特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

映画『生きる LIVING』

 日曜日 目が覚めて部屋のカーテンを開けたら、眩しい新緑が広がっていました。想像もしてなかったので、ちょっと驚きました。まだまだ朝の空気は冷たいですが、いつの間にか、そんな季節です。


 昨日の選挙は北海道も大阪も神奈川もゼロ打ちで現職の勝利です。どこも大差がつきました。それもダブルスコアどころか、数倍という票差です。奈良県知事選で高市の元秘書官が維新に負けたのがせめてもの慰めです。

 大阪では自民支持者も無党派層も多くは維新に投票した。民意です。与党が強いというより、野党が弱い(笑)というのが正確なところです。
 野党の言ってる『カジノ反対』は良いにしても、『野党はどんな方向を目指すのか』ということがサッパリ判らないのですから、野党に投票する人がいること自体が不思議です。

 落選した谷口は『女性の政治参入のハードル』とか言ってるようです。
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 『女性参入のハードル』も『維新びいきのマスコミ』も最初から判っている話です。それで有効な対策を取れなかったのだから、自分たちの責任です。そうやって他人のせいにしているようでは未来永劫 現実は変わらない。こんな無能な候補者が当選しなくてよかった。支援した人たちがお気の毒です。

 地方議会選も自民は1153議席で微減(86減)、立憲は185で微増(7増)、維新は124で倍増(65増)、除名騒動の共産は75で惨敗25減)、社民3で惨敗(3減)、れいわは壊滅(ゼロ)という結果です。
news.yahoo.co.jp

 この結果を見ても、野党は中道寄りにウィングを広げなければ勝負にならないことが改めて判ります。共産や社民に代表される従来の野党共闘路線は民意が拒否しているということでしょう。

 今回『一人負け』の共産も社民ももう終わった政党だし、無視しておけばいい。立憲は少しずつ地方組織の構築を進めているようですが、そうやって(まともな)野党の再生を待つのか、自民党を変えていったほうがいいのか。どうせ時間はかかるのですから、立憲は右顧左眄しない方が良い。まずは国民に対する信頼を取り戻すべきです。
 自党のポリシーははっきりさせなければいけないけど、野党はもうちょっと国民の望む方向性を意識するべきでしょう。内輪だけの『正しさ』(お花畑の自己満足)なんか要りません(笑)。


 と、いうことで、六本木で映画『生きる LIVING

 1953年、第2次世界大戦後のイギリス・ロンドン。戦争の傷跡が色濃く残るロンドン市役所の市民課に勤めるウィリアムズ(ビル・ナイ)は、医師から余命半年であることを告げられる。愛妻の死後 役所での無気力な毎日を過ごしてきた彼は最期が近いことを知り、残された日々を大切に過ごして充実した人生にしたいと決意する。
ikiru-living-movie.jp

 黒澤明監督の名作『生きる』をノーベル賞作家カズオ・イシグロの脚本でリメイクした作品。主演のビル・ナイは先日のアカデミー賞で主演男優賞にノミネートされています。

 『生きる』は何十年も前にテレビかビデオで見ました。細かい内容はあまり覚えていませんが、志村喬の名演も相まって超名作だったことは覚えています。

 今回の主演のビル・ナイはイギリスの名優だし個人的に大好きな俳優ですが、どこか飄々とした不良ロックジジイ(笑)という役柄が多い人です。だからロックとは程遠い(笑)志村喬の役をやるのは果たしてどうなのか、と思っていました。

 映画は50年代のロンドンを描写した記録フィルムから始まり、実写で再現した当時の通勤風景に移っていきます。

 皆 帽子をかぶっているし、背広は生地が厚いし仕立ても良い。今では中々あり得ない。彼らの立ち振る舞いも含めて、驚くべきクラシックなライフスタイルです。労働者階級でもなければ、上流階級でもない、中産階級の光景だと思いますが、今の我々から見ると優雅で貴族のようにすら、見える。 

 カズオ・イシグロの作品は彼が物心ついた50年代のイギリスの描写が特徴だそうですが、まさにそれを実写で再現しているようです。

 舞台は市役所の市民課ですが、課員たちの机の上に書類の山が積みあがっているのも驚きました。
 仕事を放置しているのも今ではあり得ない。GAFAのような外資系だったら時間単位で個人の生産性を測定している企業もあります。それほどではなくても普通の企業でもあまり結果を出せなかったら、それこそ、クビになりかねない。

