越える場所があるということが報じられたし、汚染水の放出も始まったそうだ。
いつまでたっても問題解決のめどが立たないため、当初は政府や東電が隠そうとしていたことがいよいよ隠し切れなくなってきたようだ。

今回の事故で将来に生かすべき最も大きな教訓は情報公開だと思う。農産物の風評被害とかが言われているが、政府が適切な情報公開をしないから、また記者クラブに代表される大マスコミが報じるべきことをきちんと報じないから風評が広まるのだ。今になって枝野官房長官が『放射能の拡散予測を公表すべきだった』http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20110404-OYT1T00746.htmとか言っているが、他国が予測を発表しているのに自国の政府は発表しない、こんなバカな国があっていいものだろうか政治家や役人が自分たちの権威や体制を守るためには、国民の健康がどうなってもかまわないというこの国は北朝鮮と大きな違いはないのではないか。

高濃度汚染水が流れ続けているというのは、既に外国では報じられているように、容器は損傷しているし、さらにチェルノブイリより遥かに多い核燃料の一部は既に溶け出しているということだろう。http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20110401-OYT1T00801.htm
そんな危険な状態なのにTVニュースではいまだに安全だとか言っている東大とか阪大の教授が日替わりで出てくるが、全くあきれてしまう。この人たちはそんなに東電からもらっている研究費が大事なんだろうか?
ボクは武田邦彦という人の発言は殆ど?と思っているが、原子力が専門だけあって、今 ネットで話題になっているTVでのこのコメントは、より多くの人が見て自分なりに考えてみる価値があるものだと、ボクは思う。
言っても仕方がないが、放射能を浴びるのは今まで原発推進に賛成してきた奴だけにしてもらいたいもんだ。確かに人生は不条理なことでいっぱいだ、ということはわかっているけれど。

青山のイメージフォーラムロベレ将軍
1959年のベネチア映画祭グランプリ受賞作、ロベルト・ロッセリーニ監督の作品
第二次世界大戦ナチス占領下のイタリア北部、ジェノヴァ。女たらしの詐欺師がふとしたことから反ナチ運動のリーダー、ロベレ将軍に仕立て上げられる、そんな話だ。
朝1の回から会場は満員。

主人公の詐欺師はドイツ軍の収容所に囚われている市民の家族に、口利きをしてやる、として人々から手数料を掠め取って暮らしていたが、化けの皮がはがれてドイツ軍に捕まってしまう。収容所の所長は彼をレジスタンスのリーダー、ロベレ将軍に仕立てあげて情報を入手しようとする。

お話は時系列に流れていくオーソドックスな作り。
当時 罪もない一般市民を逮捕、拷問していたドイツ軍の暴虐さ、また戦時のジェノヴァの暮らしなど、白黒画面から伝わってくるリアル感がすごい。拷問シーンを直接描かなくても犠牲者の様子や音楽で残虐さがはっきりと伝わってくるし、連合軍の空襲で電気が途絶したり建物が破壊される中での市民の生活がどういうものだったのか、画面を見ていると良くわかる。

最大の特徴は登場人物の重厚な描写だ。昔の映画らしいというか、フランク・キャプラにも通じるような、決して人間を表面的に描かず、心の中に抱える葛藤や矛盾、それに変化をきちんと描いてみせる。

例えば、金に困った主人公はかって捨てた女に偽の宝石を売りつけようとする。女は偽とわかっていながら、それを買おうとする。理由を尋ねた主人公に答えた彼女のセリフが泣かせる。『(偽物を買うのは)あなたは一度は私を幸せにしてくれたから。だけど、もう2度と私の目の前に現れないで』。
泣かせるぜ。

さらに主人公。建築技師と偽って登場する映画冒頭のシーンでは彼はノーブルそのもの。そこから映画の前半は口がうまくて女たらしの彼の姿を描かれるのだが、戦時下で何とか生き抜くことを考えて生きている彼の姿は冒頭のノーブルな姿との落差が、どこかコミカルだ。
だがロベレ将軍として収監され、自分自身が収容所の生活を体験し拷問死する人々に触れているうちに彼の表情が変わっていく。黒シャツ隊の暗殺への報復として見せしめに市民が処刑される、夜明け前の牢獄のシーンはこの映画の白眉だと思う。絶望の中に奇妙なさわやかさがある。残酷で不条理な運命でもそれを受け止める若いアナキストの刑死を描いた数年前のスペイン映画『サルバドールの朝』を思い出した。

主人公と対峙するのはドイツ軍大佐。普段はニコリともしないが冷酷というわけでもなく、暴虐なことは自分からはしようとはしない。必要があれば残虐な拷問も辞さないが、普段はあくまでも理性的に振舞う。極悪ナチスといえども、ある意味共感できる余地があるキャラなのだ。だからレジスタンスのリーダー、ロベレ将軍になりきって自分から進んで銃殺された主人公の周りで『人違いだ』と騒ぐ兵隊たちの中で、彼の体を抱えながら『間違っていたのは私だ』と吐き出すように彼がつぶやくラストシーンには説得力がある。主人公の意志が人生の不条理を逆転してみせるのだ

重厚な人間ドラマを久しぶりに見た、と言う感じ。ナチへの怒りと人間性への敬意が共存している。そしてオーソドックスなお話を矛盾なく見せる監督の力量。素晴らしい映画だった。