先週と同じ感想ですが、お休みが過ぎるのは早い(笑)。楽しいことはあっという間です。
かねがね、日本人は食事を大切にしないなーと思っています。
どんどん減ってきてはいるにしても、まだ手作りで美味しい個人経営の店はあるのに、高くて不味くて体に悪いコンビニの食品やファストフードが世の中を闊歩しているのがその証拠です。ああいう食事は豚の餌、と言ったら豚さんに失礼か(笑)。
これだって↓典型的な日本人の発想でしょう。
ちなみにイタリアの避難所の食事がコレ。
— Mighty Jack (@Mightyjack1) 2024年1月26日
ワインも付くらしい。
予算は1食につき7ユーロ(約1100円)
日本は3食で1230円
溜息しかでないね。 https://t.co/YGyiIQziZc pic.twitter.com/qJfQBd6Tz9
勿論 全部が全部、こうではないかもしれないけれど、です。
まもなく4週間になろうというのに、なぜこんな状況なのか。しかも、七尾市。24日の閉会中審査で述べられた政府のプッシュ型支援がこれなら、お粗末過ぎる。 https://t.co/UPoeAHdamt
— 石垣のりこ (@norinotes) 2024年1月26日
避難所【#鵜川小学校】です。
— な (@0x2x0x1) 2024年1月28日
今日のお昼ごはんです。
・あんぱん
・みかん
・ヤクルト#能登半島地震 #能登町鵜川 #能登町 #能登 #石川県 #石川 #地震 pic.twitter.com/k9sfre8U4A
避難所だけの話ではなく、日本人は食事、いや 生活そのものを大事にしない。押し合い圧し合いの満員電車、子供や犬を危険にさらす歩きたばこ、生きてるだけでムダな深夜の泥酔者、周囲に構わずスマホ見ながら歩いている猿以下の老若男女、そして困っている人にゴミのような食事を押し付ける、役人も含めて、それが日本の民度です。
「日本の避難所は“ソマリアの難民キャンプよりひどい”」 世界から指摘されても、なぜ整備が進まないのか https://t.co/r8ugtS4d83 #デイリー新潮
— mipoko (@mipoko611) 2024年1月27日
「災害だから仕方ない、日本はそういう国だから」とか我慢するのやめよう日本の人々。なんのための税金払ってんの。
映画『PERFECT DAYS』の役所広司演じるトイレ掃除を生業とする主人公は、朝 玄関のドアを開けたときに仰ぎ見る空や公園で見る木漏れ陽など何気ない日常に美を見出すことで勇気づけられ、生きていました。今の日本では至難の業です(笑)。
目の前が暗くなる https://t.co/PMNqn5H8G6
— 町山智浩 (@TomoMachi) 2024年1月29日
やっぱり、あれは極端に美化した日本、机上のフィクションなんだよなあ(笑)。
ホント同性婚がすすまない理由って、そのまんま日本が衰退してる理由だろ
— 愛国心はなまけ者の最後の逃避場 (@UniButterPasta) 2024年1月28日
あんなの幸せになる人が少し増えるだけで、ちょっとでもまともに脳味噌あったら国が根底から変わるような事は絶対にないと断言出来るからな
つまり国の中枢にその程度の脳味噌もない奴らが巣くってるってこと何ですよ、わーくに
と、いうことで、渋谷で映画『ポトフ 美食家と料理人』
19世紀末のフランス。美食家のドダン(ブノワ・マジメル)は彼が思いついたメニューを完璧に再現する料理人のウージェニー(ジュリエット・ビノシュ)とともにヨーロッパ中で高名を博していた。ドダンはある日、招待されたユーラシア皇太子の晩さん会の料理に失望し、お返しの晩さん会でシンプルな家庭料理であるポトフを作って皇太子をもてなそうとするが。
役所広司が主演男優賞を獲得したカンヌ映画祭で監督賞を受賞した作品です。監督はベトナム出身のトラン・アン・ユン。料理監修は独創的な料理で知られる三ツ星シェフのピエール・ガニェール。
