特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『参院選の結果』と未来を選ぶ物語:『シング・ストリート 未来へのうた』

今回の選挙の結果は皆さん、どう感じられたでしょうか。
改選数の関係から もともと厳しい選挙でした。改憲4政党が3分の2を取れなかったとは言え、無所属を含めた改憲派が3分の2を占めたのはボクとしては残念ですが、非常に成果があった選挙だと思うんです。ボクが投票した小川敏夫氏、有田芳生氏が当選しただけでなく、ボクが関心があった選挙区は福島、宮城、山形、長野、新潟、殆どは野党が勝ちました。神奈川で共産党女性候補が落ちたのは残念でしたが、民進の極右現職が落選して代わりに民進で反原発を主張する真山氏が勝ったのも嬉しかった(笑)。

                             
野党共闘が不発と言っているマスコミもありますが、バカじゃないの(笑)。むしろ共闘がなければ沖縄以外は全滅している可能性だって高かったんです。
政治学者のこたつぬこ先生のツイート

                                    
野党共闘が実現した今回の一人区は11勝21敗でした。ちなみに民主党政権下の2010年の参院選で一人区は8勝21敗、2013年は2勝29敗です。よくぞ、ここまで立て直した。
参院選:勝敗分ける「1人区」…与野党一騎打ち - 毎日新聞

それに鹿児島県知事選 原発停止を主張する三反園氏が勝ちました。あの伊藤とかいうクソ前知事はまともな避難計画を立てるどころか「高校教育で女の子にサイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか」と発言した奴です。天罰が下った(笑)。


でも改憲派が3分の2を占めてしまったのは事実ですから、反省点は考えなくてはなりません。
●これは確かにそう思います。

ボクは共産が9議席くらい取ると思っていたので、それが6議席にとどまったのが大きかった。その分の差がそのまま結果になりました。やはり完全には野党の共闘体制が組めなかったことは大きいんでしょう。
統一名簿を作れなかった比例区が想像以上に伸びなかったのが直接の敗因だし、大阪、兵庫、埼玉などで複数の候補が共倒れしたのも大きい。今更言っても仕方がありませんが、大阪・兵庫など複数区だけでも選挙協力ができていたら、それだけで3分の2は阻止できたはずです。傍から見ると維新って狂人の集まりのように見えるんですが(笑)、なんであんなに関西で強いんでしょうか。連中の行政改革などの主張がある程度説得力を持って迎えられているというのはあると思います。今回は泡沫化した小林節教授が言ってた、保守的な主張の受け皿がないという着眼点も一考の価値があるのかもしれません。
                                                  
内田樹白井聡との対談で、これからは一切 経済成長が出来ない、と決めつけているのを見かけました。こういうことを言ってるようじゃ、多くの人の支持なんか受けられないと思います。それは言ってることがバカだから、根拠がないトンデモ論だから、です。
資本主義は、もう「戦争」でしか成長できない | 国内経済 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
内田樹も良いことは言います。しかし世俗のことは本当に無知だと思いました。水野和夫先生だけじゃなく、サマーズ元財務長官のような人間まで言っているように、現在は経済成長がしにくくなっているのは事実です。しかし、内田のようにもう一切 経済成長ができないと簡単に決めてしまうのはどういう根拠でしょうか(笑)。少なくとも今後数十年は発展途上国は経済成長のエンジンになるでしょうし、ITや産業革命のような新たなイノベーションが起きる可能性がないわけではない。対談で引き合いにだしている、資本主義はもう終わりと言う水野和夫先生ですら、AIが広がっていけば新たなフロンティアになる可能性もある、と認めています。低成長を前提としつつ、成長するかしないかはわからない、という判断の元に手を打つのがまともな頭の持ち主でしょう。内田は『SEALDsの子たちですら経済成長に捉われている』と嘆いていますが、経済成長が止まって困るのは99%の側です。内田はこの数年時々おかしなことを言っていましたが、ますますボケが進んでいるようです。これじゃ殆ど陰謀論、いやEU離脱に投票したイギリスの田舎ジジイと変わらない。だからユダヤ陰謀論三宅洋平なんかに載せられちゃうんです。この程度のことはちょっと社会経験と常識があれば誰でも判断できる、そこいらの中小企業の親父だって判ってますよ。だから日本の一部の左翼はダメなんですね。だから世の中の大多数の人を振り向かせることができない。


