寒い週末でした。北海道では豪雪だそうですが、東京でも一か月ぶりの雨。
なんとなく気分はブルー(笑)。我ながら人間の気持ちなんて移り気なものです。そうやって世の中は動いているのでしょう。
英テレグラフ「偽サッチャー」
— 清義明 (@masterlow) 2025年12月12日
英ロイター通信「自滅的」
英エコノミストは「タカイチノミクスは時代遅れ」
米ブルームバーグ「資本逃避が生じかねない」
英が辛辣なのはトラスショックのトラウマがあるからだろね
--高市首相の経済政策を海外メディアが酷評https://t.co/4VjfxcZgxa
世の中も将来の見通し、見はらしがきかない。
このまま行くと日本経済はどうなるか、今日発売の東洋経済の最新号に判りやすい図表が載っていたので引用します。
高市がやっているのは積極財政と国債依存、円安推進でインフレを継続することです。それで国の借金を相対的に減らす。実質賃金は下がるけど、国民は目先の給付金や減税で騙しておけばいい。
国民民主が言ってる年収の壁とか、バカじゃねーの。専業主婦だって税金を負担するのは当然です。時代錯誤。
高市がアホであることは間違いないですが、野党の連中も給付金や減税しか言わないんだから同罪です。
泉房穂『高市政権、150点』
— 根本良輔 (@nemoto_ryosuke2) 2025年12月14日
産経の犬に成り下がりやがって
神谷を最初のゲストに呼んだ時からおかしいと思ってたが、この発言でもう完全に見限ったわ
軍拡のための積極財政を受け入れるつもりか
もういらねえから今すぐ引退しろ@izumi_akashi https://t.co/kN8z6YATfs
与野党ともにインフレ促進で借金が減る政府や金利がつく銀行、値上げができる強い企業や防衛産業は得をします。一方、物価上昇に脅かされる国民の家計や値上げできない企業(主に中小)は厳しくなる。更に金利が上がれば日銀の国債の含み損が生じたり円安が進みますから、将来は財政危機が起きる可能性だってある。
高市のような底なしのアホを支持しているのはアホな国民です。自分で自分の首を絞めているようなもの。自業自得で救いがありません(笑)。将来の見はらしが利かないにも程がある、というものです。
″ 「(米中が)うまくやろうとしているのに、邪魔しないでくれ」。政府関係者によると、トランプ氏は11月末の日米首脳電話会談で、首相に対し厳しい口調でくぎを刺したという。官邸筋は「首相は会談後、かなり落ち込んでいた」と明かす。″
— ダースレイダー (@DARTHREIDER) 2025年12月14日
米は対立から距離置く(北海道新聞)https://t.co/O04fsZDj4A
と、いうことで、こちらも今年のカンヌ映画祭で上映され好評を博した作品です。渋谷で映画『見はらし世代』
渋谷で花屋の配送運転手として働く青年・蓮(黒崎煌代)は幼い頃に母・由美子(井川遥)が自殺したことをきっかけに、今や有名ランドスケープデザイナーになっている父・初(遠藤憲一)と疎遠になっていた。偶然 父と再会した蓮は、そのことを姉・恵美(木竜麻生)に話すが、恵美は我関せずという姿勢を崩さない。今まで家族に無関心だった父、初は蓮と恵美を呼び出して話をしようとするが。
数十年に一度という大規模再開発が進む東京・渋谷を舞台に、家族それぞれの関係性を描いたドラマ。NHK連続テレビ小説「ブギウギ」で俳優デビューを果たし注目を集めた黒崎煌代の映画初主演作です。ボクは知らない人ですが、先日の『アフター・ザ・クエイク』の第二話にも出ていましたから注目されている人なのでしょう。
新人監督、団塚唯我のオリジナル脚本による長編デビュー作ですが、2025年・第78回カンヌ国際映画祭の監督週間に出品された注目の作品ということで見に行きました。
