特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

映画『ジミー 野を駆ける伝説』

相変わらず安倍晋三がいきがって、イスラム国を『許さない』とか『罪を償わせる』とか言ってるけど、実に虚しい。いくら頭が悪いと言っても、どうしてこういう無意味な事ばかり言うんだろうか。国民が捕まっているのを知っていながら、わざわざネタニヤフと記者会見したことも、『イスラム国対策で2億ドル』と言ったことも、少しも反省する能力がないみたいだ。
かといって、ネットで一部の連中が証拠もないのに騒いでいた、『捕まっている日本人を殺させて有事法制を進めさせようとする陰謀だ』、みたいな考え方もどうかと思う。涙を浮かべながら強がりを言ってる安倍晋三や殺害の知らせを受けて真夜中の官邸に走っていく菅義偉を見てたら、とてもそんな深慮遠謀があるとは思えない。ボクには安倍晋三が、苛められっ子が負け惜しみを言ってるような姿にしか、見えなかった。これも証拠のない印象論だけど(笑)。

いずれにしても昨日 夕飯の支度をしているときに放送してたTBSの特番で『今後は政府の対応に反省すべき点がなかったのかが問われる』とやってたのは正しい。安倍晋三の軽はずみな発言だけでなく、政府が半年たっても直接の交渉ルートを作れなかったこととか幾らでも問題はあるだろう。残念なニュースだったけど、2度とこういうことが起きないようにするためにはどうせ直ぐ忘れてしまうくせに感情論で大騒ぎするより冷静な検証が必要なのだ。感情に流されずに冷静に判断できる人が少しでも増えていくことが、亡くなった人たちの死を無駄にしないために必要ではないか。


今日の、NHKクローズアップ現代にトマ・ピケティ氏が出演していたけど、資本主義は株や土地など資本を持つ側が勤労する側より儲かる仕組みになっている。このまま行けば世襲資本主義になる。だからグローバルに資産課税しろ、という話は全面的に賛成できる。TVでこんな、まともな話を聞いたのは久々かも。NHK偉い(笑)。特に少子高齢化で成長率が鈍化する日本においては格差解消と女性が働きやすい環境を作っていくことがより一層重要、という指摘は鋭いと思った。ただ日本の経済学者、政治家(共産党も含む)は何をやってたんだよという気は非常にする。ピケティが言ってることはデータは凄いけど ある意味 普通に生活していたら誰でも気が付くようなことだ。日本の格差なんて外人に指摘してもらうまで殆ど話題にも上らなかったのだから、日本の政治家や経済学者がいかに一般の生活感覚から遊離し、自分の頭で物事を考えないか、がこのこと一つとっても良くわかると思う。彼の本はやっと40ページ読んだだけだけど先が楽しみだ。


この前 新宿を歩いていたら、旧生活の党、現『生活の党と山本太郎と仲間たち』(笑)のジャンパーを着た人たちがビラを配ってた。見ていると、どうもその人たちの目つきがおかしい。表情は笑顔なんだけど、どこか視線が泳いでいる感じだ。ちょっと怖いからビラも受け取らずに足早に通り過ぎた。他の人も当然、そういう反応を示している。旧生活系なのか山本太郎系の人たちなのか知らないけど、この政党?の行く末は長くない、と思った(笑)。外観で人を判断するのは良くないし、いろんな人が居てもいいんだけど、やはり、ちゃんと日本語くらいはしゃべれる、ピケティとまでは行かなくても、ある程度 辻つまがあってることを言える人たちがもっと声を出していかないとなあ。文字通りの放射脳山本太郎はともかく 、三宅洋平本人には少しは期待はしているけど、やっぱりどうしてもあの周辺は集まっている人たちは怪しさがぬぐえない。



その、新宿でケン・ローチ監督の新作、映画『ジミー 野を駆ける伝説

舞台は1932年のアイルランド世界大恐慌の影響はここにも及んでいた。自然が豊かな山村にかっての活動家ジミーが帰ってきた。10年前 貧乏人の家を取り上げた地主に抗議した彼は警察に追われてアメリカに逃れていたが、ようやくほとぼりが冷めて帰ってきたのだ。老母の元に帰って農作業にいそしむ彼は、村の子供たちから、かって彼が運営していたホールを再開するよう嘆願を受ける。文化的なことは何もない山村で、かって彼は仲間たちとお金を出し合って家を建て、そこで村人たちとダンスや読書会、演奏会などを行っていたのだ。一旦は断った彼だが、子供たちの懇願を断りきれず、ホールの再開を決意する。だが村人たちが集うジミーの活動に危機感を覚えた地元のカソリック教会や金持ち、それにファシストたちは嫌がらせを始める。


前にも書いたがケン・ローチ監督という人はカンヌでグランプリを獲得したイギリスの巨匠で、作品は一貫して労働者階級のことをテーマにしている。以前 フジ・サンケイグループが彼に高松宮殿下記念世界文化賞というのを贈ったが、彼はフジ・サンケイの連中が保守反動であることを知ったうえでそれを受け、その賞金を当時の国鉄民営化反対の訴訟団に寄付したと言う。ついでに、受賞パーティでは中曽根に握手を求めらえて、『(お前のような)戦争屋とは握手をしたくない』と拒否したそうだ。彼は中曽根の『不沈空母』発言を覚えていたらしい(井筒和幸監督の話)。男の中の男だよ!(笑)。

