特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

君の武器はプライド:映画『パレードへようこそ』

昨日投票所へ行ったら、やたらと年配の人が目につきました。杖をついていたり、足を引きずるように歩いていたり、投票所の中にいる半分以上が70代以上と言う感じでした。年配の人が投票に行くのは悪いことではないが、若い人はどこへ行っちゃったの。午前中だったから、かもしれないけど、先行きは暗い、と思いました。案の定 全国的には史上最低の投票率らしいです。こりゃあ、ダメだ。選挙期間も短すぎるし、やっぱり棄権はオーストラリアみたいに有料にした方がいいですよ。

                  
ボクが生まれた渋谷区の区長選は同性パートナーへ証明書を発行する多様化社会推進条例に積極的な無所属(前区長推薦)、民主・維新・生活・社民が推薦したベテラン区議、条例に反対の自民推薦の女性世襲議員の3つ巴だったが、無所属が当選しました。非自民が渋谷区長になったのは初めてではないでしょうか。多様化社会推進条例を推進した前区長は時には独裁的な手法が非難されることも多いゴリゴリの保守ですが、同性愛の人たちと知り合いになって条例を提案しました。どちらかというと保守的な、この無所属もそう。ゴリゴリ野郎でも話せばわかることもあるんですね。右も左も保守も革新も もはや意味なんかないというのが今回の選挙では明確になりました。問題なのはバカかどうか(笑)です。自民は谷垣や石原が応援に入るなど力を入れていたが、都から金を引っ張ることを公言して区長を世襲しようしたバカ女の候補が落選したのは実に良かった。豊富な財源がある渋谷まで他所のカネにたかってどうするんだよ。この盗人!
今 ボクが住んでいる世田谷区長選も元社民の現職 保坂展人氏が当選してほっとしました。対抗は商店街連合会副理事長の自民・公明・次世代推薦の候補。ボクに言わせれば商店街連合会なんて農協と一緒、既得権をむさぼる時代遅れの税金泥棒の集まりです。元社民の国会議員の保坂氏は政策の実行スピードを非難する向きもあったが、丁寧にコンセンサスを取りながら、敵を作らずに政治を進めてきたということも言えます。いつもは足を引っ張る共産も含めて野党が一致して、彼を支援しました。
野党側に受け皿がないと言っても、自民の候補が強い支持を受けているわけではない、ということは渋谷・世田谷の結果が証明したわけです。特に保守天国で完全無所属が自公にも野党連合にも勝った渋谷の結果は将来への示唆となるのではないでしょうか。ちなみに世田谷も渋谷の同性パートナーシップ証明に準じたことをやると保坂氏は言っています。電通の調査では今の日本で性的マイノリティは8%弱いるそうですが、文明的な自治が日本でも二つは生まれることになります。この際 世田谷と渋谷だけでも日本から独立するのはどうでしょうか(笑)。

                                                    



銀座で映画『パレードへようこそ映画「パレードへようこそ」オフィシャルウェブサイト
原題はPRIDE。これは文字通り、人間としてのプライドと世界各地で行われているLGBTのパレード『プライド・パレード』をかけています。

舞台は1984年の夏、イギリス。かっての基幹産業だった炭鉱で労働者たちが全国規模のストライキを起こしたが、サッチャー政権はそれに対して警官の暴力も含めた強硬な態度で臨んでいた。その様子を見たロンドンのゲイたちは炭鉱労働者を支援をするためにLGSM(レズ・ゲイによる炭鉱夫支援グループ)を結成する。だが保守的な炭鉱夫たちはゲイたちに拒否反応を示し、支援も拒まれる。ところが団体名のLをロンドンと勘違いしたウェールズの田舎町の炭鉱が支援を受け入れることになり、彼らは直接寄付を届けることにしたのだが- - - -

