特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

緩やかな夏の記憶、真冬の夕暮れ


昨日の選挙の結果についてはいろいろな感想があるだろうが、ボクにはゾッとするような結果だった。特に自公の議席増だけでなく、野田や前原が落選しなかったのが残念でならない(笑)。
                                                    
これからのことは安倍ちゃんが前回の失政をどれくらい反省しているか、また周りにどれくらい良い人材を集められるかなんだろう。少なくとも本人が大好きなタカ派色、保守色を打ち出していけばいくほど、行き詰るのは目に見えている世の中の仕組み、特に経済はそういう風に回ってないからだ。外国との友好関係や女性の社会進出がなければ日本は成り立たないのが現実だ。勇ましいこと言っているネトウヨの諸君だって中国製のユニクロ着て、中国製の原料を使ったファーストフード食ってるのが関の山ってとこだろう(笑)。
                                                                                          
ただ、田中康夫が落選したのはもったいなかった。国民と遊離した政治家ばかりの国会に彼みたいな一匹狼が居るのは権力のメカニズムを一般市民に明らかにする上で、とても意味があったのに。創○学会得意の住民票移動攻撃が今回はよほど酷かったのかもしれないが、彼を落選させた尼崎市民は猪瀬に投票した東京都民と同じくらいアホだ(笑)。勝敗は兵家の常、彼には捲土重来を期してもらいたい。

●夏の記憶:官邸前抗議で風船を配る康夫ちゃん



                                                   
今回の選挙は6割を切る史上最低の投票率だったそうだ。その結果、組織頼みの候補が増えて、こういう結果になった。候補者の顔ぶれを見てウンザリする気も判るが、原発事故は収束してない、景気は酷い、財政破綻は秒読み、これだけ酷い状況で選挙に行かない人がいるのは驚くべきことだ。こういう連中は自分が棄権したことに何か意味があるとでも考えているのだろうか(笑)。
結局 本質的な問題は国民にはびこる『他人任せの精神』だと思う。他人任せだといざ問題にぶち当たったとき、自分だったらどうするだろうという真剣な問いにまで考えが及ぶことはない。民主党はダメだから自民党という発想も、政治にウンザリして選挙に行かなかったというのも、誰かになんとかしてもらおうという精神が根底にあるからではないのか。
                                               
先週会ったエコノミスト氏にこんなことを言われた。『確かに民主は想像を絶するくらいひどかったが、国民の側も全くサポートする声を挙げなかった責任もあるのではないか
これは多少耳が痛かった。サポートしようがないほど民主党が酷かったのは事実だが、 自分たちはどんなことをしたのだろうか。今まで原発の利権構造も、沖縄への差別構造も、ボクらは見てみぬふりだった。その結果 フクシマの事故が起こった。
●挙句の果てに東京がこうならなけりゃいいけどね:今夏見に行った特撮博物館ジオラマ



                                                
結局 昨日の選挙の結果は、昔から日本にはびこる、他人任せの精神から来た、ってことなんだと思う。他人事って笑ってらんない。他人任せの依存癖って誰の心の中にもあるものだからだ。

                                            
●選挙活動最終日 安倍の演説に日の丸が林立するアキバ:ていうか、ここは北朝鮮か?

こういうのを見ると、この国はこうやって衰退していくんだろ、ざまあみろ(笑)と言いたくなる。
いや、このヒドイ光景を見て諦めてるんじゃないんです。それでもボクは学ぶべきことを探したい。例えば こういう連中は抜きにして(笑)、穏健な、そしてマトモな人たちがなんとか結集できればまだまだ強いってことがある。例えば地縁血縁社縁にあんまり関係ない、東京の比例ブロックの獲得議席を見ると自民4、維新が3、公明1、民主2、未来・共産・みんなで4。まだ、世の中の半分くらいはマトモな良識がある人がいる勘定になる。実のところ 未来も共産も本当に良識あるかどうかはわからないけど(笑)。
                                     

何となくまとまらないまま感想を並べてきたが、あんな選挙結果を見ると確かにウンザリはする(笑)。
けれど、ボクは全然 絶望はしていない。ボクは自分のことを変わり者だと思ってるから、少数派であっても全然気にしない(笑)。人と積極的に関わることがきらいだから(笑)、たいしたことも出来ないが、声を出すことはやめはしない。自分がやれることを自分のペースでやっていくだけだ。
こないだ読んだ日本の社会主義者の草分け、いつもユーモアを忘れずに日露戦争から日中戦争まで反対し続けた堺利彦のことを考えたら万年床で先人に学ぶ(笑):『パンとペン』社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い - 特別な1日(Una Giornata Particolare)市井の個人でも出来ることは沢山あるだろって思うのだ。
                                     

●雲には銀色の裏地あり:多摩川の鉄橋から見た富士山