特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

''Old School''(グラン・トリノ)

クリント・イーストウッドの『グラン・トリノhttp://wwws.warnerbros.co.jp/grantorino/#/top
妻を亡くして孤独になった頑固・偏屈爺さんが、隣に越してきたラオス少数民族モン族の姉弟と徐々に心を通わせていく、そんな話だ。
いわゆるイーストウッドお得意のUnforgivenもの。爺さんは朝鮮戦争で若い敵兵を殺したことでトラウマを受け、老境に至った今も自分で自分を許すことが出来ない。その頑なさはまるでスプリングスティーンの’’The Wrestler’’の主人公をそのまま映画にしたみたいだ。劇中 ある神父が彼を評して、こう言う。『あなたは生よりも死のほうが詳しい』。

 ストーリ−は最初から想像できるし、俳優イーストウッドの像とも重なる主人公の爺さんのユーモアと愛すべき偏屈さで後半まで引張っていく演出も判っているんだが、どうにも画面に引き込まれてしまう。イーストウッドだけでなく、主人公の飼い犬のラブラドール・レトリーバーくん(いつもと様子が違う主人公をバスタブの外から見つめる彼の表情は凄すぎ)、主人公に懺悔を勧める若い神父、モン族の人々など登場人物がどれも魅力的なのだ。特に姉役の娘は勝気で利発で鼻ぺちゃで(笑)、文字通りチャーミングだ。だから終盤 彼女に起きた事件では見ている側だって文字通り『ぶっ殺してやる』と思うくらい(笑)感情移入してしまう。

 そしてイーストウッドの皺を刻んだ顔、伸びた背筋。
劇中’’Old School''という言葉が頻発される。アメ車の最後の輝き?フォード・グラン・トリノだけでなく、郊外の一軒屋を毎日手入れするライフスタイル、缶ビールをがぶ飲みし男同士で猥談に興じる爺さんのマッチョな嗜好などが執拗に描かれる。時代の移り変わりのなかで滅びつつある’’Old School''を代表するような爺さんが、モン族の人々に触れることで再び活力を取り戻していく姿がとても面白かった。異文化と触れ合うことで自分も活力を取り戻していく様は高齢化社会になりつつある日本にも通じるのではないだろうか。アメリカでは人口減に悩む地方都市が東南アジアなどから移民をまとめて受け入れているそうだが、日本も地方の人口減とか衰退するシャッター商店街を本気でなんとかしたいんならデメリットや摩擦を恐れず、それくらいのことはやらなきゃダメだろう。まあ、とても、そんな根性はあるまいが(笑)。
 主人公は活力を取り戻すだけではない。変わっていく。当初は黄色人種を『米つきバッタ』(うまいね)と呼び、黒人、ユダヤ人、イタリア系、要するに自分たち以外の全ての人種を罵っていた爺さんは、最後には『バカな白人』と自分たちのことまで悪態をつけるようになる。
 人生を締めくくる老人の物語は、当初おどおどして引きこもっていた姿とは見違えるようにたくましくなった少年がグラントリノを運転する光景を描きながら、終わる。物語の語り口も文字通り’’Old School''だ。淡々と海辺を描くエンドロールはとても美しい。
ただ、このとき後ろの席でガサゴソ袋に手を入れ、ポップコーンを食べだした中年夫婦がいた。正直 ここまで無神経で低脳な人間がいるのかと思った。インチキ三国志だの、(知能が)ドロップなど、白痴そのもののゴミ映画とそれに引き寄せられて湧いてきたボウフラのような人間で溢れているシネコンなんかで見たのが悪いのかもしれないが。
 そういう意味でもハードボイルドを貫くイーストウッドの手法は、醜悪な世界に対抗する方策として正しい。

 グラン・トリノは何と表現したらよいかわからない、こんな立派なものをお金を払って見てしまっていいのだろうか、と思えるくらいに完成度が高い、素晴らしい映画だ。イーストウッドは一見 超保守的な、古いアメリカ的な価値観を表面に出しつつも、実はそれとは対極的な、リベラルと言ってもよい未来を向いている。リバタリアン左派とでも言ったら良いか。でも、その世界でも、人生のほろ苦さは決して消えることがない。