特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

沖縄・フクシマ・路地 (1)

今年の盆休みはPERFUMEの『Baby cruising love』をやっとギターで弾けるようになった。結構嬉しい(笑)。
あと、ドキュメンタリーを三冊ほど続けて読むことができた。そっちも楽しかったし、なかなか考えることがあったのだ。

その3冊は佐野眞一の『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』、『津波原発』、そして上原善広の『日本の路地を旅する』だ。


沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史 上(集英社文庫)

沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史 上(集英社文庫)

まず、佐野眞一の『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史(上下)
本土のニュースでは基地の負担を押し付けられた被害者としての沖縄、という像が一般的だが、この本はそれだけではない沖縄像を提示する。
占領時代・復帰後の様々な政治家、沖縄四天王と呼ばれる財界の大物たち、アウトローたちの抗争、基地で莫大な利益を上げる軍用地主たち、本土芸能界に進出したスターたち 。
アメリカや日本の圧制に苦しみつつも、それを利用して成り上がっていく人たちだ。尖閣諸島の地主なんていう人も居る。
東京生まれのボクは知らなかったことばかりだし、どのエピソードも良く出来た冒険小説を読んでいるようで、とにかく面白い。清濁併せ呑む、灰汁の強い登場人物たちへの清涼剤のように、巻末に離島の美しい少女たちのエピソードも描かれる。
ただ著者は典型的な男性(オヤジ)目線、それが著者の中で相対化されてないので、話に生活感はない。また女性のエピソードになると上っ面だけで途端に内容が浅くなる。そこはドキュメンタリーとして多少違和感を感じたけれど、とにかく大変面白い本だった。

津波と原発

津波と原発


2冊目、『津波原発』。
地震の発生直後 同じ著者が訪れた三陸地方と原発周辺のルポ。
原発が作られた相双地方は福島のチベットと呼ばれるような貧しい地域だったこと原発を受け入れたことで多くの人は潤い地域は豊かになった。だが町は建設業者の利権の巣となり、この30年間 双葉町長はたった3人、最初の町長は原発で大儲けした土建屋、次の町長は転向した元反対派、その次の町長は財政破綻を避けるために交付金目当てに更に原発を誘致しようとする。地元には原発反対の人も居ないわけではないが、多くの町民は職と利権に釣られて容認していたそこに原発事故が起きた


原発事故で餌を与えられずに死んだ家畜の死骸が折り重なる風景の生々しさ、枝野官房長官がTVで『直ちに健康に被害はありません』(笑)と言っていたとき現地の警察や自衛隊は12日には避難を始めていたこと、などは現場を見た人間でしか書けないものだと思った。


著者、佐野眞一は人々が3・11を体験しても石原慎太郎都知事に再選されてしまうのを見て『この国はもうダメだ』と絶望しつつも、『(坂の上の雲に代表されるような)これまで日本人がたどってきた道と違う歴史を自分たち自身の手でつくれるかに日本の復活がかかっている』とする。



日本のリーダーシップの不在が取りざたされて久しい。
かと言って石原慎太郎橋下徹のように意見が異なる他人のことを全く思いやらない幼稚な人間しか出てこないようだったら、最悪だと思う。彼らがごくごくたまにマトモなことを言ったとしても根本がその姿勢では害のほうが大きいに決まっている。そもそも、偉そうなことをいうことだけがリーダーシップなんかじゃないんだよ(笑)。特に石原慎太郎のように多くの人が避難生活を送っているその時に『今回の地震は日本人の我欲のせいだ』と言い放つような奴は、一刻も早く消えたほうが日本の復興がそれだけ早くなるのではないか。そんな低脳都知事にしてしまう東京都民はつくづくアホばかり。と 東京都民のボクはそう、思っている(笑)。



今日 福井県の地域議長会という組織が小浜市から提案された『脱原発の要望案を否決』というニュースを読んだ。http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110819-OYT1T00336.htm
その是非はボクは言いたくない。
だけど事実として、この地域の人は原発事故が起きたときは自分たちの生活、職、場合によっては生命も危険にさらされる結婚などで差別も受けるどんな美名で飾り立てようとも、原発受け入れを賛成した地域の人は自分だけでなく自分の子供、孫、ペットまで危険にさらされることと引き換えにカネを受け取るのだ。双葉町の人たちと同じように。


誰だって、人間は判断を間違うこともある。当然のことだ。間違ったら自分たちで責任を取る。これも当然のことだ。じゃあ、物理的に責任がとれないもの、例えば他人や自分の子ども、動物にまで害が及ぶ可能性があるものを自分は引き受けていいんだろうか? 


自分たち自身の手で』とは、自分で決めたことは自分で責任を取る、少なくとも取ろうとする、そういうことだと思う。町長とか議員に自分たちの生活を預けることではない。まして一見強面の、威勢の良いことばかり言っていざとなったら直ぐ逃げ出す石原慎太郎や前原誠二のような戦前の日本軍官僚そっくりの人間に頼ることでは、絶対に、ない。
ボク自身はいろいろな理由から日本の復興は比較的楽観的に考えているんだけれど、いずれにしても『自分たち自身の手』でなければ今後の日本は間違いなく、オシマイだとも思っている。




さて、『津波原発』の中で著者は『フクシマと沖縄と似ている』、とも述べている。両者はどちらも戦後 嫌なものを押し付けられた、ということだ。それはそれで鋭い視点だと思うんだけど、もうちょっと言いたい事がある。

長くなったので続きは次回、また来週(笑)。