特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『ある老舗の閉店』と映画『岬の兄妹』

  前回のエントリーに続いて中小企業のことを書きます。
 有楽町/日比谷で映画を見るときは、ボクはたいてい交通会館地下の『大正軒』(洋食)か、山手線沿いの『慶楽』(中華)で昼ご飯を食べます。どちらも家族経営で数十年続いている店で、安くて美味しい、要するに『ちゃんと作られた』料理です。
 店は汚いし愛想は全く良くありませんが(笑)、食べてみると料理に愛情が籠っているのが判ります。お会計で『御馳走さま』と言うと、『毎度~』と人の目をしっかり見て、返事をしてくれます。街中にあふれるチェーン店のインチキ料理とは食後感は全く違います。


 この前 久しぶりに慶楽へ行ったら、店頭の貼り紙を見て愕然としました。

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 閉店でした。スープ炒飯の元祖としてTVなどにも紹介される繁盛店なので赤字ではないと思いますが、調理人の高齢化、ビルの老朽化などの問題が重なったことが直接的な原因のようです。でも、貼り紙にもあるように『昔気質の店はやりにくくなった』というのが本音でしょう。

 この店くらいだったら再開発ビルに支店を出したり、名前貸しして商品を売ったり、金儲けする手段はいくらでもあるはず。でも、それを良しとしなかった。厨房で鍋をふるっていたご主人が亡くなって経営を引き継いだ奥さんが最後まで昔のやり方を貫く気持ちは良く判る。まるで関羽のような巨大な髭を生やした名物主人の写真は最後まで店頭に飾られたままでした。
 営業再開の可能性はないわけではないようですが、有楽町で70年近く続いた火が消えてしまった。
●慶楽の炒飯ランチ。かき油の味が効いているのが特徴です。

 近年 中小企業の廃業原因のトップは不景気ではなく、高齢化&後継者不在と言われています。慶楽もそういうことなのでしょう。
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 慶楽のスープ炒飯や巻揚げ(春巻きはこの店にはない)はもう食べられないんでしょうか。
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【閉店】慶楽 (ケイラク) - 有楽町/広東料理 [食べログ]

 慶楽だけではありません。江戸時代から続いていた東京で一番古い天ぷら屋、新橋の『橋善』の2002年の閉店も揚げ手の高齢化&後継者難が原因でした。ここの名物だった、食べた後30分くらい ごま油の香ばしい香りが口の中に残る巨大掻揚げが食べられなくなったのは、個人的にかなり堪えました。今でも困ってます。今でも、ボクは巨大な掻揚げの幻影を追いかけている(笑)。
●これは『橋善』の流れを引いているという鹿児島の店の掻揚。橋善のものもこんな感じで、でかかった。でも全然もたれない。
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『老舗の天ぷら屋「橋善」(新橋)の系譜』by 大崎 裕史 : 新橋 - 武之橋/天ぷら [食べログ]

 食べ物の問題だけではありません。橋善のような店を話題にすれば、戦後生まれのボクでも明治生まれの人と本当の意味で対等に会話ができました。仮にボクがタイムマシンで江戸時代に行っても、当時の人と橋善の話題で共通の会話ができるでしょう。そんな店、中々ありません。

 高齢化は致し方ないとしても、橋善や慶楽のような店は本当の『文化遺産です。職人さんの熱意と技術、客への愛情、それに長い時間が作り上げたもの だからです。巨大資本でもデジタル技術でも代替することはできません。
●東坡肉をたっぷり乗せた慶楽の焼きそば(メニューにはありません。知ってる人だけ食べられる)。ちゃんと長時間 蒸して作った東坡肉です。1000円そこそこで『ふかふか』のお肉なんて、なかなかお目にかかれるもんじゃありません。

 規制や政治、地縁血縁に頼って偉そうにしている商店街のどうでもいいような店はともかく、慶楽のようなオンリーワンの中小企業、お店が我々の文化、豊かさを作っているわけです。だけど消費者は必ずしも、そういう価値を大事にしていない。

