特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

ステーキと『在宅民主主義』、それに我が身を刺す映画:『スポットライト』

麗しのゴールデン・ウィークも終わってしまいました(泣)。お天気も良かったし、のどかで良い日々でした。一年中、こうだったら良いのに。早く定年にならないかなあ(嘆息)。

                                   
ゴールデンウィークには六本木へお肉を食べに行きました。家庭内接待です(笑)。普段は1か月前から予約しないと入れないような人気店でもゴールデン・ウィークやお盆は空いてますから、たまには盛り場へ出かけてみようと思ったんです。

お店の受付で名前を告げたら、黒服の人に『もしかして、以前お会いした●●さん(ボクの名前)ですか?』と声をかけられました。中々思いだせなかったんですが、20年くらい前 他の店で何度もお世話になってたソムリエ氏でした。その頃 彼はソムリエの資格を取りたてだったんです。思いがけない出来事でしたが、顔を覚えてもらっていたことに嬉しさを感じました。『お互い、齢を取りましたね』と話したんですが、心の中では『お互い、何とか生き残ってきましたね』と言ったつもりです。ソムリエ氏もそれは判っていたと思う。この20年くらいの間 彼は何度も店を変わっています。どこも有名店ばかりですが、場所は全て六本木ヒルズから六本木通りまでの半径1キロ圏内でした(笑)。そういう生き方もあるんですね。流行り廃りが激しい飲食業やホテルに勤務の人はお店が潰れることはざらにあるし、そうでなくてもお店を転々としながらステップアップするシステムの中で生きています。一見華やかな世界ですが、長年サバイバルするのは大変だと思います。昨今のような情況だったら、ボクのようなサラリーマンだって何があるかわからない。お互い、20年前より齢を取った顔をつくづく見つめてしまいました(笑)。思わぬ再会は感慨深かったです。
                                              
彼におごってもらったシャンパンを一杯ひっかけて席についたら、店内は超満員でびっくりしました。もっとびっくりしたのが客席が女性、それも女子会ばかりだったこと。ゴールデンウィークですから家族連れが4割くらい、あとは殆ど女子会でした。妙齢の女性たちがキャーキャー言いながら、でかい肉に文字通りかぶりついてる。最初はぎょっとしましたが、良いことだと思います。やっぱり今の時代、女性のほうが元気です。
●焼きあがったばかりのお肉二人分。一人300グラム以上あります(笑)。こういうカジュアルな店では料理の写真を撮っても下品と思われない(笑)のが良いです。

                                                   
一方 店内にいる男はデブばかり(笑)。こういうものを食べようという人はデブが多い、のか〜(笑)。女性はそうでもないんですけどね。デブにならないように努力しよう、と心に誓いながら(笑)、店の外まで見送ってくれたソムリエ氏に手を振って帰りました。
●真ん中のでかい白い山は生クリームです。こんなものをまともに食ってたらコレステロールで血管が詰まってしまうのは請け合いです。


                                       
この数日、ニュースでは北朝鮮の話ばかりですね。そんなもの、どうでもいいです。向こうだってミサイルを撃ち込む気があるわけじゃなし、日本が何かできるわけでもなし、日朝ともに3世のとっちゃん坊や同士がまともな対話を出来るわけでもないし、要するにまったく興味がありません。北朝鮮の事なんか、どうせ真偽のほどはわからないんだから、そんなものは放っておけばいいんです。マスコミはもう少し真面目に仕事をしてもらいたい。他にもっと重要なことはいくらでもあるはずです。

と思っていたら、昨日の朝日新聞阿部知子の元政策秘書で保坂世田谷区長の選挙に携わったという森原秀樹という人のインタビューが出ていました。まさに、わが意を得たりという内容だったのでご紹介します(*一部を太字にしています)
http://www.asahi.com/articles/DA3S12345565.html