映画は遠藤憲一が演じるランドスケープ・デザイナー、初が家族を連れて、海辺のリゾートを訪れるところから始まります。
説明はありませんが、子供たちは父に対して冷たい。妻(井川遥)とは会話もない。やがて携帯電話が鳴って仕事のために東京へ戻ろうとする初に対して、妻は家族がないがしろにされている、と泣き出します。初は何とか妻を説得しようとしますがなす術もありません。
やがて数十年後。子供たちは大人になり、弟(黒崎煌代)は渋谷の花屋で配送の仕事をしている。
姉(木竜麻生)は同棲のために引っ越し、結婚も予定している。姉弟の仲は悪くはないけれど、どこか冷めた間柄です。父と母はもう、そこにはいない。
弟は代官山のギャラリーで父を見かけます。海外の仕事を優先していた父は子供たちの前から姿を消していたのです。
ところが、宮下公園の再開発を担当した父は日本に戻ってきていた。弟は姉に父を見かけたことを話しますが、そっけない。夫との関係を苦に、既に母は自殺していたのです。

ボクの嫌いな家族ものですが、何故か不快ではありません。登場人物は皆 どこか冷めているからなのか、挿入される音楽が現代音楽っぽくてユニークだからか。文字にするとドロドロした話に見えますが、見ていて結構面白い。
遠藤憲一は役柄はどうしようもない、ありふれたバカ男なんだけど、演技力で見せます。無駄なことはしゃべらないし、大声で威嚇したりもしない。普通に相手の話と話し合おうとする人間ですけど、実は権力的で自分のことしか考えていない(笑)。これを説明なしで観客に納得させて見せます。
黒崎煌代はいいんだけど、わざと喋っている低い声が非常に聞き取りにくい。3分の1くらいは何を言っているのか聞き取れなかった。それも含めての演技でしょうけど、これはどうなんだろうか。
姉を演じる木竜麻生は流石でした。
お話の背景にはホームレスを追い出して三井不動産が再開発した渋谷の宮下公園の存在があります。
渋谷区のMIYASHITA PARKの公園へ行ってるみると「使用不可」と張り紙されたベンチがいくつもありました。ベンチは20個ほどありますが、その1割以上が「使用不可」でした。聞くと「壊れて使えない」とのことです。この公園は民間委託で三井不動産がやっていますが、どれだけお粗末なのでしょうか。 https://t.co/ImQhZup80v pic.twitter.com/l26Ih3SyDa
— ミド建築・都市観測所 (@Mid_observatory) 2025年12月13日
有名ブランドの商業主義の塊のような今の宮下公園は醜悪ですが、再開発すること自体は元渋谷区民のボクでも理解できないでもない。寒空が吹きすさぶ公園にホームレスの人がいつまでも野宿しているのもどうかと思うし(昔から近所の子供は怖がってました)、渋谷区のやり方は強引だったとは思うけど、引っ越し先まで用意して大多数の人はそちらへ立ち退いたんです。私見ですが、あれは騒ぎを大きくした連中も悪い。一部は過激派も入ってきてたんじゃないでしょうか。
映画は再開発を声高に責めるのではなく、だけど見て見ぬふりもしない。登場人物たちの視点が高いところから物事を見晴らしているかのように、映画の視点もまた事物を見晴らしているかのように見える。
この映画の特徴はまさにこれです。変わっていく渋谷と変わらない人間たち。
ユニークなドラマです。登場人物は皆 感情を忘れているかのように見える。だから、遠藤憲一が一回だけ感情を吐露したところは感動します。最後に描かれる妻とのエピソードも美しい。
最後に出てくる最近の若者たちの描写は良く判らない、蛇足です(笑)。荒削りなところもあったと思うけれど、ドロドロしてないところが好ましい。
つい登場人物たちの姿を追ってしまうドラマでした。人間を描いているんだけどふわふわした不思議な感触は、なかなか良かったです。













