特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

雑誌『現代思想3月号』と映画『これがわたしの人生設計』、『幸せをはこぶ歌』

まだまだ寒いですが、今年は一段と桜が美しく感じられます。ボクは出歩くのも人混みも嫌いなので、週末は家の周りの桜並木を1時間くらい散歩しました。夜だと人も少ないし、なによりも白い花びらが雪のようでした。(ボクはビールがあんまり好きじゃないので)スパークリングワインの一口サイズのボトルを持ってぶらぶらすると、酔いが回って段々いい気持になれるし、楽しかったです。これが見られるのも今年はこの週末だけだなあと思うと、寂しく感じたりもしました。
●沿道の家が桜をライトアップしています。満開になったばかりの花はまるで雪のようでした。


最近 読んでいて、非常に面白かったのが雑誌現代思想の三月号『311以後の社会運動』。こういう特集はいろんな雑誌で時折やっていますが、今まで読んだ中でも一番面白かったかもしれない。

現代思想 2016年3月号 特集=3・11以後の社会運動 (青土社)

現代思想 2016年3月号 特集=3・11以後の社会運動 (青土社)

特に良かったのは『(反原連)のミサオ・レッドウルフ氏とSEALDsの奥田君、小熊英二慶大教授の対談』、『反原連の服部氏の活動総括』、『SEALDs関西の大澤さんと政治学木下ちがや氏との対談』、『福島生業訴訟の事務局長 馬奈木氏と白井聡の対談』です。
                     
総じて思ったのは、2012年に国会前に原発反対で20万人も集まったことや昨年の15年安保などを通して世の中は確かに変わりつつある、ということです。それに対して政治の側、与党は勿論、野党も組合もその他の市民団体も追いついていない。なんだかんだ言って従来は与野党問わず、業界団体にしても組合にしても旧来の市民運動にしても、結局は利益誘導のためのコミュニティを基に政治は行われていました。自民だけでなく、公明党共産党だってそうです。もちろん、そんなものは多くの市民の意識とは乖離しています。それが無党派層の増大や低投票率に繋がり、今の国会の議席配分になるわけです。

旧来の市民運動や政党と殆ど関係ない一般の市民たちによる反原連の活動を見ていた子たちがSEALDsを作ったし、今度はSEALDsを見ていた子たちが、また新しいことを始めるでしょう。先日 保育士の待遇改善で国会前に集まった人たち米大統領選と読書『おひとりさまの最期』、それに『0304 再稼働反対!首相官邸前抗議』と『#保育園に落ちたの私だ』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)や、最低賃金1500円を唱えるエキタスの子たち『最低賃金を1500円に。3月20日AEQUITAS新宿街宣』と不動産に関する映画二題:『ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります』、『ドリームホーム 99%を操る男たち』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)がそのよい例です。311以降 ボクはデモへ頻繁に行くようになりましたが、それは自己満足で、何か効果があるとは思ってなかった。しかし、その結果 原発は約2年再稼働しなかったし、今も原発再稼働反対の人は多い。安保法案も通ってしまいましたが、未だにスーダン自衛隊を派遣することはできていない。昔は全く信じていませんでしたが(笑)、今は、長い目で見れば市民が声を挙げていくことで確かに世の中は変わっていくはずだ、と感じられるようになりました。

                                         

さて、今週はイタリアとアメリカ、いかにも〜という人間観を表現した映画の感想です。どちらもとても面白かった。
まず一つ目は新宿で映画『これが私の人生設計

イタリアの山村で生まれた主人公のセレーナはローマ大の建築学部に入学、卒業後は海外でキャリアを積んできた。そろそろイタリアで仕事をしようと帰国するが、男社会の建築業界では女性建築士の仕事は全くなかった。インテリア販売とレストランのウェイターのダブルワークで生計を立てる彼女は、スラム化した公営住宅のリニューアルの設計コンペに応募する。女性ではなく男性として。

