特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『名残紅葉』と映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』

 このところ、東京もいよいよ寒くなってきました。真冬の寒さです。

 お世話になっているGAEIさんのブログ九品仏の紅葉 | Busybee Lifeで、九品仏の紅葉がきれい、という話を見て、日曜日の朝に行ってきました。
 歩いてすぐ近くにあるお寺に紅葉が植わっているとは知りませんでした。わざわざ京都に行かなくても済んだのに(笑)。

 もちろん、今年の紅葉は殆ど終わり。ごく僅かだけ残っている名残紅葉です。でも朝早くだったので人も少ないし、紅葉の背景に晴れ渡る青空は綺麗でした。

 銀杏の絨毯の上に紅葉、なんて思いもつきませんでした。

 ついでにお寺の向いにある、何年か前にパンの世界大会で優勝したというパン屋へ寄ってみました。
 普段は大行列ができているので近寄ろうとも思わないのですが、朝早かったのでこの程度でした。それもラッキー。


Comme'N TOKYO | コム・ン トウキョウ

 パンは太るからあまり食べないようにしているのですが、折角なのでお昼用の食パンとシュトーレンを買って帰りました。世界一かどうかは別にして、材料は良かったので中々美味しかったです。
 ただ食パンなんか食べてしまうと体重計が怖い(笑)。特に白いパンは太ります。月曜日の今日は朝も昼もご飯抜きです。


 岸田の不支持率が過去最高になったそうです。1947年以来 最悪の結果というのはある意味、立派です(笑)。

 そりゃ、未だに岸田を支持している人がいるのなら会ってみたい(笑)。いくら頼りなくても穏健な野党なら岸田よりマシ、と考える人は増えてくるでしょう。

 いずれにしても岸田はこのまま居座って国民が忘れるのを待つのでしょう。与野党ともに代わりがいないのはこんなに強いのか(笑)。やっぱり自分の権力のことしか考えてない。

 野党にも自分の権力の事しか考えない同類がいますが(笑)。


 と、いうことで、上野で映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎

 戦争の惨禍がまだ色濃い1956年。日本の政財界を裏で操る龍賀一族に支配されている哭倉村に鬼太郎の父が失踪した妻を捜しに足を踏み入れる。一方、血液銀行で龍賀製薬を担当する水木は龍賀一族の当主の死に伴い密命を帯びて村を訪れるが、そこで一族の者が惨殺される事件が起こる。
www.kitaro-tanjo.com

 水木しげる生誕100周年記念作品だそうです。
 ゲゲゲの鬼太郎は嫌いではありませんが、子供の時 TVで見ただけです。もちろん 水木しげる先生は立派な人だとは思っていますけど、わざわざ映画を見に行くつもりはありませんでした。

 ところが、この作品は評判が非常に高い。泣けるドラマ、戦争責任や家父長制など日本の矛盾を正面から追及している、などの話を聞きました。劇場は子供というより大人、特に女性でいっぱいらしい(PG12)。公開1か月が経ちましたけど、見逃さないように慌てて見に行った次第です。

 もともと当初は公開館数もそれほど多くなかったようですが、プログラムも売り切れているというし、口コミでヒットが続いています。ボクが見た回も満席御礼でした。

news.yahoo.co.jp


 舞台は太平洋戦争が終結して11年が経った1956年、政財界を操る龍賀一族が支配する哭倉村に、帝国血液銀行で龍賀製薬を担当する営業マン、水木がやってくる。日本では1950年代から1960年代半ばまでは、手術に必要な血液は患者個人が買うもので、個人が血を売り輸血用血液を民間の血液銀行が保存、供給していたそうです。

 

 彼は龍賀一族の当主の死去に伴い、龍賀製薬の収益源となっている謎の薬の製造法を探るという密命を帯びていました。戦前から密かに供給されていたその薬は旧日本軍の兵士の強さを支えていたらしい。

 水木は南方戦線の生き残りです。彼が所属していた部隊は上官の無謀な命令で玉砕を命じられましたが、水木は何とか生き残った。そのことが彼にとっては大きなトラウマになっています。

