特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

マカロニ・ウェスタン+三里塚闘争:映画『ジガルタンダ・ダブルX』

 今日で9月もおしまい。
 イスラエルがどんどん戦火を拡大しています。収賄、背任、不正行為で起訴されているネタニヤフの政権延命のため、でしょう。
 これで中東一帯に戦争が広がったら、世界中がとんでもないことになります。

 石破は閣僚人事だけでなく選挙の日程まで決めたようですね。まだ総理大臣にもなっていないのに(笑)。

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 いつも、口先だけの石破の面目躍如です。

 ただ、石破の人事を見ていると、八紘一宇とか言ってるマジの狂人も含まれていますが、

 官房長官の林や総務大臣村上誠一郎など、自民党にはそれなりに人材がいるなあと思います。村上の入閣にはバカウヨや統一教会が発狂しています。

 これが選挙までの短命内閣だったら笑いますけど、少なくとも自民党は目先だけでも変える力はある。今まで野党の顔触れや主張が60年代初頭からの反米愛国(笑)から何か変わったことがあるのかって話です。
 変わればいいってもんじゃないけど、環境に応じての変化、というものは必要です。最近の大学生が『最も保守的な政党は共産党』と思っているのはもっともな話です。

 そのこと一つとっても、今の野党に政権担当能力なんかないことがわかります。特に共産党野党共闘どころか、各地で特攻みたいな単独立候補を進め(笑)、着々と自滅の道を歩んでいる。

 自民党の方も80を超えている森、麻生、二階は力を失い、残ったのは菅と岸田だけ。76歳の菅はもうボケているんじゃないか、と記者の間では言われていますから、大した力は持てないでしょう。

 今回の総裁選の真の勝者は岸田かもしれません。

 赤旗が見つけた裏金の詳細を朝日にリークして各派閥を潰した件といい、岸田は案外 政争はうまい。

 この権力への執念と現実性は野党も学ぶべきところだと思います。じゃなきゃ、いつまでたっても政権は取れないし、取っても維持できない。
 石破にはただ、今までの私怨を晴らすための安倍派潰しにだけは期待します(笑)。

 それ以上はお願いだから何もしないでくれ。国民も政治家もバカばかりなんですから。

 頭悪い奴がイキって『改革だ』とか言い出すと、ますます日本の衰退が進むだけです。安倍晋三に日本をめちゃくちゃにされても、まだ懲りないのでしょうか。


 と、いうことで、池袋で映画『ジガルタンダ・ダブルX

 舞台は1970年代前半のマドラス。警察官採用試験に受かったばかりのキルバイは血を見ると気を失う小心者。彼は身に覚えがない殺人事件に巻き込まれ、自身が牢に繋がれることになる。彼は悪徳警視ラトナに脅されて、無罪放免と引き換えに犯罪組織の親分シーザーを暗殺することを命じられる。ラトナは象が密漁されている森に派遣された警察の指揮官で冷酷非道な男。その兄のジェヤコディは次期州首相の候補と噂されている。一方シーザーは地元出身の野心的な有力政治家カールメガムの手足となって非合法活動を行っている。
 シーザーに近づくために、キルバイはインドの伝説の名監督サタジット・レイ門下と偽り、シーザーを主演にした映画の監督の公募に名乗りを上げる。クリント・イーストウッドの西部劇が大好きなシーザーはキルバイを抜擢、彼をレイ先生と呼び、映画作りを始めるが。

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 ジガルタンダとはなかなか発音しにくいですが、南インド、タミル地方にあるアーモンド樹脂を使ったアイスクリームシェイクの事だそうです。映画にも出てこないし、お話にも全く関係ない。監督はジガルタンダみたいな映画にしたかったと言っているようです(笑)。


南インド・タミルの飲みもの「ジガルタンダ Jigarthanda」ってなぁに? | AROUND INDIA アラウンドインディア

 1970年代のインド南部タミル地方を舞台に描く人間ドラマ。どんな話かというと『夕陽のガンマン』+『三里塚に生きる』+『侍タイムスリッパー』、そんなところでしょうか。全然意味は分からないと思いますが(笑)、本当にそうなんです。

 強いて言えば、映画の冒頭に流れる台詞『お前が映画(アート)を選ぶのではない。映画(アート)がお前を選ぶのだ』、その通りの映画です。

 主人公のキルバイは警察官の採用試験に受かったばかりです。気が弱くて血を見ると卒倒するような男ですが、彼女と結婚するために安定した職に就きたかったのです。ところが殺人事件を目撃して現場で卒倒してしまい、逆に犯人にされてしまいます。