昨年イタリア映画祭で上映され、今年になって新宿の新宿ピカデリーで公開。原題は『生きていてごめんなさい』。
この作品は実在の女性建築家エンダリーナ・サリーメイというモデルがいるそうです。彼女の公営住宅コルヴィアーレのリフォームプラン「緑の空間」の採用にヒントを得て作られたそうです。映画でもその住宅が使われています。
●海外でキャリアを積んで、夢いっぱいで帰国した主人公

                                       
イタリアの失業率の高さは有名で、経済危機のスペインやギリシャに次ぐ高さだそうです。国全体の失業率は約12%、若者の失業率は約40%! 日本の明日の姿でしょうか。主人公は女性ということで建築家の職はなかなか見つからないし、見つかっても妊娠したら解雇、というふざけた条件を提示される始末です。
貯金も使い果たした主人公は建築家ではなくインテリアコーディネーターとして働きます。ですが、それだけでは食えなくてレストランのウェイトレスも始めます。ダブルワークです。レストランのオーナーは中年のバツイチ男性、イケメンでマッチョな彼は女性従業員の憧れです。
●男前のレストラン・オーナーに親切にされて主人公はメロメロになります。

家賃節約の為に屋根裏部屋に住んでいる主人公は夢をあきらめず公営住宅のリニューアルの公募コンペに応募しようとします。狭い屋根裏部屋に住んでいることに同情したレストラン・オーナーは広い自分の家で設計プランを練ればいい、と申し出ます。親切なオーナーに主人公もメロメロになりますが、彼は彼女に全く興味を示しません。彼はゲイだったのです。
●屋根裏部屋に暮らしていても彼女は夢をあきらめません。ダブルワークで働いた後、コンペのために設計案を練りつづけます。

                                                     
がっくりした(笑)彼女は、気を取り直して設計コンペに応募し、優勝を勝ち取ります。しかし男尊女卑の建築界を勝ち抜くために、彼女は架空の男性建築家のふりをして応募したのです。レストラン・オーナーを設計者に扮せさせ、彼女は秘書として実際の工事を請け負う建設業者に乗り込みます。そこは威張り腐った男性社長が仕切っています。その事務所の中で彼女とゲイの男性、それに彼女に恋する建設業者の事務所の男性の三角関係が始まります
●主人公とゲイ友と彼女に恋するオタク、微妙な三角関係(笑)
 


出てくる人物が皆 ポジティヴです。男だろうが、女だろうが、お年寄だろうが、ゲイだろうが、オタクだろうが、禿げていようが、強烈なイタリアのマンマだろうが、皆 堂々として魅力的です。服もその人なりにお洒落だし、何より自分の欲求や心に素直です。主人公や周りの人物だけでなく、事務所の人たちやスラム化した公営住宅の住人たちも、どこか魅力的なんです。男尊女卑があたり前だった事務所の雰囲気も、主人公とゲイ友がてんやわんやの奮闘をしているうちにだんだん変わっていきます。
●主人公はレストランオーナーを大阪在住の男性建築家に仕立てて自分はその秘書、という設定をでっち上げます。大阪城の写真をバックに(笑)、テレビ会議のたびに大騒ぎです

イタリア映画って公開本数が少なくて年間3,4本くらいしか見られませんが、やっぱり人間観が深いものが多い。人間の見方が一元的じゃないんですね。誰だって良いところもあるし、問題もある。老いも若きもいい男やいい女を見たら心がときめいてしまう。男同士も女同士もOK。いい加減だし、間違いも犯す(笑)。人生は何でもあり、だけど本当に大事なところだけ外さなければいいじゃないか。そういう価値観で作られている映画を見ると実に楽しいし、心から元気が出ます。

                                                                   
とにかく、とても良くできたコメディでした。明るくて、ピリッと風刺が効いて、おおらかで、お洒落で、心が温かくなる。公募の背景にあった郊外のスラム化のことをもうひと押ししてくれれば大傑作になったとは思いましたが、面白さだけだったら今のところ今年一番の作品かもしれません。



