特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

ボウイの訃報と映画『ローマに消えた男』

今しがたデヴィッド・ボウイの訃報が飛び込んできました。おっそろしく前衛的な新譜が出たばかりなので最初はガセかと思ったんですが、ガンで18か月の闘病生活だったそうです。
●ガーディアン紙の訃報。当然トップ。

David Bowie: legendary rock star dies of cancer aged 69 – updates – as they happened | Music | The Guardian

心臓のバイパス手術を受けて以来ライブは控えていたそうですが、前作も良かったし、ジジイになってもルックスは恰好良かったし、これからも新しい音楽を創ってくれると思っていたので結構ショックです。今の若い人はこの人が坂本龍一とキス・シーンを演じたことがあるなんて知らないんだろうな。彼が居なかったら、男が化粧をしたり原色の服を着たり、ロックが前衛芸術と融合することはなかったでしょう。ボウイが居ない世界、その閉塞感はなかなか辛いものがあります。参った。世界中の多くの人と同じように、ボクもこの人にはまともに影響を受けました。ありがとうございました。思いはそんな言葉では言い表せないですが。
ポリリズムがフィーチャ―された新曲『Black Star』。滅茶苦茶前衛的な10分間の曲は69歳の爺さんが歌うようなものではありません。ただ、どう聞いても『死』がテーマだから、まさかとは思ってたんですが。

Blackstar

Blackstar

                                              
それにしても、なかなか、野党の共闘体制は整わない。年明けに起きているのは端的にはこういうことです。

                                
相変わらず民主党は呆れかえるような無能さです(社民も他の政党もそうだけど)。さすがにSEALDsの子たちもこういうことを言いだしています。

歴史を振り返れば、フランスにしろ、スペインにしろ、イタリアにしろ、『人民戦線』(オリーヴの木)方式はうまく行かないとボクは思っていますが時間はないし、その中でよりマシな選択肢を選ぶしかありません。
だけど最近の安倍は調子に乗って、わざわざ対立軸を作ってくれました。『改憲』です。

最近は国会議員だけでなく、世論調査でも『改憲派』の方が多い結果も出ていますからボクは『改憲』が選挙に勝つマジックワードとは全く思いませんでも一党多弱ななかで野党は対立軸を作って、それを訴えていくしかない。集中戦略しか手段はありません。まして今の世の中 誰にでも良い顔をすることはできません。最低限 妥協できない論点に立脚しながらも多くの人の最大公約数を作っていく努力、それが政治なのだと思います。『改憲』だって対立軸の一つにする価値はあるでしょう。
菅直人がブログでこういうことを言っているのは楽観的に過ぎると思いますが(良くも悪くも国民はもうちょっと即物的だし、安保法の廃止と言っても今回の選挙で野党が過半数を取る見込みは今のところはないでしょう。)、

                             
とにかく具体的な対立軸を作っていくしかないってことだけは確かです。
●渋谷駅構内のSEALDs本の広告

●10日、銀座で香山リカ氏が在特会のヘイトデモに沿道で抗議していたのが話題になっています。時々この人は危なっかしい発言もしますけど、この姿を見て立派だと思いました。ボクは机の前で屁理屈こねてるだけの能無しより、行動する人を尊敬します。彼女は近くに住んでいるので、道で逢ったらお礼を言うつもり。


                          
そんな状況にぴったりの映画 を少し前に見ました。恵比寿で映画『ローマに消えた男ローマに消えた男


野党第1党(左翼政党)の書記長である主人公は低迷する支持率に頭を抱えていました。国民に対して明確な方針を示せない彼は党内からも見捨てられつつあり、鬱病状態です。悩んだ彼は失踪してしまいます。主人公の妻から、主人公にそっくりな双子の弟が精神病院に入院していることを聞いた党の幹部は、双子の弟を連れ出して替え玉に仕立て上げます。元大学教授で半ば躁状態の弟は主人公とは対照的に雄弁に今後の方針を国民に語りかけます。すると、みるみる内に野党の支持率は上昇していくのですが。