■「在宅民主主義」新たな可能性 元国会議員政策秘書・森原秀樹さん
 参院選まであと2カ月。初夏の風には心躍るが、永田町では相変わらず、憲法改正を目指し、消費増税先送りなどあらゆるカードを切る構えの安倍晋三首相と、それに対抗する勢力の攻防ばかり語られている。もっと政治の語り口を広げられないものか。挫折を重ねたことで政治への希望を紡ぐヒントを得たという、元国会議員政策秘書の森原秀樹さん(43)を訪ねた
 ――2011年の東日本大震災後、自民党から共産党まで参加する超党派議連「原発ゼロの会」などを取り仕切っていました。
 「議連の入会議員は全員、『原発ゼロを公約し実現に全力をあげる』と署名したんです。官邸前で声を 上げる市民と連携しながら、原発ゼロ推進法案の準備も進めていました」
 ■反対だけ、勝てない
 ――その後、既存政党は本気で原発に反対できないと、嘉田由紀子さんらが立ち上げた「日本未来の党」を支えていました。しかし12年衆院選原発ゼロ派は激減しましたね。
 「『NO』だけでは勝てない。痛感しました」

 ――どういう意味ですか。
 「3・11後初の国政選挙でしたから、『選択肢はこれしかない!』と、原発反対に加え、消費増税反対、TPP反対、いずれも世論の反対が根強いテーマの3点セットで支持を集めようとしていました。でも、失敗しました。反対の先にある経済や社会のあり方で期待を持たせることができず……『NO』という映画 を見たことありますか?」
 ――ありません。
 「チリで軍事独裁を敷いたピノチェト政権への信任を問う国民投票をめぐり、両陣営にテレビコマーシャルが許された。反政権派は当初、虐殺や思想統制といった悪政の悲惨さだけを訴えようとしたのですが、主人公の若き広告マンが『これでは人は動きません』とひっくり返すんです」
 「主人公を中心に、勝つためのCM、歌や踊り、笑いを交えて独裁後の未来を描いた明るいCMをつくろうと意識が変わっていく。それが、諦めから投票に行かなかった人々を動かしていきます。人を動かすのは『NO』よりも『YES』。この映画に教えられました」
 ■住民と対話重ねる
 ――永田町を離れ、昨年4月の世田谷区長選 で、再選を目指す保坂展人氏の選挙の中核を担いました。私見ですが「リベラル」や「市民派」を名乗る人たちは、協調性や寛容さがいまいちだなあと。苦労しませんでしたか?
 「政策的な共通項を作り、政党や団体の皆さんには一歩退いてもらうよう、ひざ詰めでお願いしました。『自分たちの主張をするための選挙ではない。政策実現のために勝ちを目指す選挙なのだ』と。選挙では、子ども連れのお母さんたちが前面に立ってくれました。東日本大震災を受け、社会のあり方に疑問を感じている30、40代の人たちも多かったですね」
――子育て世代の女性たちがですか? 待機児童数が多い世田谷区。区長は怒りの標的ではないのですか。
  「カギは、一緒に課題を解決しよう とする姿勢でした。ツイッターで待機児童について問題提起し、住民との茶話会を積み重ねた。そこで共感してくれた人たちが自発的にSNSで拡散してくれ、横へ横へと仲間を増やしてくれました。いわば『在宅民主主義』です。まだ緒に就いたばかりですし、既成組織の持つ確かな動員力と比べればおぼつかない面も多々ありますが、政治の新たな可能性を感じています」
 ――東京で人口最多の自治体で自民、公明両党が推す候補を相手に勝ち、「市民派の勝利」と言われました。もし、参院選で野党の参謀だったらどう戦いますか。
 イデオロギーで投票する人は減っています。原発集団的自衛権憲法のテーマだけではなかなか支持を得られない。まずは子育てや介護、年金積立金の運用など暮らしの実感に結びつく政策で最大公約数を作る衆院北海道5区補選では、迷いながらも消極的に安倍さんを支持している人たちを野党側は十分取り込めなかったと思います。『NO』では、閉塞(へいそく)感を希望に変えていくことはできない。みんなが気づいていないものに価値を見いだし、『YES』で一緒に育てていこうというメッセージが大事だと思います
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 1972年生まれ。慶応大在学中に世界最大級の学生組織「アイセック」の国際本部副委員長。国際NGOの事務局長などを経て、2009〜14年まで阿部知子衆院議員らの政策秘書を務めた。現在、様々な街づくりの活動に取り組んでいる。
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原発ゼロの会』などの反原発派が惨敗した衆院選、今までは自民党候補しか勝ったことがない保守王国で保坂氏が勝利した世田谷区長選、二つの経験を語っています。人々がチリのピノチェト軍事独裁政権を投票で倒すのを描いた感動的な映画『NO!』 私たちは拒否する(Noi No):映画『NO』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)のことも含めて、全く彼の言うとおりだと思います。