                                                                                      
イギリスの炭鉱に関する話と言えば、炭鉱の閉鎖と鉱夫たちのブラスバンドを描いたブラス!という大名作を忘れられません。サッチャリズムによるコミュニティの崩壊とそれに翻弄されながらも人々がどうやって希望を持とうとしたかを描いた実話でした。

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パレードへようこそ』も実話だそうです。と言っても、このことは殆ど知られていません。本作がデビューの脚本家、スティーブン・べレスフォード氏が新聞などの資料を集めてつなぎ合わせ、当時の記録を持っていた存命のLGSMのメンバーに偶然ぶちあたったことで完成したそうです。撮影は実際に舞台となったウェールズの村で行われ、当時を知っている村人たちも参加したとのこと。
●LGSMの当時の記録写真

                        
映画は警官隊が炭鉱労働者たちに暴力をふるっている記録フィルムから始まります。TVでそれを眺めるゲイたち。その中の一人、マーク(ベン・シュネッツアー)はそれを見て、自分たちも警官に苛められている者同士だから炭鉱夫たちを支援しようと言い出します。『共通の敵はサッチャー』というのです。ボクも当時 警官が労働者を殴るシーンをTVで見て、なんて酷いんだ、と思っていました。遠い国のことでどうしたら良いか判らなかったけど、彼とまったく同じ気持ちでした!
画面からは当時流行った『ザ・スミス』の曲が流れます。『ザ・スミス』はホモセクシュアルを公言し、『女王は死んだ』と宣言していたカリスマ・バンドです。他にもこの映画で流れる曲はカルチャークラブヒューマンリーグデッド・オア・アライブソフト・セル、そしてブロンスキー・ビート、80年代イギリスのヒット曲って同性愛のバンドが多かったことに今更ながら驚きます。

●ゲイたちは苛められているもの同士、連帯することを思いつく。新聞を持っているのがマーク

前半は都会の性的マイノリティと田舎町の炭鉱夫とその家族たちが、どうやってギャップを乗り越えていくかがユーモラスに描かれています。この映画の英文の宣伝コピーは『涙の量と同じくらい笑える』だが、まさにそういう感じです。ただでさえ保守的でマッチョな炭鉱夫たち、しかも超ど田舎の村の人たちだ。村には飲み屋などなく、夜は人々が村のホールに集まって酒を飲んだり、自分たちで音楽を演奏する。言葉も英語だけでなくウェールズ語。都会のゲイなんか受け入れるはずがありません。
最初に心を開いたのは村のおばちゃんたちでした。LGSMのメンバーから警官の嫌がらせへの対処や都会のダンスなどを教えてもらううちに次第に心を開いていきます。頑なだった男たちもおばちゃんたちに引きずられて、お互い同じ人間であることがお互いに判ってきます。ウェールズは民俗音楽が盛んで各地にコーラス隊がある土地柄だそうです。マークの演説に対して、村人たちがコーラスで返答する村のホールでのシーンはその自然さと歌声が実に美しい。大号泣しました(笑)。

●LGSMのメンバーにダンスを教えてもらい大喜びする田舎のおばちゃん。この村では男たる者はダンスなんかしない!ということになっていた(笑)


ユーモラスな映画の描写は実は非常に緻密で、現実味に溢れています。
例えば当時 性的マイノリティたちが誹謗中傷や暴力に脅かされていたことがさりげなく、だが、しっかり描かれているんです。ちょっと前までは公共の場でゲイであることを表現すると警官に捕まっていたこと。寄付を募るのも危ないので一人で街頭に立たないのをルールにしていること。彼らの拠点となっている左翼書店にも落書きやブロックを投げ込まれたりします。
炭鉱夫たちとその家族がストの間、どのような生活を強いられていたかも良くわかります。1年という長期のストで生活も困窮し、ガスや電気が止まったり食糧にも事欠く状態でした。それがどんなに切実な問題だったか、恥ずかしながらこの映画を見るまで思いが及びませんでした。
●鉱夫たちの妻も当然のようにデモに参加する


