特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

魔法を信じるかい?:映画『侍タイムスリッパー』

 楽しい3連休の最終日、だいぶ過ごしやすくなりました。

 今朝はちょっとびっくりしたニュースがありました。
 保守の立場で論陣を張っていた文芸評論家の福田和也が亡くなっていたんです。同じ高校の同級生です。

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 ボクなんかは高校の時から旗色鮮明で(笑)、言ってること(右も左もバカは大嫌い、組織は一切信じない)は今も殆ど変わりません。高校の時の福田は別にウヨでも保守でもなんでもなかった。
 それが大学に入って江藤淳に取り入るようになって急に保守を自称するようになった。ウヨと言っても江藤淳の弟子だから、もうちょっとはまともなんでしょうが、いわゆる商業保守です(笑)。

 同級生の間ではノンポリだった福田が江藤淳に取り入ると共に急激に右翼化したのを見て、『ウヨっていうのはこうやって出来あがるのか』と言われてました。商売が大事、なのは右も左もありません(笑)。

 福田自体とは付き合いもないし関心もないですが、同級生が死んでいくのを見るのは考えさせられるものがあります。明日は我が身です。
 福田は酒ばっかり飲んで以前から身体を悪くしていたみたいですが、死ぬのはまだ早い。仕事をリタイアしてからが人生の本番、ボクはそう思っています(笑)。

●同じウヨでもイタリアと日本では随分違います。

 ま、現実を鑑みればこういうこと、なんでしょうね。


 と、いうことで、日比谷で映画『侍タイムスリッパー

 舞台は幕末、京都。剣豪として鳴らす会津藩士・高坂新左衛門(山口馬木也)は、長州藩士を襲撃するように命じられて刃を交えることになる。ところが落雷に打たれて気を失う。目を覚ますと、新左衛門は現代の時代劇撮影所にいた。混乱しながらも、江戸幕府が既に滅んでしまったのを知って愕然とした新左衛門は死を覚悟するが、自分を助けてくれた映画の助監督優子(沙倉ゆうの)の落ち目の時代劇を盛り立てようと懸命な姿に励まされ、この時代で生きることを決意する。自分には剣の腕しかないと、新左衛門は撮影所で斬られ役として身を立てていくが。

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 監督は京都市伏見区で幼稚園や結婚式のビデオ撮影業を営みながら、米作をしている安田淳一氏。監督・脚本・撮影・照明・編集など11役以上を一人で務めた自主製作映画です。

 ともかく、時代劇は金がかかります。セットも衣装もどうするんだ。自主製作の時代劇なんか殆ど聞いたことがありません。

 この映画は監督が文字通り私財を投じて作った個人製作にも関わらず、脚本を読んだ東映京都撮影所が感動して特別協力。無料で撮影所を貸し出しただけでなく、殺陣師や床山など実際に時代劇を支えてきたベテラン裏方たちが大勢、参加しています。

 当初は上映できるかどうかすら危ぶまれていたそうです。東京も最初はたった一館でしたが、口コミで評判が評判を呼び、先週から全国100館以上で拡大公開されています。


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 時代は幕末、決闘のさなかに現代へタイムスリップしてきた高坂新左衛門。気が付いた場所は時代劇で有名な東映の京都撮影所でした。
 新左衛門にとっては何となく馴染がある光景ですが、やはり違っている(笑)。やがて撮影所の外へ迷い出て見つけた博物館のポスターで、自分が命を懸けて守ろうとした江戸幕府が140年前に滅んでいたことを知って、新左衛門はショックを受けます。

 お話はコメディタッチです。
 虚実が入り混じった語り口が独特です。虚の存在である撮影所に、タイムスリップしてきた本物の侍が入り込む。この違和感が面白い。

 侍を演じる山口馬木也はここではまるで本物の侍に見えます。『剣客商売』などのテレビドラマに出演してきた時代劇専門のベテラン俳優だそうですが、殺陣も所作も美しい。こんなきれいな正座をする人は初めて見ました。

 実際の江戸時代の人を見たことはありませんが(笑)、江戸時代から来たといわれても納得してしまうくらいの説得力があります。

 

