特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

ヴェトナムからも、沖縄からも、遠く離れて:映画『フタバから遠く離れて』

今日発表された日銀の地域経済報告によるとリーマンショック以来の景況の落ち込み、だそうだ。言わんこっちゃない。世の中の動きのあまりの早さに眼が回るようだ。こんな状況でも日本の政治家は国民の安全を守ろうともしなければ、景気について真剣に考えもしない、国会すら開けないんだから、あきれ返るにもほどがある。これなら犬やパンダに総理大臣になってもらったほうがマシ、っていうのは聞き飽きたかもしれませんが(笑)、少なくとも こいつらは要らないってことだけは確かだろう。
                                                                                                    
渋谷でドキュメンタリー『フタバから遠く離れて

3・11の事故でフクシマ原発の5号機、6号機が立地していた双葉町は住民約1423人が行政ごと、埼玉県の廃校に避難することになった。その避難生活9ヶ月を描いたドキュメンタリー。エンディングテーマは坂本龍一が担当している。もちろん映画の表題はヴェトナム戦争当時のゴダールらのオムニバス『ヴェトナムから遠く離れて』から来ているのだろう。

原発が爆発した際 双葉町には様々な破片が降り注いだという。双葉町は全員で避難することを決断したが、国は放射性物質の拡散情報を流さなかったため、住民は高濃度汚染地域へ避難して被爆する結果となってしまった。最終的に彼らは250キロ離れた埼玉県の廃校に避難する。

TVニュースなどで避難所の映像が流れたことはあるが、じっくり見ると、その暮らしの大変さは想像以上だ。寝床は教室に畳を引いた上に布団を敷いたもの、仕切りもなく男女の別もない雑魚寝だ。食事はお弁当が配られるが、食堂などはないから布団の上に新聞紙を敷いて食卓代わりにして、食べる。
そんな生活が何ヶ月も続く。
TVの前で『体調を崩して現地へお詫びに行くことができなかった』と頭を下げる東電の清水社長の姿を見ながら、ある住民は『(私たちは)口では怒ってないけれど、腹の底で怒っている』という。舩橋監督は内部はマスコミお断りの避難所に足しげく通い、ボランティアもしながら信頼関係を築くことで住民たちのそんな本音を聞き出すことに成功したという。
●食卓風景
                                                                            
劇中 双葉町の井戸川町長は率直にインタビューに応じている。双葉町は70年代に原発を誘致して、その補助金が町の税収の半分を占めるようになり、様々な公共施設を建設した。原発の下請け雇用で出稼ぎもしなくて済むようになった。だが原発の償却がすすむとともに税収も減っていく一方、施設の維持費は残ったから、事故前には双葉町は全国ワースト10に入る赤字財政になっていたという。行き詰った井戸川町長は原発の新規増設を誘致し、予定では2011年4月から7号機、8号機の建設が始まるところだったそうだ。
事故直後は依然原発の推進を公言していた町長は秋になると、原発誘致は間違いだった、と述べる様になる。
                                                    
だが原発誘致を反省すると言っても簡単な話ではない。住民の中には新聞を読んでも意味がわからないおばちゃんも居るし、多くの住民が仕事がなくて困っているのも事実だ。ちなみに国の安全宣言は信用できないとして、町機能の福島県内への帰還を拒否している井戸川町長は今、議会から不信任を突きつけられそうになっているらしい。
                                
町民の一時帰還にもカメラは同行している。以前 津波に流された仙台沿岸部をこの眼で見た際 壮絶さに驚いたことがあるが、延々と完全な廃墟が拡がる双葉町の光景はそれ以上でもう、言葉もなかった。高濃度の放射線の中で簡単な防護服に身を固めた町民の人たちは瓦礫や水溜りに触れないようにしながら、廃墟や崩れたお墓に花を手向け、自分の家からわずかばかりの思い出の品を持ち出す。
●背後に広がるのは見渡す限りの廃墟

                                 
映画で描かれた政治家の酷さは想像以上だった。全国の原発立地の首長と電力会社、それに細野、枝野が出席した会合にカメラが入っていたが、彼らは冒頭に挨拶して直ぐ退席してしまう。あとに残された空っぽの席に向かって井戸川町長が窮状を訴える発言をするのをカメラは見事に捕らえている。
自民党政治屋どもも酷かった。フクシマ第一原発周辺の住民がいっせいに上京してデモを行った際、コース上の自民党本部前で自民党の議員が数十人、彼らを拍手して迎える。住民たちの何とかしてくれという声には答えようとせず、彼らはただ、握手をするだけだ。デモのあと、住民のおばちゃんたちは『あの人たちは何故 拍手をしていたんだ』と怒っていた。まるで記念写真を撮るかのように『自民党』と言う襷をして本部前にずらりと並んだ議員共の姿を見ていたら、思わず『ラク』という言葉が頭に浮かんだ。
                                                                                                      

映画が終わった後 監督と東大の高橋哲哉教授とのトークショー

犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書)

犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書)


犠牲のシステム 福島・沖縄』を書いた高橋教授はフクシマ第一4号機があった富岡町の出身だそうだ。沖縄の基地も原発も、不都合なものを都会から見えない遠隔地に追いやる差別の構造だとする教授は、それでも住民の意志で原発の立地を拒否したいくつかの町を挙げて、そこに希望を見出したい、と述べていた。
勿論 銃で強制的に基地を建設された沖縄と補助金に釣られて原発を進んで受け入れた地域とは根本は異なることも忘れてはならないのだけれど。
                                                                                           

映画の撮影が始まった当初、1423人だった双葉町の避難民は秋には約700人程度になる。新しい職を見つけた人も居るし、引き続きフクシマ第1で復旧作業に当たる人も居る。だけど今までの生活は帰ってこない。
映画は原発の賛否などは論ぜず、淡々と住民の生活を描いている。それがより一層 強い印象を残す。誰もが双葉町の人々と同じ体験をすることはできないし、そういうことはあってはならない。たとえフクシマからも、沖縄からも遠く離れていても、明日は我が身かもしれないし、自分の同時代にこういうことが起き、今も続いているということに対してボクは恥ずかしさを覚える。
●避難所の七夕飾りにはこの子どもたちが書いた『放射能がなくなりますように』と言う短冊が何枚もかかっていた。

先週、今週と続けて官邸前抗議でスピーチに立った舩橋監督は『避難所には依然 100人以上の人が残って暮らしている』と言っていた。監督は今も避難所でカメラを回して続編を作っているそうだ。