そんな彼の映画はリアリズム基調で非常に良くできているんだけど、時折 説教臭かったり、息が詰まりそうになってしまうこともある。ところが近年は『天使の分け前』や『エリックを探して』などのコメディを撮るようになって、肩の力が抜けた素晴らしい作品が多くなった。果たして、シリアスそうな今作は、また重苦しい話だったら嫌だなあと思いながら(笑)見に行った。

この映画はアイルランド政治活動家ジミー・グラルトンの生涯を描いたもの。と言ってもそんなに有名な人ではない。市井の中に大勢いたであろう無名のリーダーの一人だ。当時のアイルランドはイギリスからの独立運動、その後の内戦が終わったばかりで社会には深い傷が残っている。ただでさえ貧しい社会で大地主と資本家、それにカソリックは社会の支配層として結託していた。
アメリカから10年ぶりにかえって来た主人公。額の皺が深い。

                                                
冒頭 NYの高層ビルの工事現場を映した白黒フィルムが流される。多くのアイルランド人がアメリカへ出稼ぎに行ったことが示される。貧しいアイルランドから多くの人がアメリカへ渡ったのだ。主人公のジミーも同じだ。舞台となる山村は緑や湖は美しいけれど、畑は泥炭だし、工場も店もない。
そんな貧しい村でカソリック教会と金持ち、それにファシストは結託して、貧しい人たちをカネと暴力と宗教で抑え込んでいる。村人たちに娯楽と教育を提供するジミーのホールは教会に不信心者扱い、共産主義者扱いされてしまうのだ。普通のダンスや演奏会、読書会がなんで不信心になるのか、今から考えると全く理解できないが、抑圧する側はそういう屁理屈を並べ立てるものなのだろう。今でいえば、オバマケアが社会主義扱い、原発に反対すると非国民扱い(笑)されるのと一緒だ。
●10年前 ジミーは故郷を追われた。

しかし、カソリックってアイルランドでは何をやってたんだろうか。アイルランドを描いた映画『あなたを抱きしめるまで日経『原発再稼働と経常収支』と映画『あなたを抱きしめるまで』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)ではカソリックの教会が孤児をアメリカに売り飛ばして金儲けをしていたし(実話)、『アルバート氏の人生誰もが仮装をして、生きている:映画『アルバート氏の人生』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)ではカソリックが離婚や中絶を許さないため、生まれた子供は孤児として施設に押し込まれて貧窮していたこと(これも事実)が描かれていた。国教会を奉じるイギリス支配当時はカソリックは弾圧されたそうだが、そのカソリックが人々を抑圧していたのは全く皮肉なもんだ。宗教の問題、イギリスからの独立闘争、アイルランド人同士の対立、ファシズム、そして貧富の格差、それらが絡み合って1世紀近く内線が続いた。アイルランドの歴史って大変だと改めて思い知らされる。



ジミーを演じる役者さんの顔が良い。10年前、故郷を追われる前はつるつるだった顔が、10年後 顔には深くしわが刻まれている。その顔を見ただけでこの男が10年間どのように過ごしてきたのかが、一目でわかってしまう。見事な演出だ。

                                                        
最初は揉め事を怖れていたジミーだが、子供たちの懇願を受けてホールの再開を決意する。            
村にはかって恋人だった女性がいる。お互い愛し合っていたが、10年という時の経過は彼女を他の男性の妻にしてしまう。ジミーは彼女にアメリカ土産の青いドレスを渡す。その村では自分で縫った服が普通なのだ。彼女が包みを開いてそのドレスを見つめる時の表情、そして、後にそのドレスに袖を通すときのシーンの美しさと言ったら!
●かっての恋人もホールの運営を手伝う。子供たちに地元の本来の言葉、ゲール語を教える。

●深夜のホールにて。美しいシーンだ。

                                  
村人たちが集まって演奏するシーンも迫力がある。ちゃんと本気で演奏してるのが良くわかる。元来アイルランドの貧しい移民がアメリカでの苦しい生活を紛らわすための音楽がディキシーランドジャズやカントリー音楽のルーツの一つになったわけだが、この映画では、アメリカから帰ってきたジミーがアイルランドの貧しい住民たちと一緒にそういう音楽を演奏する。まさに感無量だ。
●バンドとジミー。これがどうして共産主義になるんだよ(笑)



映画の冒頭 この作品は実話であることが説明される。ボクは途中まで、山村のホールなんて地味な題材をどうして映画にしたんだろうと思っていた。だが終盤、ジミーが村人たちに演説をするところで意味が分かった。ジミーは荷車の上にたって演説する。『私たちはただ懸命に働いているだけなのに、どうして金持ちたちが引き起こしたバブル崩壊のしわ寄せを受けなければならないのだ。どうして子供を抱えた貧しい家族が家を追われなければいけないんだ。
ケン・ローチ監督はこれを言いたかったんだ!まるっきり今の話じゃん。ここでボクはもう、涙が止まらなくなった(笑)。
●最初はためらっていたジミーだが、意を決して、とうとう人々の前で口を開く。

                                   
お話は単純な勧善懲悪じゃない。カソリックの神父はジミーたちを弾圧し追い出そうとするが、ジミーに『あなたの心の中は愛よりも憎しみのほうが多い』と指摘されてしまう。そしてジミーに渡された黒人の苦しい暮らしを歌ったジャズのレコードを聴いてショックを受ける。彼の存在が物語に深みを与えている。だからジミーが去っていく最期のシーンでは文字通りうれし泣きの涙がこぼれた。
                  
                                                           
ジミー 野を駆ける伝説』は地味そうに見えて、熱い心と知的なバランスが取れた圧倒的な傑作だった。感想を書いてるだけで涙が出てくる(笑)。良かったなあ。凄く良かった。