                                                
ついでにもう一つ。ペテン師のデマのお話。先週末 SEALDsの奥田君は三宅洋平の選挙フェスでスピーチしました。三宅と対話はするけれど陰謀論にはとてもついていけないと、公衆の面前で苦言を呈したわけです。それを言いに行った奥田君は偉いが、いくらバカでも三宅がそれを喋らせたのも立派だと思います。

                                                  
ところが田中龍作のような自称ジャーナリスト、ペテン師は、奥田君が三宅の応援に行ったとデマを飛ばしました。今に始まったことじゃありませんが岩上安見とか上杉隆、田中龍作、こういう連中は自民党よりたちが悪い。マスコミも酷いけど、それを批判する自称ジャーナリストの面々(笑)はそれ以下のクズばっか。

                                                            
いつの時代にも色んな人もいるし、バカも嘘つきもいるものです。それは仕方がない。だけどバカや嘘つきでは選挙に勝てません。それもまた事実。だったら我々はもっと賢くならなくてはいけない。古賀茂明だって最初はまともだったけど、今や三宅洋平の同類、Mr.陰謀論でしょ。

                      
てな、具合で(笑)、与党だけでなく、与党に反対する側も問題は山積です。
政治家の側は民進を筆頭に野党は力不足だし、今回の都知事選の候補者選びを見たって政権担当能力も疑問です。党内のマネジメントすら出来ていない。だとしたら市民がますます政治に参加していかなければいけないと思います。自民党は権力維持のためなら何でもやります。マスコミに圧力をかけるだけでなく、国民の意見を取り入れる一面すらあります。一方 野党は旧態依然としたまま。だったら野党が更に国民の方を向くよう、我々が変えていかなければならない我々はもっと賢くなって、もっともっと政治家に圧力をかけていかなけばいけない。そのきっかけを作ってくれたSEALDsの諸君には感謝しています。
●SEALDsのUCD君のツイート

●映画監督、松江哲明氏のツイート

                                  
課題は山積だけど、3年前とは雲泥の差です。年末に解散という説も依然強い。方向は見えてきたんじゃないですか。自分たちの未来は自分で選べるはず、と改めて思いました。
●昨夏 路上に出た市民が状況をここまで変えたんです。

●結局 選挙の結果はこういうことじゃないですかね。



と、いうことで、有楽町で映画『シング・ストリート 未来へのうた
はじまりのうた』のアイルランド人監督、ジョン・カーニーの新作です。
昨年 何の気なしに見た『はじまりのうた』は驚くべき作品でした。ニューヨークを舞台に、家庭が崩壊しかけた中年のレコードプロデューサー(マーク・ラファロ)と若い女性シンガーソングライター(キーラ・ナイトレイ)の人生の再生を描いたお話は昨年のベスト1というだけでなく、ボクの生涯ベスト10に入るような映画でした。音楽映画は良くありますけど、物語に負けないくらい音楽自体に説得力があるものは殆ど見たことがありません。『はじまりのうた』は説得力ある音楽と趣味の良い演出、それに人生に対するシニカルだけど温かな目線で、芸術によって人間が救われる、という奇跡を見事に画面の中に再現していました。こんなことを映画で描けるのか、と正直、びっくりしたんです。

果たして今作はどうでしょうか。普段はこういうことはしないんですが、待ちきれずに公開初日の一回目の回に出かけました。ちなみに一回目も二回目も劇場は満席でした。


                                       
舞台は1985年のダブリン。大不況で父親が失業した14歳の少年コナーは両親から学費が安いキリスト教の学校へ転向させられる。煙草や喧嘩、イジメが横行する学校に主人公はどうしても馴染めない。ある日 街で出会った自称モデルの女の子、ラフィーナに心を奪われた主人公は、彼女に自分のバンドのミュージック・ヴィデオに出てくれと声をかける。ラフィーナの承諾を受けた主人公はさっそくバンドを始めることを決意する。