 だから、観客ははらはらしながら新左衛門を見ることになります。現代にタイムスリップしてきた江戸時代の男はどうなってしまうのか。

 新左衛門を救ったのは時代劇の助監督、優子でした。助監督といっても何でも屋の小間使いです。しかも男性社会である時代劇の世界、その中で『いつかは自分で時代劇を作りたい』と孤軍奮闘する優子の姿に、新左衛門は侍の面影を見ます。

 その姿に励まされ、新左衛門は新しい時代の中で生きていくことを決意します。幸い剣の腕には覚えがあります。撮影所の中で切られ役として生きていこうというのです。

 

 真剣を捨て、竹光刀に握り替えた新左衛門ですが、やがてどうしても再び真剣を握らなければならなくなる事情が持ち上がります。

 この映画、なんでこんなに引き込まれるのか、自分でも不思議でした。ほのぼのした雰囲気と本当に殺し合いをしているのではないかとも思える緊迫感が共存している。
 役者さんたち、特に撮影所の登場人物が異様に良い顔をしています。みんな物凄く良い顔をしている。はっきり言って、出演者のほとんどが名優に見える(笑)。
 そして空気。殺陣の緊迫感や河を向きながら話し合う男たちの背中の重さまるで映像に魔法がかかっているかのようです。

 侍というものは既に現代では消えてしまいました。時代劇もどんどん製作本数も減り、死滅しつつあります。滅んだものと滅びつつあるものとを重ね合わせた物語が魔法を生み出しているはっきり言って尋常じゃないです(笑)。

 映画の脚本を読んだ東映撮影所が無料で場所を貸し出し、大勢の裏方さんたちが出演しているのもよくわかります。関係者だったら、監督の心意気に打たれるに決まっています。
 先日 アメリカのエミー賞を独占した真田広之が受賞会見で、わざと日本語で『時代劇を継承したい』と言っていましたが、同じ気持ちなのでしょう。

 ちなみにヒロイン、助監督の優子を演じる沙倉ゆうのという人はこの映画の本当の助監督でもあり、小道具係や制作も務めています(笑)。
 クレジットを見てびっくりしました。本職は俳優さんだそうですが(笑)。

 あと、もう一つ、これはたぶん制作の意図ではないであろう、個人的な感想です。

 かねがね、ボクは日本に住んでいる人たち、つまり庶民の歴史は明治時代に分断され、捏造された、と思っています。
 家制度だってそうだし、結婚した男女の同姓の強制だってそう。明治政府は君が代みたいなインチキ国歌をでっちあげ、土着の神社をペテンの国家神道に捏造し、デマもどきの神話や歴史を国民に押し付け、皇民化教育によって社会の歯車となる国民の奴隷化を進めた。

 ところが、この映画では分断された歴史がつながっています。タイムスリップした主人公が大日本帝国という捏造国家をショートカットしたことで、日本本来の歴史の帰結である江戸時代と現在 庶民の歴史がつながった

 例えば、映画の中で新左衛門がショートケーキをご馳走になるシーンがあります。

 

 おっかなびっくり食べた新左衛門が『これは上流の方々が食べるものなのか』と尋ねると、居候先のお寺の住職は『みんな誰でも食べているよ』と答えます。
 新左衛門は『ひのもと(日本)はこんな幸せな国になることができたのか』と号泣する。

 江戸時代は庶民は甘いものなんか滅多に口にすることができなかった。人々の暮らしを守るために戦っていた新左衛門にとって望外の出来事だったに違いありません。


 前述のように新左衛門が優子の姿に『侍』を重ね合わせたのも、明治期にでっち上げられた家制度の頸木から新左衛門が解放された存在だから、と考えるのはうがちすぎでしょうか。押し付けられたジェンダーに囚われず、純粋に人の姿を見て判断できるのです。
 
 この映画を見ていると江戸時代と現代、庶民の歴史がつながる中で何が正解なのか、個人はどう生きていったらいいのか、という問いが浮かび上がってきます。それが映画のクライマックスにもつながっている。


 コメディ映画です。でも笑って泣いて感動させる、この映画には驚くべき魔法がかかっています。誰一人として有名な役者さんも出ていないのに、どうしてここまですごい演技ができるのか。どうしてここまで感動させるのか。
 この魔法は大きなスクリーンでしかわからないと思います。

 監督と役者さん、裏方さんたちの映画、いや物づくりへの熱い『愛』が魔法を呼び起こしたのでしょう。今年のベスト10に入るのは確実、素晴らしい作品でした。


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