 警察は完全に腐敗しており、一般市民を拷問して罪人に仕立て上げるようなことまでしています。警察はキルバイに、自分たちに従わない地域のギャング組織のボス、シーザーを殺せば、キルバイを無罪放免することを約束します。

 シーザーという男はとにかく滅茶苦茶強い。それだけでなく人を殺すことを何とも思っていません。何かあるととりあえず殺す、そういう人物です。

 シーザーはクリント・イーストウッドの『夕陽のガンマン』が大好きで、映画館まで作ってしまい、夕陽のガンマンのフィルムを流しながら人を殺すのが趣味(笑)です。それだけでなく自分が主演の映画を作ろうとしています。

 度胸も腕っぷしも全く自信がないキルバイはインドの名監督、サタジット・レイの弟子と称して、シーザーに接近します。

 キルバイはシーザーと行動を共にして彼の行動をカメラに収めます。でも、死ぬほど強いシーザーを殺すチャンスは中々ありません。

 そればかりか、人を殺す以外は純粋で一本気な、そして情に厚いシーザーのことが段々好きになってきます。

 キルバイはシーザーに『お前の人生を映画にするためには善行を積まなければ、お話にできないじゃないか』と説得します。

 そこで、シーザーは山中奥深くに住む部族を苦しめている象牙の密猟者を捕らえることにします。

 ところが、警察には密かに州政府からの命令が出ていました。一見リベラルに見える州政府の女性首相はシーザーが生まれ育った山の部族から土地を取り上げ、再開発を目指す資本家に売り払おうとしていたのです

 部族たちは慣れ親しんだ土地を奪われたら生きていけません。ここからお話は権力の横暴と対峙する民衆の話に変化します(笑)。三里塚原発立地のお話のようです。

 山の部族には戸籍もなければ文字も読めません。マスコミの目も及ばない。それだったら何をしても大丈夫、とばかりに、警察は武装した大部隊を山中に派遣します。シーザーも部族もまとめて抹殺するためです。

 果たしてシーザー、キルバイはどうなるのでしょうか。いや、どういう行動を選ぶのでしょうか。
 逃げて命を長らえる代わりに土地を明け渡すのか、命がけで重武装の警官隊と戦うのか、それとも他に道があるのか


 インド映画の常で少々内容を詰め込み過ぎではあります(笑)。
 前半は犯罪アクション+脱力コメディ、中盤はヒーロー活劇、終盤は突然 政治の腐敗を追求する政治劇になります。インド映画ならではの歌や踊りはもちろんです(笑)。ただ、この映画の場合、歌や踊りは必然性があります。

 中盤以降は全く息つく間もありません。
 『貧者の友』と称する政治家がデマで大衆を操っているさまは日本やアメリカ、欧州でも同じです。だからボクはネットに溢れているデマは頭にくるんです。

 宝塚で舞台にもなったほど大ヒットした、インド南部で作られた数年前のウルトラ大傑作『RRR』もそうでしたけど、社会主義的な政策と専制的な政治をミックスした政治+露骨な地元びいきを続けるインド西部出身のモディ首相に対して、他の地域の人はかなり頭にきているのが判ります。
 インドの政情のことは判らないけれど、世界最大の民主主義国家を統治するのはさぞや、大変なのでしょう。

 社会の目が行き届かなければ、社会が不条理に無関心になってしまえば、権力が何をするか。
 武装した警察に囲まれたシーザーと部族が敢えて選んだ行動には度肝を抜かれます。そして、キルバイは自分に唯一できること、つまり芸術で権力と戦おうとする。
 このシーンだけでこの映画はお釣りが百万倍返ってきます。安易に非武装中立論とか言ってる奴が土下座して逃げ出す感動的な描写です。これには涙が止まりませんでした。

 単に権力の腐敗を訴えるだけでなく、映画(芸術)はなんのためにあるのか。歌や踊りの存在意義は何なのか、この映画は雄弁に語っています。

 それを前半はコミカルに、終盤はシリアスに語っているのだから、お見事としか言いようがありません。傑作ではあるけれど怪作、怪作ではあるけれど感動的な傑作であることは間違いありません。
 粗削りだけど、物凄いエネルギーです。この映画も口コミが口コミを呼んで、拡大公開中です。先週ご紹介した『侍タイムスリッパー』同様、これもまた、すごい映画でした。


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