 日本の企業の99%が中小企業で、従業員数にして70%を占めています。中小企業白書」によると、1999年から14年の15年間で約100万社も減少している。そのうち後継者不在による廃業に限っても、年間20万人から35万人の雇用機会が失われていると指摘されているそうです。決して『慶楽』の東坡肉だけの問題ではありません(笑)。

 盛者必衰の理、ではありませんが、人間は齢を取るものだし、時代は移り変わるものです。価値があるものがなくなったとしても、後に続く者が新たに作っていけばいい。以前に書いたネパール料理じゃありませんが、今まで我々が知らなかった美味しいものも世の中には沢山あるでしょう。橋善や慶楽のような有名店ではなくても、どこの街にもそういう志と技術がある店はあるはず。
 消費者はそういう店をもっと大事にしなければいけない。価値を見分ける眼と舌(笑)を持たなければいけない。値段だけでなく、料理に込められた味とか愛情とか丁寧に作られたものの価値がわからないのは消費者一人一人が悪いんです。

 もちろん、これは食べ物だけの問題じゃありません(笑)。日本経済全体にかかわる問題です。国民が本当に大事なものを大切にしないことが、日本経済が傾いている原因の一つかもしれない。安さだけを追いかけているようじゃ、新興国に勝てるわけがないんですから。
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 慶楽のように、子供の時からある店がなくなってしまうのは寂しい。暫くセンチメンタルな気持ちは抑えられそうもありません。ぶっきらぼうでちょっと怖いけど、人懐っこい店のおばちゃんたちは今頃どうしているのだろう。
●結局 その日は『大正軒』で牡蠣フライ+エビフライ+アジフライの盛り合わせを食べました。この店のぶ厚いアジフライはエッセイストの平松洋子氏がエッセイを書いているほど。牡蠣フライもでかい(笑)。デカさの問題ではなく(笑)、技術もさることながら材料が良いんです。ここもご主人は70を超えています。心配です。
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と、いうことで、有楽町で映画『岬の兄妹
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港町の外れのバラックに暮らす良夫(松浦祐也)は足に障害を持ちながらも、自閉症の妹の真理子(和田光沙)の面倒を見ながら暮らしていた。足が不自由な良夫はリストラされて職を失うが、鄙びた田舎町では職も見つからない。ある日 家を抜け出した真理子が男に体を許して金銭を受け取ったことを知った良夫は愕然とするが、当人はあまり判っていない。やがて良夫は困窮に耐えかねて妹の売春のあっせんを始めてしまう- - -


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 公開前から映画祭や評論家などから絶賛が相次ぎ、全国20館以上での拡大公開が決まったという、良い意味でいわくつきの作品です。『おれたちを止められるか』の白石監督は『この映画が報われなければ日本映画に未来はない』とまで言っています。早くも今年のベスト1と言う声も多く上がっています。
 話としては辛すぎて普通だったら絶対に見られないタイプの映画ですが、ここまで評判が高いとなると、覚悟をして見に行きました。