料理人を演じるジュリエット・ビノシュと美食家を演じるブノワ・マジメルは現実でも一時期 パートナーだったそうです。
●美食家のドダン(ブノワ・マジメル)と料理人のウージェニー(ジュリエット・ビノシュ)
映画は二人がひたすら料理を作っているところから始まります。時間にして10分以上は延々作っているシーンが続くと思います。
それだけ描写に時間をかけているだけあって、二人が作っているものはオーソドックスだけど手が込んでいて、ちゃんと作っているものであることが伝わってきます。
全く説明がないので、二人の関係性は実は良くわかりません。お互い好意を持っていることは判る。それ以上にウージェニーの料理人としての使命感は強いとは思いましたが、グツグツ鍋を煮る音にかき消されてしまう(笑)。
『美食家』という職業?も良くわからない。材料や組み合わせを考え、出来上がった美味いものを流麗な言葉で表現する。確かに舌だけでなく、独創性やアイデア、それに文学性や表現力が要る。つまり、才能が必要なのは判る。
しかし、それが職業として成り立つのか(笑)。フランスならでは、なのかもしれません。だけど中世の貴族社会ならともかく、19世紀のフランスもそうだったのでしょうか。
お話は起伏も乏しく、劇伴も流れません。聞こえてくるのは鳥のさえずりと虫の声、そして風の音。
人間たちは、と言えば、主人公のウージニーとドダンはやたらと料理ばかり作っている。美食家たちは呆れるくらいひたすら食っている(笑)。
料理や食こそが愛の交歓、という観方はあるかもしれませんが、ドランの仲間の美食家のデブたちが朝から晩までガバガバ食っているのを見るとそうは思えなかった(笑)。
ポトフに骨髄まで入れれば美味しいに決まっています。ウージニーとドダンはオーソドックスな料理をガチ丁寧に作っている。ボクはそこにこそ、この映画の想いがあると感じました。
出てくる料理は、良く言えば独創的、悪く言えば奇をてらっただけ(笑)のフレンチで有名なピエール・ガニエールが監修をしているとは思えません。普段食べるオーソドックスなものが一番美味しいということを、それとは対照的な料理人の料理で表現する、のは意外でした。そこまで監督が計算したとは思えないですが(笑)。
●東京のガニエールの店では今、この映画のメニューを何と37,000円でやってます。『普段着の料理が素晴らしい』という、この映画に込められた思いとは全く異なる(笑)。今 こういうものを再現しようとするとそうなるのは理解は出来ますけど、呆れました。
anaintercontinental-tokyo.jp
ボクが男女の心の機微に疎いせいかもしれませんが、映画を見ていると美食家と料理人の関係なんかどうでもよく思えてきます。
ただ、料理人を演じるジュリエット・ビノシュと美食家を演じるブノワ・マジメル、二人の視線の絡み合いは凄い。二人の視線が絡み合い、ねじれあい、何とも言えない濃厚な空気を作っていきます。元恋人同士だから、というのは下衆の邪推ですが(笑)、ポトフというより、濃厚なソースの様に二人の視線が絡まっている。
調理のシーンが全体の半分以上を占めている気がしますが、これは料理がテーマではなく、哲学をテーマにした映画です。
修行のようにひたすら料理を作るシーンから、映画のセリフにある『変わらないものを追い求める事こそが幸せなのだ』という哲学が強く伝わってきます。ここは非常に共感できます。監督がベトナム人だから、なのでしょうか。
一つの死が描かれ、その思いが新たな世代に受け継がれていくのが描かれます。これこそが人間の密やかな希望です。
人間の勝手な思い、願いや嘆きをよそに、今日も鳥はさえずり、虫は鳴き、台所では鍋をグツグツ煮る音が響いている。そして思いは受け継がれていく。そんな映画でした。
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