こちらもいかにもポジティブ、だけどアメリカ的人間観を表現した映画です。
有楽町で映画『幸せをつかむ歌

主演はメリル・ストリープ、監督は『羊たちの沈黙』でアカデミー賞を受賞し、様々な名作音楽ビデオを作ってきたジョナサン・デミ、脚本は『JUNO/ジュノ』でアカデミー脚本賞を受賞し、シャリーズ・セロンにキティちゃんを着たイタいアラサー女を演じさせた『ヤング≒アダルト』を書いた元ストリッパーの脚本家、ディアブロ・コーディ。個人的にはワクワクする組み合わせです。

ヤング≒アダルト [DVD]

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主人公のリッキー(メリル・ストリープ)はロックスターになる夢を捨てきれず、3人の子供と夫(ケビン・クライン)を捨てた過去がある。50歳を過ぎた今もスーパーのレジのバイトをしながら、彼女はLAの場末の酒場でパートナーのギタリスト(リック・スプリングフィールド)と一緒に売れないバンドを続けている。そんなある日、離婚した前夫から、夫に捨てられた長女が自殺未遂をしたので、娘に会いに来てほしい、という連絡が入る。そこで彼女は事業に成功した元夫の邸宅があるインディアナ・ポリスへ向かう。傷ついた娘や弟たちに役に立ちたいと願うが、子供たちに何年も会っていない彼女には母親らしいことは何一つできなかったーーー

映画は彼女が率いるバンド『リッキー&ザ・フラッシュ』(名前も死ぬほど格好悪い)が昔流行ったトム・ペティの『アメリカン・ガール』を場末の酒場で演奏するシーンで始まります。徹底的に役になりきることで有名なメリル・ストリープは歌も歌えるだけでなく、ギターも本当に弾いています。だけど、だらしなくでっぷり太った姿はロックンローラ―には見えません。しなを作りながら『私はアメリカン・ガール』と歌われても困るじゃないですか(笑)。しかも30年前のカバー曲を演奏するバック・バンドの顔ぶれは驚くほどヘロヘロのジジイばかり、まばらな客席の最前列も車いすの爺さんです(笑)。
そう、彼女の音楽生活はそういう感じなんです。
メリル・ストリープのいかにも場末感がプンプンする4流ロックンローラーぶり。


                                     
バンドのギターは、かって美男子ぶりを謳われたリック・スプリングフィールド。彼の変貌ぶりにも驚きました。
●主人公とギタリスト(リック・スプリングフィールド)は私生活でも恋人ですが、中途半端な、微妙な関係です。

●これが昔のリック・スプリングフィールド

                                              
バックも皆 今にも死にそうな感じの爺さんばかりです。まるでヤク中みたいな汚い爺さんをどこから発掘してきたんだと思っていたら、演奏が普通じゃなく格好いい。下手とか上手いとかを超越した独特の演奏です。ん?。良くみたら、この爺さまたち、ニール・ヤングのバックバンド『クレージー・ホース』じゃないですか。(今はどうか知りませんが)ヤク中は本物でした(笑)。それにしてもメリル・ストリープがクレイジー・ホースを従えて演奏している!ええッ???ついでにどう見ても堅気には見えないキーボードの黒人爺さまはPファンクやトーキングヘッズでおなじみのバーニー・ウォーレル!これで、この映画の印象が180度転換します。爺さんたちも超カッコいい(笑)。映画のプロモーションではこのことには全く触れられてません。でも一部の人にだけわかる(笑)超一流映画です。

                                                      
スーパーのレジ打ちをしながら生計を立てている主人公の元に、別れた夫から電話が入ります。離婚した長女が実家に帰ってきてこもりきりになっているので助けてほしい、というのです。彼女はなけなしの金をはたいてLAから前夫と子供たちが住むインディアナポリスへ向かいます。  
                           
しかし、子供たちを捨てて出奔して、その後もほっぱらかしだった主人公は母親としても失格です。数十年ぶりに会う母親に、もう大人になった子供たちは冷たく当たります。
メリル・ストリープ母娘の共演

