特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『歴史の振り返り方』と『小倉山の夜』(夏休み旅行記2)

 楽しかった夏休みも終ってしまいました。まだまだ暑いですが朝晩の空気には、秋の気配が感じられるようになってきました。
 なんだかんだ言って秋がやってきて、また冬が来る。嫌なことも楽しいこともやってくる。時の流れは早いものです。


 この時期 テレビでは太平洋戦争のことがしばしば放送されます。
 それはそれで良いとは思いますが、どうも被害者の体験ばかりが多いのが気になります。
 確かに、改めて被害体験を聞くと戦争は絶対にしてはいけない、と思います。でも心のどこかで、他人事にも聞こえるんです。被害者の話を語り継ぐだけで良いのだろうか?という気がするからでしょうか。

 日本は侵略戦争の加害者だし、大多数の国民はそれに賛成した。勿論 天皇東条英機のような連中と一般国民では罪の軽重は異なるけれど、少なくとも日本人は戦争の一方的な被害者ではない。日本人は加害者であり被害者でもあるという視点で作られた、前回取り上げたNNN『侵略リピート』のようなルポは少ないです。

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 この番組で、敗戦後 満州人たちの暴行を恐れてソ連兵の保護を受ける代わりに性接待をせざるを得なかった開拓団の女性が『日本人は満州人から土地や家を取り上げたりバカにしていたんだから、襲われるのも仕方ないと思った』と言っていたのは本当に心に刺さった。


 歴史を振り返れば、侵略戦争は大抵の国が行っています。個人的には『実るほど頭を下げる稲穂かな』でちょうど良いと思いますが、日本人だけが侵略戦争を卑下しなくても良いのかもしれません。
 でも日本にとっても、迷惑をかけた周辺の他国にとっても、太平洋戦争はこれ以上ないほどマヌケな選択であったことは間違いありません。歴史修正主義者みたいに事実を捻じ曲げるのと卑下しないのとは大きく違う。

 バカウヨは勿論、リベラルと言われる人たちも含めていざとなれば日本は野蛮な侵略国家になるという自覚、そのことへの怖れが足りないように思えます。

 たまたま見たNHKの9時のニュースで、日本人とウクライナから避難してきた高校生の議論をやっていました。日本の高校生は『ウクライナへ武器を送っていると戦争が終わらない』と言っていました。それに対して『武器がないと私たちは殺されてしまう』と答えるウクライナの子に日本の高校生は返す言葉がありませんでした。

 武器や戦争を忌避する絶対平和主義は一見聞こえは良いですが、『抵抗するための武器がなければ殺されてしまうこともある』という現実に追いついていない。
 そもそもプーチンナチス大日本帝国に絶対平和主義が通用する筈がない(笑)でしょう。あくまでも武力に頼らない絶対平和主義が良いのか、軍事力に頼るのがよいのか、そんなことはケースバイケースでしか判断できない。世の中そんなに単純じゃない(笑)。

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 今 侵略戦争を行っているロシアを見ると『野蛮な連中』と思いますが、日本人だって一皮むけば、必ずああなります。
 それが判ってないから『市民の犠牲を少なくするためにウクライナはさっさと降伏しろ』という和田春樹や想田和弘のような無責任なアホが出てくる。プーチン大日本帝国相手に『さっさと降伏しろ』というのは『殺されたりレイプされたり、強制連行されても我慢しろ』と同義です。

 対米自立論を唱えた三島由紀夫もかっての学生運動も自称リベラルも『時と場合によっては何をするかわからない』という日本人(人間)の本性をわかっていない。物事を客観視できないアホばかりで対米自立なんか出来るとでも思っているのか(笑)。

 未だに旧日本軍そっくりの丸坊主で精神論満載の甲子園みたいなものをリベラルと言われる朝日や毎日新聞が後援しているのが象徴的です。あんな悍ましいものを喜んでみている国民を見てると、日本人の心性は戦前とあまり変わってないのがよく判ります。

 今話題になっている統一教会の問題も同じです。岸信介から安倍晋三まで私利私欲しか眼中にない政治家連中が腐っているのは勿論です。が、そういう連中に投票する日本人自体が自分たちの本性を直視していないからこそ、同じようなことが繰り返されているのではないか、そう感じてしまいます。