 映画は、知的障害を抱えた妹が家からいなくなり、仕事から帰ってきた片足が悪い兄がびっこをひきながら懸命に探し回るシーンから始まります。やっと夜になって妹は見ず知らずの男に保護されていることがわかるのですが、なぜか妹の服には1万円札が入っています。
●兄の良夫。自身も足に障害を抱えながら知的障害の妹の面倒を見ています。
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 二人が暮らす家は隙間風を防ぐためか、窓が新聞紙で覆われ、隙間はガムテープで埋められています。昼でも穴倉のように暗い。照明は裸電球だけ。こんな家は初めて見ました。
万引き家族を思い出させるシーンですが、こちらの方が遥かにリアルで壮絶です。
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 映画では二人の父親の事は語られません。残った母親は失踪し、兄は妹の面倒を見るためにこのバラックに住んでいるのです。
●知的障害を抱えた妹。まさに役者魂!
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 二人が暮らす地域は辺鄙な港町、ご多分に漏れず不景気です。兄は足が悪いということで造船所の仕事をリストラされて収入が絶たれます。障碍者の兄にはなかなか次の仕事は見つからない。公的なサポートを受けることすら思いつかない。
 電気を止められたり、食べ物が買えなくてティッシュを食べたり、ゴミ箱を漁ったり、唯一の知り合いの警察官に借金を無理やり頼んだり。露骨な暴力こそ殆どありませんが、とにかく全編あっと驚くシーンばかり。ボクは時折目をそらしながらも、『うわー』とか『うえー』とか言うしかありませんでした
●生きるためにはカッコつけてはいられません。これだけ剥き出しになった人間の姿をスクリーンで見るのは初めてです。
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 貧困、孤立、障碍者差別、経済の衰退、地方都市の暗部、家族の崩壊、公共の不在。現代日本を取り巻く問題が文字通り 剥き出しになって観客に迫ってきます。
貧困問題では『そこのみにて光り輝く』や『ギャングース』など、凄い映画がありましたが、これほど激烈な描写が続く映画は見たことがありません。にも拘わらず、この映画は脚本も構成も画面も、欠点がほぼ、ないんです。強烈な描写の連続ですが、くすっと笑わせるシーンも多いし、画面そのものは非常に美しい。
 ポン・ジュノ監督や山下敦弘監督監督の助監督を務めていた片山慎三監督が2年をかけて撮ったそうですが、どのシーンも計算しつくして作っているように見えます。
●不謹慎かもしれないが、笑えるシーンがいくつもあります。
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 この映画を見ていると、今の日本の現状を改めて思い知らされます。日々の報道に留意していれば、こういうことは現実にはいくらでも起きていることがわかりますが、今の日本の風潮は必ずしもそうではない。あの『万引き家族』ですら「反日」(笑)とか『現実にはありえない』と言うバカもいるくらいです。国会議員でもニュースも見てない低能がいる。
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 まして、この『岬の兄妹』、知性や想像力の欠けた人にはこの映画のようなことが現実にある、とは信じられないかもしれない。それくらいタブーや手加減がない描写です。作る側の気合を感じます。
 にも関わらず、この映画では主人公の兄妹がただ気の毒な存在としては描かれていません。そこが素晴らしい。
●美しさもあるんです。

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 足が不自由だったり、知的障害を負っている兄妹のやっていることはもちろん賛同できない。でも、彼らは彼らなりの理屈と思いがあるし、彼らなりに立派なんです。自分が兄妹のような立場になることはいくらでもあり得るし、もし自分があの立場だったら、ああいう行動をしなければいけないかもしれない。これが今の日本社会だし、もしかしたら生きるってこういうことなのかもしれません。兄妹はとにかく生きようとする。それがこの世の中で最も大事な価値なのかも。
●舞台挨拶 強烈な内容とは対照的に、映画の現場は常に笑いが絶えなかったそうです。左から兄役の松浦裕也、片山監督、妹役の和田光沙、主人公の唯一の友人役の北山雅康(この人は『男はつらいよ』の常連ですね)。


 タブーもモラルも恐れずに強烈な現実を描くことだけに専念している、まさに勇気ある映画です。それを計算ずくでやっているところがすごい。
 これは傑作としか言いようがありません。すこしでも広く人々の眼に触れることを願います。特に国会議員、首長は全員見ろって。誰がこんなゴミ社会にしたんだよ。あ、クソ政治家だけでなく、国民一人一人が悪いのか。
●兄を演じた松浦裕也という役者さんは舞台あいさつで『この映画に関わるまで、このような人たちの行動には理由があることがわからなかった。それが判るようになっただけでも映画に出て良かった』と言っていました。

 ぬるい観客、いや 社会そのものを殴り飛ばすような気迫が籠った映画です。しかも完璧な構成、笑い、映像、俳優さんの好演。眼をそむけたくなるようなシーンもありますが、後味は全く悪くない。何度も見たくなるような映画ではありませんが、見ると見ないとでは人生が変わってくる。今年の邦画ベスト1かもしれないという声には同意せざるを得ない、そんな作品です。

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