                                                  
長女(メリル・ストリープの実娘、メイミー・ガマー)は離婚のショックで引き籠ったままです。化粧もしないし、母親と会うことすら拒否します。結婚を控えた長男は婚約者に母親を紹介するのをためらいますし、ゲイの次男には『ブッシュに2度も投票した癖に』と罵られるありさまです。主人公の背中にはでかいアメリカ国旗の入れ墨がある、ブッシュの戦争は国を守るためだと思ってしまう 。要するに彼女は母親としてもダメなだけでなく、判断力もない。いわゆるホワイト・トラッシュ(白人のクズと言われる下層階級)ってこういう感じでしょうか。お金にもだらしなくてカードで自己破産もしてしまうし、パートナーの男には変な意地を張ってしまうし、食べるものはジャンクフードで、体型はだらしない。難しいことは端から考えようとしません。だけど悪い人間ではない。もしかしたら、こういう人物像が田舎の白人のサイレント・マジョリティなのかもしれない。トランプに投票するのはこういう人たちかもしれません。

                                                   
そんな彼女と、前夫や子供たちの住む世界は遠くかけ離れています。事業に成功した夫、美人で優しい黒人の後妻、上流階級の婚約者と結婚を控えている長男、ゲイの次男、彼らは教養があり、お金持ちでリベラルです。邸宅地の周りをセキュリティで固めた、いわゆるゲーテッド・シティに住んでいる彼らですが、仕事や私生活のストレスも多く、それほど幸せそうにも見えない。
●主人公は彼氏(右)と結婚式場に乗り込みますがどうしても場違いです。


                                          
                                                        
前夫との関係や後妻との微妙な関係など女性の気持ちの機微を描くのはディアブロ・コーディ、やっぱり実にうまいです。前妻と後妻との対決シーンなんて脚本、恐ろしすぎて(笑)男性には書けないですよ。わざわざ主人公にシャワーから出た半裸の姿で後妻と対話をさせるんですね。ここで初めて彼女は心も裸になれる。ダメダメ人間が初めて現実を認識する。女性が必ずしも女性の役割を果たさなくても、母親役を演じなくても良いじゃないか!っていう思いがこもった脚本です。主人公のキャラクターにはなかなか思い入れが持てなかったんですが、脚本の底流に流れる思いにはとても共感できました。
●左から長女、主人公、前夫(ケヴィン・クライン)。家族の温もりを取り戻したような光景です。

                     
おカネもないし若さもない、音楽もいまいち、おまけに母親失格、ダメダメな彼女はどうやって子供たちの心を、そして自分を取り戻すのでしょうか。すべてを失いかけたとき、自分はどこに拠ればいいのか。 何を信じて生きて行ったら良いのか
クライマックスで彼女がクレージー・ホースと演奏する曲がその答えです。ブルース・スプリングスティーンの、それも有名曲ではなく、スタジオ録音が発表されていない曲。さすがジョナサン・デミです。やられました。見事な説得力です。
                  
                                     
ボクの大好きな格言?があります。イギリスのロックバンド、ザ・フーのピート・タウンジェントの言葉です。『ロックは人間に悩みを忘れさせはしない。悩みを抱えながら踊らせる
                                                 
ロックに限らず、ヒップホップでも、ジャズでも、時にはクラシックでも、国会前やデモでのSEALDsや高校生たちのコールもそうだと思うのですが、時に人間は悩みを抱えながら体を動かすことで強さを持てることがあります。昨年12月や今年2月のデモにゴミ右翼の街宣車が乱入してきても、参加者が笑顔のコールで押し返したのはその好例でしょう。あのとき、クズ右翼を恐れている人なんか誰もいなかった。
●昨年12月のデモ、ちょうど右翼が突っ込んできたときの様子。今年1/18放送、TBS『報道の魂』、『民主主義 何度でも』より

                                                
この映画は、それと同じものを見せてくれます。人生はつらいし、なかなか思うとおりになりません。一人一人の力には限りがあるし、とにかく人間なんて弱いものです。でも、音楽などの芸術の力を借りれば立ち向かっていけることもある。それが人間のすばらしさのひとつかもしれません。そういうことを丁寧に表現した映画でした。公開は地味な扱いでしたが、メリル・ストリープの出演作だけあって、細かいところまで気配りが行き届いています。判る人だけが判る豪華キャスト(笑)を抜きにしても観る価値がある良作だと思います。