特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『自由への恐怖』と映画『神様の思し召し』

先週 ラッパーのECD氏が進行性のガンにかかっていることを公表しました。日本語ラップ草分けのこの人はデモなどで良く使われる『言うこと聞かせる番だ、俺たちが』というコールを作った人です。路上で初めて使われたのは2013年3月日比谷での反原発デモですが、それ以降も彼は反原発やSEALDsのデモでも度々参加してコールをしていました。デモの先頭に居る彼の存在で、ボクはどんなに励まされたことかECD氏の病気は他人事とは思えません。快癒をお祈りしています。
ECD氏を取り上げた朝日の記事
http://www.asahi.com/articles/DA3S12131809.html
ECD氏の『言うこと聞かせる番だ、俺たちが』の客演が入っている『Straight outta 138』:2012年の日本を代表する曲だと思います。

●その曲が入っているラッパー田我流のCD。最近 このCDにも入っている『やベ〜勢いですげー盛り上がる』がTVのCMで使われていました。地上波で田我流の姿を見かけて、ちょっとびっくりしました。

B級映画のように2

B級映画のように2

                                
                   
さて小幡績慶大教授が今朝(9月12日)のブログで今の日本の現状を『メディア・テロリズム』と評していました。『日本ではテロリズムが横行している。メディアとそれに載せられた人たちによる理不尽な暴力が横行している』というのです。『何か政治的目的がある他地域のテロと異なり、日本のテロは人々のエンターテイメントのためであり合理的な目的がない。そんなテロは世界で最も恐ろしい』と彼は書いています。小幡績PhDの行動ファイナンス投資日記

                   
なるほど〜と思ったんです。TVやネットでは国籍、生活保護、貧困、政治資金、不祥事、スキャンダル、事の軽重や理屈の是非は関係なく、人々は誰か責める対象を探しています。物事の不条理を誰か他人のせいにします。一度火が付いたら理屈じゃない。そうやって他人を叩き、飽きたら使い捨て、次の標的を探していく。(戦争に)『反対すれば非国民扱い』(ECD氏)された戦前もそういう感じだったと思いますが、今は使い捨てのスピードが速まっている分、余計にたちが悪い。何でも左翼や外国人のせいにするネトウヨとか日本会議は勿論、何でもアメリカや安倍晋三新自由主義のせいにする左翼だって一緒です(笑)。昔の学生運動の総括なんかその極端な感じだったんでしょうか。もちろん、無党派とか一般の人だって、そういう人は多いですよね。
これが日本社会の根底にあるものだとしたら、かなり絶望的な気持ちになります。理屈や損得を冷静に考えない。こういうことって民族性なのか、人の性なのか判りませんけど、そういうのは説得したり、変えたりすることなんかできないですからね。

  
で、今発売中の雑誌ローリングストーン日本版10月号の『なぜSEALDsは嫌われたか』という特集の中でミュージシャンの佐野元春がこういう文章を寄せていたそうです。秋田の民進党、松浦元参院議員のツイートで知りました。

●これから買って読んでみます。表紙のトム・ヨークもおっさんになりました(笑)。

アメリカの銃社会を描いた社会学の名著『孤独なボウリング』(マイケル・ムーアの『ボウリング・フォー・コロンバイン』の元ネタ)は、『アメリカ社会で銃撃事件が多い理由を、社会資本となるコミュニティ等の崩壊により社会に恐怖が広まっていることにある』としていたと思います。佐野元春が言ってることはまさにそれを思い起こさせます。

孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生

孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生

自由な存在を怖がる人間は、自分が自由ではないことを無意識に理解しているのでしょう。だから自分より自由な存在を見つけるとそれを嫌悪する。日本でも人々の間に、無意識に恐怖が広がっているのかもしれません。
その気持ちは判る。これからの日本の見通しはどう考えても暗いですからね(笑)。少子高齢化で経済は右肩下がりだし(笑)、新興国の追い上げで日本の相対的地位は下がる一方、もちろん国際環境の悪化もある。そんな中で人々は、例えば安全保障の問題だったら、アメリカに従属するか、自主独立の非武装中立、独自で核武装、どこか極端な方向に振れがちです。将来への恐怖に怯えた思考停止のようにすら見える。
●ボク自身は、(政治的)キッチェという概念をやたらと振り回すこの本の内容に賛成しないし、くだらないとすら思いますが、日本人の思考が『アメリカ従属』(親米保守)、『非武装中立』(反米左翼)、『独自核武装』(反米保守)の極端な3方向へ振れがちで、どれも思考停止の産物だ、という分析にはある程度(笑)同意します。

                                           
個人の生活だって、安定した終身雇用や専業主婦なんて今や夢物語でしょう。よほどの恵まれた環境じゃないかぎり、大抵の人は以前に比べて不安定な雇用の下で働き続けなければならない。恐怖とまでは行かなくても、多くの人が不安と大きなストレスを抱えている。なかには自由な存在を怖がる人間がいるのも無理はありません。恐怖を克服することは難しいです。だけど問題点が見えさえすれば望みはある。

