特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

読書『日本人へ 危機からの脱出編』(塩野七生)と『選憲論』(上野千鶴子)、それに映画『レイルウェイ 運命の旅路』

五月の連休明けは1年で最も良い季節かもしれない。寒くもなければ、それほど暑くもない。花粉もそれほど感じないので、やっとマスクを外すことが出来る。やっと力を取り戻してきた陽の光は美しく、草いきれの香りが心地よい。遊歩道を散歩する犬たちも嬉しそうだ(笑)。
                                                               
最近電車の中で気晴らしに読んだ新書の感想をいくつか。軽い本ばかりです。
一つは塩野七生の『日本人へ 危機からの脱出編

言わずと知れた『ローマ人の物語』の著者のエッセイ。この人は原発再稼働賛成だし(避難計画どうするの?)、長期政権という観点で安倍晋三頑張れ、という人なので、基本的にボクとは考え方は相容れない(笑)。だけどハードカバーで全巻読んだ『ローマ人の物語』は時折 嫁姑関係だけで世界が出来ている橋田寿賀子なみに世界観が視野狭窄になったりするが(笑)、完結まで何年も楽しませてくれた面白い読み物だったし、この人自身も時々感心するような鋭い観点で物事を見る人ではあるとも思っている。

この本は原発事故を挟んだ2010年から13年まで文藝春秋に連載されたエッセイをまとめたもの。基本的にはたいしたことなかったけど(笑)、感心したのはローマ時代の五賢帝の一人、トライアヌスの例を挙げて『(辺境の)尖閣は棚上げにすることを宣言しろ。』、『国内の大企業には投資の3割以上は国内に向けることを義務付けろ』、『少子化対策として青年に達するまですべての子供に育英資金を給付しろ』という話。投資の3割とかの数字を本気にしたら危機からの脱出どころか、間違いなく日本は危機になるが、国内、それに子供に投資しろ、ということはその通りだと思う。民主党の『子供手当て』は視野が狭いマスコミと国民の袋叩きにあったけど、それくらいのことが出来なければ日本は滅びるそれでも小泉政権当時から民主党を含め、安倍晋三まで、政府が国内への投資を真面目に考えている形跡はない(笑)。いつも言っているように、日本なんて国が滅びてもボクは構わない。日本人が生きていければ、国なんかどうなってもかまわない。


もう一つは塩野七生とは対照的な(笑)、上野千鶴子の出たばかりの新刊『上野千鶴子の選憲論

著者が横浜で法律関係の学者に向けて講演したものをまとめたもの。半分くらいは自民党の新憲法案への批判なので、その部分はつまんない。つまんないというのは当たり前の話だから、新たな発見がない、という意味。ただ現行憲法を否定する連中が奉る『象徴天皇制は戦後憲法の発明』という指摘は面白かった。国政に参加するリスクを最小限に抑えた象徴天皇制というシステムは、戦前も戦後も家業の存続を最優先にしているように思える天皇家にとっても、ある意味 理想的なものではないかとも思えるからだ。

上野は日本人自身の手でもう一度 九条を含めた憲法を選びなおそう、と言う。あえて言えば天皇が元首の部分は変えても良いのではないか、とも指摘するが、その上野ですら『天皇を廃止したら、もっと酷い総理大臣が選ばれるリスクがある』ことに言及もしている。確かに、それは言えている。税金の無駄使いということを考えるとボクは天皇制というものには賛成しかねる点があるのだけれど、『職業』ではなく『家業』として元首を残しておくのは案外 低コストな手段なのかもしれない。
ただ、ボクは憲法を『選びなおす』というのは得策なのかどうかわからない。ブームに乗りやすい今の日本人の判断力を信用してないし、ジョン・ダワー先生が言うように戦後70年、『日本人が自ら日本国憲法を抱きしめてきた』のも事実なのだから、今更 憲法を選びなおすことに正当性(Ligitimacy)があるかどうか甚だ疑問だ。
『九条を守れ』と言うのなら、『こういう外部環境の中で日本はこういう方向で行くから九条を守ったほうが利益が大きい』という話でなければいけないと思う。某政党のようにただ、『九条を守れ』というだけだったら、『押し付け憲法は変えろ』という安倍晋三と、思考停止と言う点では同類じゃん!結局 日本国憲法の行く末は一人ひとりがそういうロジックを自分の中で血肉化できるかどうかにかかっているんじゃないだろうか。

                                                  
                                                             
有楽町で映画『レイルウェイ 運命の旅路
原題は『The Railway Man

                                                                        
舞台は1980年のイギリス北部。ハイランド地方へ向かう電車で知り合った初老の男性ローマクス(コリン・ファース)と結婚したパトリシア(ニコール・キッドマン)。鉄道おたくだが穏やかで優しい彼との結婚生活は楽しかったが、時折 彼は悪夢にうなされていた。日常生活に支障を来すような悪夢の訳を尋ねても、夫は一切語ろうとしない。だが彼女は夫の太平洋戦争当時の戦友から、ローマクスは戦争中に捕虜になった際 日本軍から酷い虐待を受けたことを聞き出す。そんなとき彼は自分を虐待した日本軍憲兵隊の将校 長瀬(真田広之)がミャンマーで生存していることを知らされる。今でも残る戦争中のトラウマで自殺した戦友を見送ると、ローマクスはミャンマーへ出かけていく。
                                                  