 先日見た『ゴジラ-1.0』と設定がそっくりです。ただ、脚本のレベルが月とスッポン、NHK大河ドラマとハリウッドの超大作くらい違う(笑)。

 龍賀一族の秘密を暴いて出世することしか頭になかった水木の前に、謎の風来坊が現れます。目玉おやじになる前の鬼太郎の父です。行方不明の妻を探して哭倉村に辿り着いたのです。

 排他的な村人たちの中で薬の秘密を探ろうとする水木と妻を探す鬼太郎の父は徐々に親しくなっていきます。そんな中 龍賀一族が次々に殺されていくという事件が起こります。

 展開は横溝正史的なミステリーではあるのですが、謎はあっさり明かされてしまうし(ミステリーに興味がないボクはそこが良かった)、お話の主題はそこではありません。

 お話の背景には水木先生の南太平洋ニューブリテン島での軍隊時代の体験を綴った『総員 玉砕せよ』があります。映画の中で直接引用もされる。

 まともな武器も食料もない絶望的な戦況の中 兵士たちは無謀な作戦で死を強いられます。一方 上官たちは部下を置き去りにして、さっさと逃げてしまう。

 この国では戦前も今も、一般人は道具として使い捨てになる。そのことへの怒りが映画の全編に渡って流れている。
 戦後10年経っても水木の夢に姿を現す『俺を殺してくれ』と叫びながら敵に突進する兵隊たちの姿には正直、驚愕しました。

 鬼太郎の父の妻を思う想いも美しい。二人は絶滅寸前の幽霊族の最後の生き残りです。物事を達観し、何事も諦観しているように見える鬼太郎の父ですが、妻のことだけは冷静ではいられない。妻の描写は殆どありませんが、それでも悲恋と言う言葉がこれだけ似合う話も珍しい。

 その思いが美しければ美しいほど、一途であれば一途であるほど、この国の権力構造の醜さが露わになる。見ている側は怒りが込みあがってくる。ここで描かれる家父長制や権力の姿はおぞましいほど醜い。あまりにも多くの人が死に過ぎた

 その構造は戦争が終わっても変わっていない。戦後 多くの人が夢見た平和な社会は作れなかったし、高度経済成長はまやかしだった。サラリーマンとして企業に酷使される姿は旧日本軍の兵隊と同じではないのか。

 鬼太郎の誕生の謎を巡る話の中にこれだけのことが詰め込まれています。

 ボクは鬼太郎のことはそれほど詳しくないのですが、今回初めてわかりました。滅びゆく幽霊族の最後の生き残りとして生まれた鬼太郎は誰もが平和を夢見た戦後の希望だったってことが。

 そして鬼太郎の妖怪退治は人間に仇をなす化け物を退治しているのではない。鬼太郎のやっていることは、戦争で道具のように使い捨てられた無辜の人たちの鎮魂です鎮魂するためにはただ祈るだけでなく、人間社会の不条理に正面から向き合わなければならない

 だからまだ、戦争は終わっていない。 
 それこそが水木先生の根底にある思いだし、その思いはこの作品を作った若い人たちに見事に引き継がれた。終盤の展開を見ているうちに自然と泣けてきました。

 
 確かにこの映画、傑作です。ゲゲゲの鬼太郎の話で涙が出るとは思わなかったし、これだけ考えさせられるとは思いませんでした。
 よくぞアニメで、エンタメの枠の中で、こんな作品を作りました。
 社会派と言う面だけでも日本の社会派映画、今年で言えば『福田村事件』などが土下座して靴を舐めなきゃいけないレベル(笑)。2桁くらい、視野が広く思考が深い。
 しかもお話は悲しいだけでなく、美しい。心性の美しさを結晶にしたような、とでも言ったらよいでしょうか。

 アニメの方が、実写ドラマより制作の自由があるのかもしれない。日本のクリエイターも捨てたもんじゃないです。
 見て良かったです。1回見ただけで消化しきれたか自分でも定かではないけれど、心に深く残りました。今年のベスト10には必ず入る見事な作品です。


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