                                         
組合の意味も日本と全く違います。村人が組合の旗の由来を『この旗は100年前から続いている』とゲイたちに紹介するシーンがあります。炭鉱労働で生計を立ててきた人たちにとって組合はイデオロギーとか階級闘争ではなく、生活の場なんです。確かに炭鉱の多くは赤字だったかもしれないが、ただ潰すだけならバカでも出来ます。モノにはやり方というものがあります。この場面は組合を潰すことでサッチャーが多くの村々のコミュニティごと破壊してしまったことが良くわかるシーンでした。そんな役立たずの国家も政治家も要らねえよ(笑)。ナショナリズム愛国心)ではなく、郷土を愛するパトリオティズム愛郷心。国家だの国旗だの大仰な美辞麗句で飾ったナショナリズムより、身の丈にあった郷土への素朴な愛情であるパトリオティズムこそが人間にとって自然な感情であるようにボクには思えます。

余談だが経済人類学者のカール・ポランニーは共同体の崩壊で人々がセーフティネットなしの生身で市場経済に晒されて苦しむ現象を『悪魔の挽き臼』と名付けています。それがサッチャーの時代にイギリスで起きたことだし、日本でも徐々に進行している現象です。19世紀に成立した国民国家はグローバリゼーションの進展で次第に役割を終えつつあり、これからは身の丈に見合ったパトリオティズムの時代、都市国家的なものが重要じゃないかと、ボクは思っています。

●ボクはデモへ行くたびに組合の幟を『バカ』、『センス最悪』、『邪魔』と悪口雑言を並べてますが、これならOK!(笑) 『ブラス!』で見た勇壮な地方色豊かな巨大な幟やブラスバンド隊をこの映画で見られるとは思わなかった

                 
他にも様々な人物のエピソードが山盛りです。例えばウェールズ出身のゲイの左翼書店主。彼は自分がゲイであることで故郷にいられなくなって都会に出てきたが、同じウェールズ人の村人たちと交流するうちに音信を断っていた故郷の母親とつながりを取り戻します。
●この役を演じるアンドリュー・スコット君は年初の『ジミー、野を駆ける伝説』でも渋い神父役をやっていた。非常に印象が良い(笑)。

                            
いつもの不良ロック・ジジイぶりを封印したビル・ナイが演じる物静かな組合の書記がゲイたちと触れ合ううちにやっと真実を明かす話、ずっと田舎と家庭のことしか知らなかった平凡な主婦がゲイたちに薦められて大学へ進み、やがてその地方始めての議員になる話など、心を動かされるエピソードぞろいです。
●サンドイッチを作りながら、長年隠してきた秘密を打ち明ける明かす組合の書記(ビル・ナイ)。それを聞いた妻(イメルダ・スタウントン)の表情!


LGSMと村人たちのつながりは次第に強まっていくが、どうしても性的マイノリティを受け入れない村人がタブロイド紙に密告します。『ストはオカマの言いなり』というスキャンダラスな記事にされたことで、組合はLGSMから支援を受け続けるかどうか岐路に立たされます。イギリスの新聞はタイムズやガーディアンといったまともな新聞と超下品なタブロイド紙に二極化しているというのは有名ですが、一目で嘘と判る下品な記事を、頭が悪い奴が本気にしてしまうのはネット社会の今と全く同じです

LGSMはスキャンダラスな記事を逆手にとって炭鉱支援コンサート『炭鉱とヘンタイ』(Pit And Pervert)を開きます。ゲイであるエルトン・ジョンのクソ野郎が支援を断ったこともちゃんと描かれています(このことは当時の朝日新聞に載った。ボクも覚えている)。コンサートにはちょうど『スモールタウン・ボーイ』という曲がヒットチャート1位になったばかりのブロンスキー・ビートが出演しました。画面でも流れる、この曲は周囲から苛められて自殺したゲイの少年の実話を歌にしたもの。コンサートは盛況で、LGSMは多額の支援金を集めることに成功します。
●『スモールタウン・ボーイ』のプロモビデオ