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ポイントは2つです。
一つは『NOではなくYESを主張しなければ多くの人の賛同は得られない』ってこと。反安保、反原発は結構だけど、じゃあ、どうするのっていうことまで考えなければダメだと思います。建設的な意見のほうに誰だって心は惹かれます。当たり前ですよね。
もう一つは『旧来の政党がバックになった市民運動はダメ』ってこと。市民運動というと聞こえはいいですけど、プロ市民運動ですよね(笑)。森脇氏は世田谷区長選で『旧来の団体や政党を表にださせないようにした』と言っています。それはなぜか。スピーチ一つとっても、連中は何を言ってるかわからないからです(笑)!。『みっともない格好の高齢者ばかりの団体が、いつも何かの反対を唱えている。』これが世間一般の感覚でしょう。そりゃあ、普通の人は退きますよ(笑)。そうなってくるとプロ市民運動は存在自体が逆効果かもしれない。この前の北海道4区の補選でもその悪影響がなかったかどうか、ボクは疑っています。
さらに この記事の中でも触れられていますが『リベラルや市民運動の人は自分たちの主張はするけど、他の意見を聞こうとしない人が多い』。これもその通りだと思います。同じことは故高木仁三郎氏も言ってました。彼は常に原発推進派の意見も聞いて対話をしようと試みていましたが、そういうところを頭の悪い反原発派に裏切者扱いされていました。だけど高木氏と頑迷な反原発派、どちらが影響力があったのかは歴史が証明しています。
多くの人の賛同を得ようと思ったら、異なる立場の意見を聞きながら最大公約数を作っていくしかありません。それが出来ずに自分の意見を主張するだけの幼稚な人は右だろうと左だろうと要りませんよ(笑)。
                                                                               
民進党にしびれを切らした小林節慶大名誉教授が政治団体を作るそうです。良識の府参議院とはいえ、学者と政治家とは違いますから、一応は教え子として(笑)小林節氏には立候補はしてほしくないけれど、彼の当事者意識がそうさせるのでしょう。
小林節氏の試みやSEALDsや学者の会が加わった市民連合もその一つだと思いますが、一般の人が政治の主体になる『在宅民主主義』こそが私たちの意志を政治に反映する手段だと思います。政党や政治家なんて市民の意志を代表させるための道具にしかすぎません。






ということで、新宿で映画『スポットライト
今年のアカデミー賞で作品賞、脚本賞を受賞した作品。今年のアカデミー賞では監督賞とディカプリオ君が主演男優賞を取った『レヴェナント』が話題なんでしょうけど、別に彼がクマに食われる話なんか興味ありません(笑)。

2001年、マサチューセッツ州ボストンの日刊紙『ボストン・グローブ』は『ワシントン・ポスト』からマーティン・バロンが新編集長として迎える。他所の州で生まれ地元にしがらみがないバロンは同紙の少数精鋭取材チーム「スポットライト」のチームに、密かにささやかれていた地元の神父による子供への性的虐待事件を調査し記事にするよう持ちかける。チームは取材に取り掛かるが様々な障害・妨害にあう。それは1神父の事件だけにはとどまらなかったーーーー
                                                                                    
お話の舞台になったボストンはリベラル、まとも、という印象がありますが、カソリックの影響力が非常に強いところなんですね。ボストンが位置するニューイングランドを開拓したのはカルヴァン派ピルグリム・ファーザーズと思っていたので、カソリックが強いと言うのは非常に意外でした。
●『スポットライト』チームの面々

以前にも地元紙のボストン・グローブには神父による幼児暴行の情報は何度も寄せられていましたが、放置したり散発的な記事で済ませていました。その結果 多くの被害者を出すことになってしまった。外部からやってきた新編集長(リーヴ・シュレイバー)の『このニュースはきちんと報じるべきだ』という決断でボストン・グローブ氏の特捜班、スポットライトチームの4名が真相究明に動き出します。
●ボストンには縁もゆかりもない新編集長。地域に根を張るカソリックのスキャンダルをきちんと報じることを決意します。
                                          
