特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

沖縄・フクシマ・路地 (2)

夏休みのノンフィクション3冊目は上原善広の『日本の路地を旅する』

日本の路地を旅する

日本の路地を旅する

路地とはいわゆる被差別部落のことで、自分も出身者である著者が全国各地の路地を巡り歩くというルポ。テーマがテーマだけに正直、手にとるまで中々気が重かったが、読み始めたら面白くて一気呵成に読み終えてしまった。

路地は全国各地にあったが、近年は地域によっては眼に見える形での路地は消えつつあること。もちろん差別に苦しむ人たちは今も居る。
残っている路地の人たちも一枚岩ではなく、積極的に差別に反対していこうとする側といわゆる寝た子を起こすなという側に分かれていること。路地の人たちをサポートするための同和措置対策法で利権や堕落も発生したこと。


著者はアンビバレントな想いを抱きながら各地を訪ね、文字通り自分の身を削るかのように話を聞く。
長崎で出会った不動産業の若者は著者に向かって明るく言い放つ。『自分は部落出身で被爆者でしょ。もう敵なしですよね。まさにサラブレッド』。
目の前でそんな話を聴かされたら、ボクなんか何も言葉を返すことも出来ないまま、ただ頷くことしかできないだろう。


このルポはそういうエピソードを挟み込むように、冒頭には自分の出身地を描き、終章で肉親を訪ねて最果ての地を訪れる、シンメトリーな構成になっている。客観的なルポなんだけど、著者は自分が当事者であることから逃げていない極力自分の感傷や判断を抑えながらも、自分が感じた想いや迷いも隠さない。
そこがいい。

ついでに国語の教科書に載ってもおかしくないような、簡素で平易な文章もうまい。
『現代に被差別部落があるかといわれれば、もうないといえるだろう(略)。いったん 事件など非日常的なことがおきると途端に被差別部落は復活する。被差別部落と言うものは人々の心の中にくすぶっている爆弾のようなものだ』


心の中にくすぶっている爆弾のようなもの、それは被差別部落だけでないと思う。それは何なんだろう。そして何故、そういうものが生まれてくるんだろう。
昨年の大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した本だそうだが、本当に素晴らしい作品だった。
このルポが今も連載されている雑誌『実話ナックルズ』は今まで全く縁がなかった本だけど、それも読んでみようかと思うくらい(笑)。
●これじゃあ、買うのに勇気が要る(笑)

実話ナックルズ 2011年 09月号 [雑誌]

実話ナックルズ 2011年 09月号 [雑誌]


沖縄・フクシマ・路地には共通するものがある。どれも人が嫌がることを押し付けられた地域である、ということだ。
沖縄は基地、フクシマは原発、路地は古くは警察や刑場のオペレーション、近世は肉や皮革の加工といった、どれも人が嫌がることを押し付けられた地域だ。 佐野真一なんかの言い方だと(フクシマや沖縄は)戦後高度成長の犠牲になった地域、ということになる。
だが、それだけではない。
人間はバカではないから、押し付けられる側もそこからメリットを得ようとする。時には自分から受け入れたり、もする。佐野眞一が書いた双葉町が良い例だ。それを利権と言って一刀両断するのは簡単だけれど、既にそこに生活を依存している多くの人が存在するのなら、利権構造を一気に叩き壊すべきだと簡単に言い切ることは難しい。所詮は特定の価値観に基づいたものに過ぎない『正義』とか『イデオロギー』なんかより、実際の人々の命や生活のほうが重要だ、と思うからだ。*それでも、例えば原発事故はあまりにも多くの人、それに何の責任も無い子供や動物に多大な害悪を与えているのだから、原発交付金をもらえなくなる人の生活を守るために原発も続けろ、ということには勿論、ならない。

原発にしろ、沖縄にしろ、路地にしろ、一方的に糾弾するだけでなく、それを受け入れた人も居るということも理解する、少なくとも理解しようとしなければ、問題を解決するスタートラインにすら立てない、と思うのだ。どんなものにも理由があるし、たいていの物事には裏と表があるんだし。



そのためには、あくまでも個人としての立場に立ち続けて考え、判断していくことが必要なんだ、と思う。国や官僚、専門家の言ってることは耳は傾けても盲信なんかできないし、へんなリーダーもどきにも頼ってられない。イデオロギーも要らないな、思考停止しちゃうし。


政府や大手マスコミが安全デマを流し、せわしなく生活に追われている今の世の中で、そういうスタンスをとっていくのは実はすごぉく難しい


それはこういうことだと思う。あくまでもイメージだけど(笑)。
ある方(申し訳ないが失念してしまった)がブログで紹介していた小冊子の表紙。この写真を見て欲しい。

小冊子『熱風』 - スタジオジブリ出版部
多くの人が良く知っている、頑固で偏屈そうな爺さんがデモ行進している。堂々と胸を張って意見を表明している。団体で大声を張り上げているわけでもなく、人数もたった3人しか居ない。だけど、犬だって一緒だ。
今の日本にはロクでもない総理大臣(&候補)や人でなしの都知事しかいないけれど、それでも、これなら捨てたもんじゃない。ボクは宮崎駿の信者でもなんでもないけれど、この写真を見て、嬉しくて涙が出そうになった。