現在の不安や恐怖に対抗するには、将来を語ることだと思います。映画でも、音楽でも、芸術でも、学問でも、政治でも、いい。自分は将来こうなりたい、こういう社会で生きていたい。夢物語と笑われそうな素朴な事でもいいから、我々はもっと将来を語ることも一つのやり方かもしれません。現実が厳しくても、人間は心の中にそういう思いがあれば目の前の恐怖に対抗できることもあるからです。





と、言うことで、新宿でイタリア映画『神様の思し召し映画『神様の思し召し』公式サイト
第28回東京国際映画祭コンペティション部門で観客賞を受賞した作品、本国イタリアでも同国のアカデミー賞と言われるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の新人監督賞に輝き、主演男優賞にもノミネートされた作品だそうです。

主人公は腕利きで社会的地位にも恵まれている外科医。有能で無神論者の彼は他人にも家族にも厳しい人間だった。ある日 医大生の次男が神父になると言い出してショックを受けた彼は、次男が頻繁に通っている神父に洗脳されたと思いこむ。怒った彼は神父に接近し正体を暴こうとする。まるでロックスターのような教で若い人たちに人気を集める神父のことを調べていくと、神父は前科もちだったことが判明するがーー。


冒頭から主人公の仕事ぶり、家庭生活が描かれます。これが実にコミカルで面白いんです。有能だが傲慢。部下にも家族にも厳しく、口から出るのは毒舌ばかり。高価なスーツを着こなし、ベンツで通勤。リベラルな無神論者で、宗教など全くのペテンだと思っています。
●いつも苦虫を噛み潰したかのような表情の主人公。有能だが傲慢な外科医。

●主人公の一家。左から奥さん、主人公、長女と婿。背中を向けているのは医学生の次男

有能な医師で金も名誉もある主人公ですが、自他ともに厳しい性格でなかなか人を寄せ付けません。放っておかれた奥さんはキッチンドランカーになりかけています。頭の悪い不動産屋と結婚した長女は長編ドラマなどクダラないTVばかり見ています。唯一期待をつないでいたのが医学生の次男ですが、ある日、彼は牧師になると言い出します。ある牧師に影響されたというのです。
●牧師。まるでロックスターのような説教で若い人の支持を集めています。


リベラルで合理的、ただでさえ、宗教なんてくだらないと思っていた主人公です。これには我慢がなりません。そんな牧師はインチキに決まっていると、自ら牧師に近づいて正体を暴こうとします。

●肉体労働など縁がなかった主人公は牧師に無理やり教会の修復作業に従事させられます。

イタリア映画の例にもれず、奥さんも娘も超きれいだし、登場人物のファッションやインテリアを大画面で見ているだけで楽しい。厳格な主人公と俗っぽい長女夫妻との対比も非常に面白いです。主人公は長女夫妻をバカにしているのですが、実は彼らを頼りにしているんです。そこいら辺がコメディとして良くできている。最初はゲラゲラ笑ってましたけど、中盤 主人公が神父と付き合いだしていくとお話は深みを増していきます。

●奥さんがいかにもイタリアのマダムらしい?超美人で、ちょっと惚れてしまいました(笑)。センスの良い美人を見られるのもイタリア映画の楽しみの一つです(笑)。学生時代もリベラルだった彼女は旦那に不満を募らせて、再び学生運動に加わり、警官隊との乱闘に巻き込まれます。

        
疑り深い主人公は何とか神父の裏の面を暴こうとします。正体を隠して、困窮したふりをして神父に接近するのですが、あっさり正体は露呈してしまいます。そのお詫びに神父の奉仕活動を手伝わされます。おまけに仕事ばかりだった主人公の家庭も崩壊、奥さんは政治活動に走るし(いかにもイタリアらしい)、娘は仏教に走って(笑)娘夫婦の関係もおかしくなります。何一つ不足がなさそうだった主人公こそ、実は困窮していたんです。

●長女の真意に触れた主人公。頭の悪い娘婿が良い味出してます。

主人公の演技が実によかったです。合理的で無神論者で自分にも他人にも辛辣な主人公の姿は自分にも心当たりがあるんですよ(笑)。もっと人と付き合った方がよいのは、わかってるんだけど(泣)。きっと主人公は無意識に世界や他人への恐怖を感じていたのだと思います。その恐怖をどうやって克服していくのでしょうか。我ながら、他人事だとすらすら書けます(笑)。


如何にもイタリアらしいコメディです。女性も洋服も美しいし、笑わせながら深いところにまで持っていく展開は見事です。草原を主人公が無言で歩いていく、心に染み入るラストは素晴らしいです。さりげなく描かれる登場人物それぞれの過去や背景などの小技も非常に効いています。お話の深みを一段増しています。とにかく面白かった!