特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

1978年/2009年:ミルク

 映画『ミルク』(原題 MILK)http://milk-movie.jp/enter.html ショーン・ペン主演。アカデミー主演男優賞、最優秀脚本賞受賞。
史上初めて自分がゲイであることを公言してアメリカの公職に当選した、サンフランシスコの市政執行委員ハーヴェイ・ミルク(いつからハーヴィー・ミルクになったんだよ)の半生を描いた、そんな話だ。
 市政執行委員というのは、日本で言うと市議会議員みたいなものらしい。ミルクのことは知識としては知っていたし、ミルクが暗殺された当時 サンフランシスコに住んでいた知り合いが、不当に量刑が軽い犯人の裁判で怒っていたこともよく覚えている。
 それにしても映像の力というものは強い。映画では実際にミルクが使用していた事務所を撮影に使うなどリアルさにこだわったということもあるだろうが、 30年前の出来事がまるで最近 起きたことのように思える。
 サンフランシスコに移る前、ニューヨークに住んでいた当時のハーヴェイ・ミルク、『40歳を過ぎても僕には、他人に誇れるものは何もない』と恋人に言っていた寂しげな彼が、政治活動を始めることで変わっていく。良くも悪くも手練手管も覚えた政治家にもなっていく。題材が題材だから、ゲイであるミルクのラブシーンも描かれる。『ミルクのプライベートの描写が絶対に必要だ』と主張したというショーン・ペンはそれをきっちり演じている。相手の口に舌も入れている(笑)。自分の性的嗜好に関係なく観客はそれを直視しなければいけない。それが彼の熱演に対する礼儀というものだ。
 今回、そのショーン・ペンが監督した『イントゥ・ザ・ワイルド』の主演エミール・ハーシュくんが出演している姿には驚いた。さらさらヘアーで爽やかだけど内省的なハンサム青年が、今度はくるくるパーマにサングラスでメガホン持った、戦闘的なゲイの活動家役だ。びっくりしたが、凄い。殺害犯ダン・ホワイト役のジョシュ・ブローリン(『W』のブッシュ役も楽しみ)も、ミルクの恋人役のジェームス・フランコもハッキリ言って最高。
 衣装も良い(これもアカデミー衣装デザイン賞ノミネート)。特にスーツ。ちょっとクラシックなモードであるラルフ・ローレンなどが台頭した70年代後半を再現したというだけでなく、その重厚さはショーン・ペンがまるでフランク・キャプラの映画の中のジェームズ・スチュワートのように見えたくらいだ。

 たった30年前、しかもサンフランシスコですら、ゲイというだけでこれほど差別されていたのか と正直、思う。
 サンフランシスコと言えばもともとリベラルな風土だし、それこそゲイの人たちが文字通り 市民権を持っているという印象がある。『YMCA』のヴィレッジ・ピープルとか、ちょっと前にTV東京で放送されていたサンフランシスコを舞台にしたTVドラマ、ドン・ジョンソン主演の『刑事ナッシュ・ブリッジス』なんか、やたらとゲイの登場人物が多かった。
そのようなサンフランシスコの人間の多様性を重んじる風土は、ハーヴェイ・ミルクらの活動によるところが大きかったのだと改めて認識した。
 映画の中で、ある少年に関するエピソードが何回か挿入される。ミネソタに住む下半身不随の彼は、障害者であり、ゲイでもある自分に絶望して自殺しようとする。しかし彼はミルクの立候補のニュースに励まされ保守的な田舎から西海岸の都会へ出てくることで自分を取り戻す。ミルクは彼に対して電話で何回か話しただけだ。だがカミングアウトして世の中と闘うミルクの存在自体が、絶望していた彼を救うのだ。

 ショーン・ペンがとても印象的な笑顔を浮かべているシーンがある。宣伝チラシにも使われている、ミルクが当選したあとの誕生パーティのシーンだ。そこでの彼は政治家というより、無邪気で無防備で、まるで御伽噺の主人公のような顔をしている。その姿を見ていると救われたような気分になる。無邪気に、無防備に、生きていてもいいんだ、と励まされるような気がする。ジョージ・ロイ・ヒル監督、ジョン・アーヴィング原作の名画『ガープの世界』でロビン・ウイリアムズ(当初ミルク役は彼がキャスティングされていたらしい)が演じた主人公ガープと同じだ。そう言えばガープも自傷で障害を負った人を救援するための政治的な活動を始めた瞬間、狂信的なフェミニストに殺されるという設定だった。

 ガープの原作が発表されたのも、ミルクが暗殺されたのも、同じ1978年。
ミルクを悼んでサンフランシスコに湧き起こったキャンドル・パレードのシーンは感動的だ。1978年当時 実際に行われたパレードの様子も挿入される。それが映画で撮影されたシーンと同じなのには、驚くと同時になんとも言えない感情がこみ上げてくる。今回の撮影には当時ミルクに関わっていた人も数多く エキストラとして参加したそうだ。
その他のシーンでも当時ミルクに関わっていた人たちがパーティやデモのシーンで何人も出演している。やはりゲイである監督のガス・ヴァン・サントもプラカードを持ってデモ隊に加わっているそうだ。
この映画は何故 こんなに関係者のエキストラが多いのだろう?彼を悼むためだけなのか?僕はそうは思わない。
たぶん 彼らはこう言いたいのだ。
ハーヴェイ・ミルクのような存在は2009年(アメリカでの公開は2008年)の今でも必要なのだ
 それは残念なことでもある。でも事実、だ。現にこの映画は日本でも映倫の視聴制限がかかっている(アップリンク浅井隆氏が指摘するまで気が付かなかった)。だが蛇足を承知で付け加えるなら、この映画が製作され上映されたことでハーヴェイ・ミルクは現代に蘇った、と思う。
 ハーヴェイ・ミルク、それから、(日米の)この映画の関係者、ありがとう。