 と、いうことで、夏休みの旅行記の二日目です。この日は賢島から、京都へ向かいました。

 コロナ前は毎年京都へ行っていましたから、3年ぶりです。と、言っても観光地は興味ありません。それに感染が怖い。特急電車は人も少なくて危険を感じませんでしたが、市内の電車は人が多かった。電車の中でべちゃくちゃ喋り続けている阿呆のおばはんやマスクをしてない白痴のおっさんまでいる。怖い。
 なるべく呼吸をしないようにしながら?嵐山へ行き、渡月橋から宿へ向かいます。

 毎年のように泊まっていた宿も3年ぶりです。

 そのせいだからか、今回は部屋をグレードアップしてくれていました(笑)。ラッキー。 

 嵐山は原宿みたいに通俗的な観光地になってしまいましたが、15分ほど川を遡れば別天地のような静けさになります。
 部屋に入っても保津川の景色を見ながら、ぼーっとしているだけです。部屋にはテレビも時計も無い、新聞もない。

 で、2時間もぼーっとしていると夕飯の時間がやってきます。
 食卓に着くと『ブラック・スワン』という日本酒が食前酒として出されました。貴醸酒と言って水の代わりに酒で仕込んだお酒で、これは熟成酒と吟醸酒を混ぜて作ったそう。甘~い。

 ボクはお酒は弱いので、どこの店へ行っても水を大量消費します。何度も注いでもらうのは悪いので個室の場合は、予めピッチャーで置いておいてくれ、とリクエストするのですが、今回は最初からおいてありました(笑)。

 この宿を運営している企業は広域展開をしているので活発に人事異動をしています。接客してくれる従業員は殆どが20代~30代前半ですが、毎年違います。だけど、皆こちらのことを良く知っている。
 客の好みを細かくシステムに記録しているから、そういうことができるのですが、活用しなければ何にもなりません。若い従業員の資質、モチベーションの高さを改めて考えさせられました。
 苦境だった旅館業だけではないだろうけど、今回のコロナで企業間の優劣は一層 差が開いたんじゃないですか。


 食事は夏らしく、毛ガニからスタート。

 お酒は日本酒とワインのペアリングです。日本酒の味はボクには良く判らない。ただ、美味しいというだけです(笑)。

 茂魚のお椀。関東ではあまり口にできませんが、ボクは大好き。夏の味覚?です。以前はもっと創作料理みたいな感じでしたが、この3年の間に料理長が変わって少しだけオーソドックスな傾向に振ったらしい。ボクはその方がいいです。

 サラダ仕立てのお刺身。イカと鯛。 

 キャビアを載せた鱧。これは水っぽくていまいちでした。

 鱧には重めのシャンパンを合わせろ、と言われました。それは悪くなかった。

 大きな蓮の葉の上に置いた八寸、それから鮎。 

 この宿は食べ物、食器、調度品、土産物まで地元の物を選んで使っています。日本酒もです。京都の酒というと大量生産で変に甘いという印象が強いのですが、ちゃんと作っているお酒も多いんですね。ボクには良く判らないのですが、美味しい(笑)。


 


 食堂の窓からは小倉山が次第に暮れていく光景を見ることができます。徒然草を始めとして、様々な古典で詠まれてきたところです。800年前と同じ景色を見ながらご飯を食べる、この宿に泊まる大きな理由はこれです。それほどボクは徒然草が好き。影響を受けました。
 ま、800年前と同じと言っても、大抵の山は800年以上前からあるわけですが(笑)。

 最後はご飯。賀茂ナスを炊き込んだご飯の上にヒレ肉が載っています。前日の松坂肉は脂っこくて食べられませんでしたが、これくらいの赤身だったらOKです。賀茂ナスと一緒に炊き込んだご飯には生姜が混ぜ込んであって美味しかったです。家へ帰ったら真似をしようと思いました、普通の茄子で(笑)。

 肉に合わせて出てきた赤ワインは山梨のもので、赤なのにミネラル分が強く感じられました。和食にはミネラルが合うんだなって。個性的だけど重すぎない、面白い味で、結構気に入りました。

 食べ終わったら、あとは寝るだけです。小倉山に見下ろされて、京都の夜は更けていきました。