取材が進むにつれ、被害者たちの多くが今も心に大きな傷を負い、自殺者まで出していることが判ってくるうちに、チームのチーフであるウォルター(マイケル・キートン)は自分たちが今まで報じなかったことに良心の呵責を負うようになります。
マイケル・キートンの演技は自然体で昨年のアカデミー賞をとった『バードマン』より遥かに良かったと思います。髪の毛だって立ってるでしょう(笑)。

                            
チームの面々もあまりにもひどい話を知るうちに、これは報じなければいけないと言う使命感がどんどん強まっていきます。でも彼らも完全無欠なヒーローではありません。皆一癖ある人間だし、家庭をも犠牲にしています。
             
取材が進むにつれ、編集長やウォルターには各方面から圧力がかかります。カソリックは地元の警察、検察、弁護士、学校、それに住民たちに大きな力を持っています。信仰の名のもとに自ら進んで隷属している人も多い。 関連事件の弁護を担当した弁護士たちは、守秘義務を盾に詳細を明かしません。長年の友人からは街のために取材を終わらせるよう忠告されます。なによりもボストン・グローブ紙の定期購読者の半数以上は、カトリック信者です。

                             
映画の中では、独身を強いられた神父が男だろうが女だろうが子供に性的欲求を向けるのは構造的な問題だ という描写があります。ボストン地区だけでも100人近い神父が性的暴行を行った疑いがあり、尚且つ教会のトップがそれをもみ消していたのです。問題は一神父だけのものではなかったのです。
やがて神父の性的暴行はボストンだけでなく、アメリカ全体、さらに世界各国にも広がっていきます。バチカンも隠ぺいに加担していたことが明らかになります。要するにカソリック自体が犯罪集団だった。たしかバチカンは今でも世界中で賠償交渉をかかえているんじゃなかったでしたっけ。2013年にベネディクト16世が約600年ぶりに法王を自ら辞任したのもこれが遠因になっているという説もあります。人間、ムリを強いられるとどこかでゆがみがでてくるものです。
●少人数のチームですが手作業で神父たちの凶行と隠ぺいの証拠を探し出します。

                                                     
出演者とモデルになった記者たちをTVインタビューで見たんですが、映画では極力リアルな描写にするようこころがけたそうです。撮影場面には記者が誰か立ち会ったとも言ってます。確かにここで描かれる記者たちの姿は非常に説得力がありました。
記者たちは大声を出したりぎゃーぎゃー騒いだりしない。妙な正義感に駆られたりもしません。そういう淡々とした描写だからこそ、人物像が嘘くさくないんです。それが映画全体の説得力にもつながっています。マイケル・キートンの抑制された演技は昨年の『バードマン』より全然良いと思います。直情漢の熱血記者を演じるマーク・ラファロは名作『はじまりのうた』のアル中プロデューサー役からは想像もつかないような姿でした。

                                 
紅一点のレイチェル・マクアダムスは超可愛かった〜(笑)。それはともかく、記者たちの演技は自然体でわざとらしさを微塵も感じません。尚且つ様々な葛藤や焦燥を抱える姿が本当によく表現されていたと思います。ラファロとマクアダムスはそれぞれ、この映画でアカデミー助演男優賞助演女優賞にノミネートされています。

                          
多くの人が指摘すると思いますが、印象に残るシーンがあります。ウォルターが教会側の人間から『こんなことを報じて地域社会が崩壊する責任はとれるのか』と責められるシーンです。それに対してウォルターは『報じなかった場合の責任は取れるのですか』と静かに応えます。声高に正義を唱えるようなことは彼はしません。まして自分が絶対的に正しいとなんか考えてもいない。自分も罪を負っているという意識があるからこそ、ウォルターは静かに応えるしかないのです。
またカソリックは組織ぐるみで犯罪を隠ぺいしていたわけですけど、こういうのって最近も東芝三菱自動車で起きた事例と全く一緒です。またボストンを守ろうと犯罪を隠ぺいする人たちも彼らなりの論理がある。日本だって組織や地域を防衛するために隠蔽に回る人、そこまで行かなくても知らんぷりをする人の方が多いと思います。我々だってそうです。
                                           
                                 
ボストン・グローブの記者たちと比べたら日本のマスコミはどうなんだ、なんてつまらないことは言いません(笑)。主人公たち、スポットライト・チームに突き付けられた『自分はどうだったのか』という課題は観客の我々一人一人にも突きつけられているからです。『スポットライト』はそれだけ素晴らしい映画です。