だが、1年以上に渡った炭鉱ストは労働者たちの敗北に終わったことは歴史が物語る通りです。映画では描かれないが、分裂など組合内の問題もあったし、一部が過激路線に走ったことで一般からの幅広い支持を取り付けることもできなかったらしいです。70年代にはヒース内閣を倒す力すらあった炭鉱ストだが、80年代には衰退を隠せませんでした。そして同じ頃 存在がクローズアップされたエイズ。LGSMのメンバーもエイズの脅威や暴力に晒されて散り散りになってしまいます。
映画はここで最年少メンバーの少年のことを描きます。中産階級育ちの彼は自分自身のことをずっと親にも言い出すことができませんでした。LGSMの活動もおっかなびっくり、内緒です。だが彼は意を決して、本当の自分を主張しはじめます。そして家を出ていく。一番暗い時間に、未来に繋がる希望のエピソードが描かれるのです。
●最初は奥手で何も言いだすこともできないカメラ好きの少年だった。

                                       
傷つき、散り散りになった他のメンバーたちもやがて再会し、何とか自分たちの運動を再開します。そしてストが終わった翌年、1985年のプライド・パレードで驚くべきことが起きるのです


登場人物たちと物語のその後を描く最後のテロップまで驚かされ、感動させられます。ボクは大泣きでした。勿論 嬉し泣きです。
●引っ込み思案だった、さっきの少年が今度はデモの真ん中にいる!

                                                                               
先週感想を書いた映画『イミテーション・ゲーム』は50年代のイギリスでゲイの人たちがどのように扱われていたかを描いていました。この『パレードへようこそ』はその後、80年代にゲイの人がどのように扱われていたか、また、なぜ80年代後半に英労働党の綱領に『性的マイノリティの権利』が謳われるようになったのか、を描いています。そして映画が作られた昨年 イングランドウェールズでは同性婚が合法化されました。
プログラムに載っていたインタビューで当時のLGSMのメンバーが『今の人たちは順番待ちをしているんじゃないか、という気がする』と言っています。この映画は結局 自分のことは自分でやる、自分が声を出していくしかないってことを教えてくれます。そして、色んな人がいます。主義主張や嗜好が違っているのは当たり前です。だからこそ政党やイデオロギーに関係なく、最大公約数を見つける努力をするんです。99%の側でも、LGBTでも、リベラルでも、リバタリアンでも、穏健保守でも、アホに対して共同戦線を張っていく。イギリスの彼らの経験から学ぶべきことは多いと思いました。
                                                        
これが実話だというのは驚くしかありません。こうやって市井の人が作った歴史があったんです。この話を掘り起こした脚本家は本当にエライ。感情的になっちゃうけど、サッチャーだけはホント、許せない。多くの人が言っているように、こいつだけは地獄、それも民営化した地獄に落ちればいい。『ブラス!』も今年見た『ジミー!野を駆ける伝説』もそうだが、政府の圧政は様々な傑作映画を生み出している。これから日本も傑作が生まれてくるのでしょうか
                                                                                   
パレードへようこそ』はサッチャリズム/新自由主義が如何に地域社会を破壊したかを描いた映画でもあり、立場が異なるもの同士の理解と友情を描いた映画でもあり、性的マイノリティの権利拡充や女性の自立を描いた映画でもあります。登場人物が多くてお話が若干散漫になってしまったところはあるけれど、くじけたり、転んだりしながら、一歩ずつ前へ進む市井の人々のエピソードの数々は道端に宝石が転がっているかのように美しいです。笑って泣かせて考えさせる この映画は今後、何回も見返してしまうような傑作です。こうやって感想を書いていても涙が出てくる(笑)。もう一度見たくてたまりません。

エイズで亡くなったマークのことを歌ったザ・コミュナーズの『For a Friend』(歌詞つき。ヴォーカルのジミー・ソマーヴィルは実際のPit and Pervertのコンサートに出演した)。