ポスターなどで登場人物たちのルックスを見るとなんか、いや〜な感じがしました(笑)。設定が80年代の再現ということだから仕方ないんですが、時代遅れと言うか、格好悪い(笑)。『××目の夕陽』みたいに懐古的な話だったら嫌だなと。もちろん、そんな、くだらない映画見たことはありませんが(笑)。
●主人公(右端)とバンドの面々。みんな、いかにもイギリスの悪ガキ、と言う感じです。あと黒人の子供にも注目。アイルランドも多民族社会です。

                       
これは監督の自伝的な作品だそうです。
お話は、デュラン・デュラン、A-ha、ザ・キュアーザ・ジャム、スバンドゥー・バレー、ホール&オーツなど80年代のヒット曲と共にコミカルに、進んで行きます。ちょっとテンポが早いと感じるところもあるけれど、見ていてとても楽しい。ゲラゲラ笑えるし、思わず何回も手を叩いて喜んでしまいました。主人公は学校の仲間とバンドを作って、ミュージック・ビデオを作ろうとするんです。その光景がおかしくて、おかしくて。
●主人公たちは当初 デュラン・デュラン風のバンドを目指します。ポンコツでしょう(笑)。

                       
                                          
でも映画に昔を懐かしむようなところはありません。楽しいお話の中に、ヒリヒリするような思いが散りばめられている
登場人物たちは殆ど全て、傷ついています。それもどうしようもないくらい。中産階級のコナーの父親は失業し、家計を支える母親には週3日の職しかありません。コナーに音楽の手ほどきをする兄は大学を中退した引きこもりです。コナーのバンド仲間も親が刑務所に入っていたり、アル中だったり、ヤク中だったりします。一見 ファッショナブルなヒロイン、ラフィーナは実は親を亡くして養護施設育ちです。折しもサッチャー政権の時代です。地方や旧来からの産業を容赦なく切り捨てています。もともと貧しかったアイルランドのダブリンではまともな職は滅多に見つかりません。大人も子供も多くの人が本当に酷く、傷ついている。 
                               

コナーの家族は離婚寸前です。夜になると父親と母親はしょっちゅう大声で罵り合っています。そういう時 子供たちはどうしたらいいんでしょうか? 自分の部屋に籠ってロックンロールのレコードをかけ、親たちの醜い罵声を聞こえなくすることくらいしかできない、ですよ。高校生くらいの時 『こことは違う世界がある』ってことを教えてくれるものはそれくらいしかなかった。コナーと同じ年頃の時 親の離婚に直面したボクも、この映画の中のコナーと同じことをしていました。ジョン・カーニー監督もきっと、そうだったんでしょうね。ちなみにカソリックが強いアイルランドでは90年代まで正式な離婚は認められていませんでした。ひでぇ国です。

                                         
主人公のコナーを演じるのはオーディションで選ばれたダブリンの素人だそうです。他に出てくる子供たちは赤毛でそばかすだったり、短髪でごつかったり、いかにもイギリスの労働者階級という感じです。良くこんな子たちを探してきたな(笑)と思ったんですが、実際もこういう感じなんでしょうね。ヒロイン役のラフィーナを演じたルーシー・ボイントンという子もマドンナ風メイクをしている時は判りませんが、それを落とすと透明感のあるルックスが実に美しい。大人と子供、どっちつかずの時期だけに見られる表情が複雑で豊かで、一筋縄ではいかない。この人はこれからも見ていきたい女優だと思いました。

