特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

それでも世界は美しい:『台北の朝、僕は恋をする』

福島第一原発の状況は予想通りというか、やばい状況が少しずつ明らかになってきているようだ。整理するとこういうことなんだろう。
●1号機から3号機まで格納容器もしくはその配管が破損して、高濃度の放射性物質が外部に流れ出ている。プルサーマルの3号機のプルトニウムの状況は不明/未発表
●一度は燃料が露出した使用済み核燃料プールには水は入った。だがそこからどの程度放射性物資が漏れたのかは不明/未発表
●結果として放射能汚染は政府の言っている避難範囲より遥かに広がっている。

これだけでも充分に酷いが、最も酷いのが依然『まともな情報公開がなされていない』ということだ。
事故の状況にしても放射能汚染にしても情報が断片的に伝えられるだけで、どのくらいの範囲で、どのくらいの強さで広がっているのか、継続的なインフォーメーションがない。放射能汚染は文部科学省のシミュレーション結果が一回だけ発表されたが、ドイツの気象庁シュピーゲル誌などはとっくに詳細な拡散範囲の予測を出しているhttp://www.dwd.de/bvbw/generator/DWDWWW/Content/Oeffentlichkeit/KU/KUPK/Homepage/Aktuelles/Sonderbericht__Bild5,templateId=poster,property=poster.gifだから、日本の当局がわかっていないはずがない。

さらにマスコミもひどい。記者クラブ制度の弊害だろう、政府や東電の記者会見でまともな質問が出ないだけではない。
TVでは当初、大学教授やら論説委員が『スリーマイルより事故のレベルは低いから安全だ』と根拠のないことを散々言っていた。汚染が発覚し状況がひどくなってきたら『放射能汚染はレントゲンやCTより遥かに低いから「直ちに」健康に被害は出ない』と言い出した。一瞬で照射が終わるレントゲンと1年中浴びることも覚悟しなければならない原発からの汚染と同列で比較してどうするんだよ。
それに「直ちに」というのも問題だ。放射能でガンや白血病の影響が出るのはおおよそ20年後だそうだが、それをみんな心配しているんだっつうの。
こういうマスコミ報道も汚染って言うんじゃないのか。
考えうる最良のケース、事故が沈静化してこれ以上放射能汚染が広まらないとしても、福島第一原発の周囲20キロか30キロか80キロかは今後何年も(30年?)も人は住めないし、もっと広い範囲で農業、畜産業はアウトだろ、どう考えても。それを前提に被害を受けている人の対策を立てなければ、それこそ2重、3重の悲劇が起きる。

『今は原発事故の解決が先決で政府や電力会社を責めている場合ではない』とか言っている奴がいるが、とんでもない話だ。勿論 現場で頑張っている人たちには本当に頭が下がる。だが、それと現実に向き合うこととは別だ。(海水注入が遅れたり、米軍の協力を断ったりしたのを筆頭に)既に散々ミスっている事故への対処のために、そして事故の再発を防ぐためにも、起きている事故のありのままの実態、原因、そして対処方法を議論するのは当然のことだろう。

今は現実を直視して、その対策を考えるときなんだよ。『日本はチームだ』とか『団結だ』とか言う気持ち悪いCMがやたらと流れ始めたが、そういう根拠や具体性のない精神論は戦時中に『鬼畜米英』とか『竹やりでB29を落とせ』とか言ってたのと大した違いはないではないか。



新宿で『台北の朝、僕は恋をするhttp://aurevoirtaipei.jp/。監督アーヴィン・チェン、ヴィム・ヴェンダースがプロデュースした、台湾映画。
台北に住む若い男の子。恋人を追ってパリに行きたいのだがカネもなく、毎日 書店でフランス語会話の本を立ち読みしている。パリ行きの費用を稼ぐため運び屋の仕事を請け負うが、街のチンピラとのトラブルに書店の店員の女の子と一緒に巻き込まれる。そんな話だ。

音楽の使い方がとてもうまい。お話の展開の中でラグタイム風のテーマ音楽が度々繰り返されるのだが、その跳ねるようなリズムにシンクロして話は進んでいく。
お話のプロットは荒削りだが凝っていて、登場人物の何人かは実は恋人に去られた主人公と同じような境遇だったり、タクシーで去っていく恋人を男の子が見送る冒頭のシーンが、終盤にはタクシーで去っていく男の子が今度は女店員に見送られる、というシンメトリーな構成になっていたり、する。

そういう凝ったところとは対照的に、映画の雰囲気はのんびり、のほほんとした空気が溢れている。
まず主演の男の子と女の子の顔が良い。男の子は台湾風草食男子と言うかボケてると言うか、ガツガツしていなくて好感が持てる。そして女の子、アンバー・クォ嬢はまばゆいばかりに可愛らしい。
主人公の友人を誘拐したチンピラが、いつの間にか、人質と餃子を食いながらマージャンをしたり悩み相談を受けたりするシーンも楽しい。
ここにいるのはボンクラばかり(笑)、根っからの悪人が居ないのだ。見ていて嬉しくなってくる。

『(500日)のサマー』や『モテキ』(祝映画化)で描かれたダンスシーンを援用したようなエンディングは素敵だ。弾ける様なリズムに載せながら踊る主人公二人の笑顔は、自然な喜びが溢れてくるようで本当に素晴らしい。


台北の朝、僕は恋をする』は今 この時にぴったりな作品だ。見ることができて本当に良かった。
だって、この映画が述べているのはこういうことだから。
それでも、世界は美しい、と。