 今でも役所なら仕事の放置や低生産性が許されるのかもしれませんが、昔はやる気がないくらいで放置しているのが許されたんだなあ、と思いました。ここいら辺はまるで時代劇を見ているような感じがします。羨ましい(笑)。

 市長はサーの称号を持つ貴族、その下で中産階級の課員たちが黙々と働いている。その中でもヒエラルキーが厳然としていて、上司には絶対服従。部下は上司に言われたことだけをやる、という感じです。そりゃあ、第2次大戦後 英国経済は英国病と言われる大不振に陥るわけです(笑)。
 イギリスは階級社会、とは良く言われることですが、こんな堅苦しく権威主義的な感じなのか。

 日本の社会はよく、『空気』や『同調圧力』が支配している、とは言われます。ここいら辺の描写を見るとイギリスもそこは変わらない。アラン・シリトーの小説や後年のパンクなどに見られる反骨精神に溢れる労働者階級と中産階級とではまた、違うのでしょうか。
 社会が硬直化し階級社会になりつつある今の日本はかってのイギリスの轍を踏みつつあるような気がしますから、大変興味深い(笑)。

 その堅苦しい光景の中で一段と堅苦しいのが市民課の課長、ウィリアムズです。物腰は丁寧だが、無駄なことはしゃべらない。めんどくさそうな仕事は書類を処理待ちの棚に放り込んだまま放置。
 彼自身 やる気のない課員には敬遠されていると言っても良い、かといって仕事をバリバリやるわけでもない(笑)。

 ウィリアムズは妻を亡くして以来、無気力に暮らしています。仕事もやる気がなければ、職場でも親しい者がいる訳でもない。息子夫婦と同居していますが、心が通っているわけではない。

 ある日医者からガンで余命が長くないことを告げられたウィリアムズは流石に動揺します。しかし相談するような相手もいない。

 一人悩むウィリアムズ。

 迷走するうちに、彼は課の中で唯一ヒエラルキーに関係なく自由奔放にふるまう若い事務職員、マーガレットに気が付きます。堅苦しい職場は嫌、と言ってあっさり転職してしまう彼女はウィリアムズとは対照的な存在です。ちなみにマーガレットがウィリアムズに付けた渾名は’’ゾンビ’’。

 ウィリアムズは彼女に憧れすら抱くようになります。

 余談ですが、フォートナムメイソンって日本でも色々なデパートに出店してますけど、本店はこんな立派な感じ↓なんですね。描写は50年代という設定ですから、今はどうだか知りませんが。

 この映画でのビル・ナイは多くを語りません。しかし表情が実に豊かです。言葉にならない表情の雄弁さは志村喬とまた違う味があります。日英の狸ジジイは甲乙つけがたい(笑)。今作の親子関係などオリジナルと比較する向きもありますが、ボクはより絶望が深い(笑)この映画の方が共感できます。

 終盤に向かうにつれて有名なブランコのシーンへどう持って行くのか、と思っていたのですが、一捻りした今作の展開もまた、良かったと思います。オリジナルよりこの映画の方が絶望は深いのですが、タッチはより柔らかく、より静謐さがある。オリジナルより視線が温かい、と言っても良いかもしれません。
 他人のためだろうが、理念のためだろうが、外部に心の救いを求めても満たされることはない。結局 心の平和は個人の中にしかないというエンディングには心から共感します。

 強いて難点?を挙げれば、この映画でのビル・ナイは現役のサラリーマンですから50代の筈ですが、実年齢通りの70過ぎのジイさんにしか見えないところくらいでしょうか(笑)。

 原作へのリスペクトは保ちつつ、カズオ・イシグロのカラーというオリジナリティも濃厚に出しながら、本質も外していない、お手本のようなリメイク作品でした。流石ノーベル賞作家(笑)。
 まるで趣味のように50年代を執拗に描写しながら現代に通じる作品に仕上がっているのはお見事としか言いようがない。もちろん、ビル・ナイの名演あっての映画です。


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