                                   
厳しい環境ですが、登場人物を見る監督の視線は非常に優しい。暖かい。段々と成長していく主人公だけではありません。例えば、引きこもりの主人公の兄貴。引きこもりというとイメージ悪いですが、彼の名言の連発には、こんな兄貴が居たらいいなあ、とつくづく思いました。話が進むにつれて彼が抱える心の闇が露わになってきても、監督の温かい視線は揺るがない。彼のつらさや気持ちを丁寧に観客に理解させます。そして終盤、彼も自ら、小さな一歩を踏み出します。
●兄貴(左)は主人公(右)に『うまく演奏しようとするんじゃない。お前はスティーリー・ダンか?』、『フィル・コリンズを聞いているような男には女が惚れるわけがない』など見事な名言を連発します(笑)。

                                                        
ヒロインのラフィーナの造形はどう表現したら良いでしょうか。綺麗だけど客観的に見れば、モデルとしては身長も低いし大したことない。それは自分でも判っているけれど、ロンドンへ行く夢をあきらめきれない。養護施設育ちの彼女には保守的なダブリンに居る場所はないから、です。夢が破れて公園のベンチで一人で佇む彼女の表情は文字通り愛おしかった。とにかく殆ど全ての登場人物に感情移入できるんです。
●主人公はラフィーナ(左)にひと目ぼれします。

                                             
80年代のヒット曲が沢山使われていますが、主役はオリジナルの曲です。それだからこその、ジョン・カーニー映画です。名だたるヒット曲に負けないようなクオリティのオリジナル曲をぶつけてきます。懐古趣味なんか、かけらもない。それどころか前作同様 単に良い曲というだけでなく、映画の説得力の一部になっているんです。そういうレベルの曲が何度も流れてくるので、泣けてしまって困りました(笑)。詳しくは書きませんが体育館での演奏シーン、なんと暖かくて優しいのでしょうか。文字通り、夢のようでした。ボクが高校生の時 心の底で空想していた世界そのままでした。この歳になって(笑)そういう世界を自分の眼で初めて見ることができた!その夢はたった3分間で終わってしまうのですが。


はじまりのうた』は音楽によって人間が救われることを描いていました。でも、『シング・ストリート』は違います。主人公たちは音楽の力を借りるけれど、自分の意志で未来を選びとります。EU離脱に投票したバカどもとは正反対の未来です。アダム・レヴィーン(マルーン5)の主題歌『Go Now』は若者たちの背中を文字通り後押しします。これもまた超名曲ですが、曲の使われ方が素晴らしい。画面と曲がリズムに至るまでシンクロしている。いったい、どういう編集なんだ。まるで、この映画は生きているようです。どうしようもない過去を荒波が洗い流し、映画自らが未来を切り開いていくようでした。
●家に帰って直ぐサントラを注文しました。

シング・ストリート 未来へのうた

シング・ストリート 未来へのうた

 
                                                                                                           
エンドロールでFor Every Brothers(全ての兄弟のために)という献辞が流れます。この映画で描かれているのはアイルランドの若者たちです。でも この映画はボク自身の物語でもあります。たぶん、多くの人がこれは自分自身の物語、と感じたんでしょう。この映画は欧米の個人ユーザーの評価サイト『ロッテン・トマト』では確か94点と異様に高い評価が付いています。そういう映画です。

お話のテンポが良すぎて、音楽の変遷に見えるバンドの成長度合いが少し判りにくかったことや、一癖ありそうで愛すべき登場人物一人一人のキャラクターをもっと掘り下げて欲しかった、という気はします。でも、この作品の最大の欠点は終わりがあること。ずっとずっと、この映画を観ていたかった。1時間50分くらいじゃ全然足りない。
土曜日の朝 この映画を観て、午後に違う映画(ブルックリン)を見ている時も、また翌日も、この映画の事を思いだしてはずっと泣いてました(笑)。もう一度繰り返してしまいますが、これはボク自身の物語、だからです。他の誰かが、ボク自身の物語を語ってくれたことが嬉しかった!

                                      
この映画を観た多くの人が言っている通り、今年のベスト1はもう、決まりです(笑)。楽しくて優しくて勇気を与えてくれる、こんな傑作を作ってくれて、ボクはジョン・カーニー監督に心から感謝しています。
OK、大丈夫です。こんな酷い世界だってボクたちは生きていけます。あの子たちと同じように、です。ボクたちも未来を選ぶことができるはずです。