主演は『英国王のスピーチ』や『シングルマン』のコリン・ファースニコール・キッドマン、それに真田広之。宣伝なんか見かけない地味〜な扱いだが、豪華スターの共演作。これもまた英国人将校の実話、だそうだ。
                     
前半部はニコール・キッドマンの美しさに魅入られる。この人、本当にきれいだなあ。綺麗すぎてサイボーグみたいで気持ち悪かったりすることもあるんだけど、今作では普通の主婦役だから自然の美を醸し出している。普通のカーディガンを着て座っているだけでも絵になる。コリン・ファースは内向的な鉄道オタク、ぱっとしない初老の男という設定だが、結婚式のシーンだけスターオーラ満開でやたらとハンサムさが際立つ。これもまた眼の保養だ(笑)。前半部は二大スターの豪華な共演をボクは楽しく見ることができた。
●二人合わせてギャラはいくらなんだ?の豪華カップ

                                                                     
それとは打って変わって、主人公が抱えている秘密が明らかになる後半は、強烈な人間ドラマに変わる。
シンガポールで捕虜になり、クワイ川の鉄道建設のために奴隷のように働かされた主人公は、監視の目を盗んでラジオを作ったことで憲兵隊の将校に滅茶苦茶な拷問を受ける。物や水を与えない、虫かごのように狭い露天の檻に炎天下で放置する、水責め、執拗な殴打、腕を折る、映画では直接的な描写は避けているが滅茶苦茶な虐待だ。日本語の怒鳴り声って聞いていて、実に汚らしく感じた。かっての名画『戦場にかける橋』はボクは見たことがないんだけど、この映画で熱帯のジャングルで奴隷のように働かせるシーンを見ただけで犯罪行為であることはよくわかる(実際 国際法違反でもある)。実際は鉄道の建設で約10万人が亡くなったらしいが、この映画で線路の脇に亡くなった大勢の人の遺骨が埋めてあるという描写を見ただけで、まともな話ではない。
                                                               
その主人公と憲兵隊の元将校との50年後の対面がこの映画の見どころだ。
コリン・ファース演じる主人公は、かっての憲兵隊の収容所でガイドをしている元憲兵隊の将校を見つけだし、彼を問い詰める。今は慰霊のためのガイドをしているという元将校は『あれは悲劇だった』と答えるが、主人公は『悲劇ではない、犯罪だ』と言い返す。元将校は反論することができない。かって捕虜になった主人公を『負けたくせに、お前は何で死ななかったのか。俺だったら生きて敵に捕まることはしない』A級戦犯 東条英機が作らせた戦陣訓ですな)と罵っていた元将校は、50年後 主人公に『お前は何故 今 生きているんだ』と尋ねられると答えることができない。元来 戦犯で裁かれるはずだった元将校は降伏時 軍人ではなく通訳の振りをして裁判から逃れていたのだ。
                                                                  
ここでの人物の造形はすごく説得力があるように思える。元将校は前非を悔いて慰霊のために現地でガイドをしている。前非を深く悔やむ、まともな人間ではある。だが彼に自己正当化がないわけでもない。捕虜虐待という誰がどう考えても『犯罪』を『悲劇』と言い換えるのもそうだ。戦後40年、彼はそうすることで生きながらえてきたのだ。人間なんてそんなものだ。絶対的な善人や悪人などめったにいない。絶えず悪と善が心の中でせめぎあって生きているのだ。
だが被害者である主人公は彼を許すことができない。出来るはずがない。かといって現在の元将校に暴力で復讐するわけにもいかない。葛藤しながらも憤怒を抑えきれないコリン・ファースの表情はすごかった。

主人公は元将校を、かって自分が入れられていた虫かごのような牢獄に押し込める。元将校はとうとう『自分をどうとでもして欲しい。私は戦後 誰にもこのことを話すことが出来なかった』と言う言葉を発する。誰にも話すことができない孤独な心は、主人公の戦後の人生と同じだった。ここで始めて、二人の和解の糸口が生じる。加害者と被害者だが、戦争という非道な行為の前では二人とも犠牲者だったことが初めてお互いに理解できたのだ。
●かっての捕虜用の檻に閉じ込められた元憲兵隊将校。狭くて立つこともできない。

                                                                         
エンドロールでは実際の主人公と元日本軍将校の写真が映る。心が通じ合った二人は和解し、死ぬまで親友になったそうだ。
この映画、ボクはかなり面白かった。きれいごとではなく、戦争に正面から向き合って説得力がある人間像を描くことに成功した映画はそれほどあるわけではない。日本人はこういうことをもっと直視すべきだ。もちろん連合軍だって捕虜虐待はやってただろうけど、少なくとも日本軍はナチと一緒で、よその国へ勝手に押しかけて各地で極悪非道なことをやってた、本当にロクでもない軍隊だった。そのことで苦しんだ人がいる。それはもう変えられない。そうだとしたら正面から向き合うことが出来るかどうかだ。過去の行為に正面から向き合うことで、初めて和解ができるだろう。今に生きている人間の価値はそこにあるはずだ。この映画はそういうことを教えてくれる。
地味〜な扱いがもったいない、とても良い映画でした。
●映画公開に合わせて来日した唯一存命の関係者、主人公(原作者)の妻