12月になって、めっきり寒くなりました。ストーブの出番です。明後日7日は二十四節気の『大雪』だそうですから、いよいよ本格的な冬の到来です。
立憲民主が敵基地反撃能力を認めるかどうか党内議論をする、ということが話題になってます。リベラルと言われる人たちがブーブー怒っている(笑)。でも、この人たちは具体的な代案持ってないから(笑)。
野党も共産党以外は国民民主も維新も全て賛成しているようです。れいわや社民は政党の体を成してないので員数に入らない(笑)。
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しかし世論調査では反撃能力を持つことに賛成の人の方が多い。
ボクは、立憲民主が議論をすること自体は何の問題はない、と思います。野党は支持層に阿って、安全保障の議論を避けてきたから政権担当能力が身につかなかったんですよ。自民党が統一教会や日本会議に阿って同性婚や男女平等の議論すらまともにやってこなかったのとそっくりです。
なぜ日本が他国の基地への反撃能力が必要なのか、ボクには判りません。武力で現状変更をしようとする輩を抑止するためには、対空ミサイルや対艦ミサイルなど防衛用の武器は山ほど備えておいた方が良いとは思います。
が、1発2億円と言われているトマホークを500発くらい持ってもクソの役にも立たないでしょう。北朝鮮の移動式ミサイル発射機には通用しないし、中国のミサイル数はそれどころじゃない。
今日の昼間報じられた、日本はアメリカのミサイル網の中に入る、ということなら判らないでもない。日本の政府が自分で物事を考えられるはずがないし、考えてもらっても困る(笑)。バカの考え、休むに似たり。
でも、それだって議論をしなくちゃいけませんよね。独裁国家じゃないんだから。
与野党ともオープンな議論をして、敵基地反撃能力みたいなものがなぜ必要なのか、必要ではないのか、それを示してほしいと思います。それが政治家の仕事です。国民の側だってオープンな議論を避けるのは間違っている。
それより、無能な政治家こそが日本の最大の安全保障上の脅威、じゃないでしょうか。ついでにまともな議論すらできないヒステリックな国民も大きな脅威です(笑)。
いずれにしても中国や北朝鮮との武力衝突より、少子高齢化や財政破綻による日本沈没の方が可能性は遥かに高いに決まっています(笑)。安全保障がどうの、と言うのなら、そこなんだよなあ。
1950年代のイギリス・ロンドン。戦争で夫を失い家政婦として働くミセス・ハリス(レスリー・マンヴィル)は、ある日 家政婦先のお金持ちの家でクリスチャン・ディオールのドレスを見てしまう。美しさに心を奪われた彼女はドレスを買うことを決意する。必死にお金を貯めてパリのディオール本店を訪れるも支配人のマダム・コルベール(イザベル・ユペール)に冷たくあしらわれるミセス・ハリス。しかし夢を諦めない彼女の姿に出会った人々は次第に心を動かされていく。
殆ど予備知識がない映画でしたが、映画評論家の町山智浩がかなり褒めていたので見に行った次第。
舞台は1950年代前半のイギリス。戦勝国のイギリスでも戦争の傷は癒えていません。夫が戦地で行方不明になったミセス・ハリスは生活のために家政婦として働いています。それも何軒も掛け持ちで働くだけでなく、洋服の繕いまでやって稼いでいます。
住まいが半地下のアパートだったり、親しい友人が黒人女性だったり、土曜の夜はパブへ繰り出すような彼女の暮らしはいかにも『ザ・労働者階級』と言う感じです。
●ドッグレースを楽しむ、ザ・労働者階級
その暮らしと彼女の雇用主であるお金持ちとの対比がこの映画のポイントです。お金持ちは内心、労働者階級をさげすんでいる。ご主人は愛人を連れているところを彼女に見られても、気にもしない。口やかましい奥さんは彼女との約束は全く守らない。労働者階級は同じ人間と思われていないのです。
お人好しのミセス・ハリスはそれでも懸命に働いています。そんな彼女のところに行方不明だった夫が戦死したことが確定した、という知らせが届く。微かに残っていた最後の希望が打ち砕かれた彼女。
そんな或る日、彼女は勤め先のお金持ちのクローゼットで見かけたディオールのドレスに一目ぼれしてしまいます。夫がいなくなった今、自分のために生きることを決意した彼女はお金を貯めてドレスを買うことを決意します。
●ミセス・ハリスはディオールのドレスに一目ぼれしてしまいます。
懸命にお金を貯めてパリへ渡ったミセス・ハリスはディオールの店に辿り着きます。当時は展示会でデザインを披露し、お金持ちの体形に合わせて作る一点もの、プレタ・ポルテの時代です。デパートの服なんか下等、と思われていた。
展示会に入り込んだものの、服装からして場違いなミセス・ハリスはディオールの支配人のマダム・コルベール(イザベル・ユペール)に冷たくあしらわれます。
ミセス・ハリスを演じるレスリー・マンヴィルの善人顔が非常に効果的です。プレタポルテのドレスを買っても着る機会すらないであろう、場違いな彼女ですが、その純粋な熱意に触れるうち 次第に味方になる人が出てきます。
お話としてはかなり良い話です。打算も見栄もない、主人公のまっすぐな気持ちが周囲の人の気持ちを変えて行きます。
意地悪な支配人役のマダム・コルベールは最初、イザベル・ユペールに似ていると思いましたが、良く見たら本人だったのでびっくりした(笑)。だけど、彼女が出てくるのがふさわしいようなお話の上質さです。それにこの人、意地悪役はぴったりです。レスリー・マンヴィルの善人顔と好対照です。
ディオールの服だけでなく、ミセス・ハリスがパリで着ている服も非常に可愛らしい、見ていて楽しい。
当時はプレタポルテが終わろうとしている時代です。戦後の高度成長で大衆化が始まろうとしている。フランスでもイギリスでも事情は同じです。
上流階級が没落を始める時代です。だからこそ階級意識が一層 露わになっている。上流階級は自分たちの殻に閉じこもり、知識労働者の中産階級が勃興する。労働者階級も少しずつ豊かになり始める。そんな時代背景があるからこそ成り立つお話です。
中産階級が没落し、また階級が2分し始めている時代に生きている我々にとっては複雑な感じもあります。
もうちょっとお話はテンポが良くても良いと思うけど、ウェルメイドな良い映画です。濃厚な階級意識が背景にあるからこそ、善意のお話が現実味を持つことができる。後味が良い映画をご覧になりたかったらぜひ。