この映画は2012年の作品です。そのころイタリアの政界は混迷の状態でした。折からの経済危機でイタリアはIMFの監視下に置かれていました。右翼のベルルスコーニ首相は脱税と少女買春で辞任しましたが(笑)、既成政党は中道も左も国民の信頼を失っています。ベルルスコーニは最低なのはわかってますが(笑)、代替手段がないんです。だからベルルスコーニの極右は相変わらず勢力を保ち、反政党政治/ポピュリズムを標榜する五つ星運動が台頭するなど政界はどうにもならない状態でした。イタリアがそのようなときに作られた映画です。
良心的な市民が投票できるような政党が何もない、どこかの国の政治に似ていませんか!
●何事も今いち歯切れが悪い、野党第一党の書記長

                               
主人公と弟を演じるトニ・セルヴィッロはアカデミー外国英語賞を取った『永遠のローマ』で主役を演じた人です。
●美しい光景と思わせぶりの散文。泥酔している週末に見るにはぴったりの映画です(笑)。

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あの時は60半ばを過ぎても初恋の人に憧れを寄せる作家(笑)を演じていましたが、今回はうつ病の政治家と躁状態の弟、二役を完璧に演じ分けています。メイクもあるでしょうが、悩める政治家と能天気で生気あふれる弟、まるで歳が10くらい違うように見えるんです。お見事としか言いようがありません。
●野党の幹部(右)は失踪した書記長の替え玉に、精神病院から双子の弟を連れだします。

●元大学教授の弟は雄弁と明るい性格で人々の心をつかみます。一人二役ですが、別人に見えますでしょう!

●対立する与党の女性首相と、そっとダンスまでする始末(笑)。

                                                                
失踪した書記長は妻とも冷戦関係にありました。妻も会社を経営しており、辛気臭い夫のことなんか相手にしていないのです。彼は南仏に住む元カノのところへ逃げ込みます。いかにもイタリア人らしいですよね(笑)。勿論 元カノには夫も子供も居ます。彼らは書記長の事情を全て知ったうえで、滞在させてあげます。こういうところもイタリア人らしいというか、おおらかというか、大人というか、いいなあと思います。さらに、元カノは仕事場の若い同僚女性を書記長にけしかけたり、それに嫉妬したりもする。若い子の話じゃなく、50を過ぎた大人たちの話ですからね!これもイタリア人らしいと言うか、幾つになっても男と女です。いいなあ!(笑)
●書記長は元カノのところで人間らしい感情を取り戻します。なんじゃい、それ(笑)。


一方 替え玉に起用された弟は意外な活躍を見せます。精神病院に入院していても元大学教授だけあって言葉は雄弁なんですね。従来の左翼への自己批判と将来への希望を語りかける弟の演説は党内だけでなく、多くの人々の心を得ていきます。ついでに、書記長の妻の心も(笑)。
●人間らしい感情に溢れた弟は書記長の妻の心もつかみます。

                                                                
実際にローマ市内で大勢の人を前にした、ブレヒトの言葉を引用した弟の演説シーンには本当に感動しました。まず、自分たちが今まで間違っていたことで今のような事態を招いたことを詫び、政治家だけでなく、国民一人一人が今の困難な事態を打開するよう努力していこうと、語りかけるのです。それが多くのイタリア人が待ち望んでいた率直な言葉だったんです。
                                             
未だに日本の民主党自己批判一つできていません。今のような事態を招いたのは民主党に責任があります。彼らの政策や、やり方には良い点はあるにせよ、大筋としては間違っていた。社民だって共産だって同罪、いや、もっと酷いかもしれない。生活なんか問題外(笑)。
だけど我々にだって責任がある。国民だって自分たちの選択が間違っていたことも判っていますよ。そこで 事実を認め、そこから再起しよう、と言うことがどうして、言えないんでしょうか。それこそが日本人も待ち望んでいる言葉ではないでしょうか。
                                                    

お話が進むにつれ、悩める政治家と能天気な弟、表情が段々と一致していきます。これは見事なプロットです。ちょっとしたロマンス(笑)と休息で文字通り心を取り戻した政治家はやがてローマへ戻ります。時を同じくして、弟はいずこへと姿を消します。
政治を題材に取りながら、人間らしい生き方とは何か、ということを根底にした喜劇/お伽噺はとても面白かったです。少し前に観た『カプチーノはお熱いうちに『民意の受け皿は?』と『8月の実質賃金』、それに映画『カプチーノはお熱いうちに』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)もそうでしたが、イタリア映画は人間に対する眼差しの深さが違うと思います。とても面白かったです。