特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『鴨の水浴び』と『墨子』

 今週 安倍晋三と親しい極右の評論家・活動家の櫻井よしこが韓国の情報機関から金をもらっていたのが、韓国MBC-TVで暴露されました。

 放送後 櫻井本人は否定する声明を出しましたし、ネトウヨが大勢弁護をしています。でも櫻井はまだ訴訟はしていません。だから真偽は判りませんが、元々安倍晋三は韓国の統一教会ともズブズブです。櫻井よしこが韓国(の右派勢力)から金をもらっていても驚きはありません。

 2年前、傑作ドキュメンタリー『主戦場』で、櫻井よしこアメリカ人ライターに提灯記事を書かせるために6万ドルも払ったことへの資金源を聞かれ、口ごもってしまうシーンがありましたが、こういうことだったのか(笑)と思いました。
spyboy.hatenablog.com
 
www.shusenjo.jp


 さて、今週は軽井沢へ行ってきました。
 例年 夏休みは京都へ鱧を食べに行っていましたが、今年も遠出はしたくありません。ワクチンを2回打っても感染リスクはあるようですし。

 昨夏は何十年ぶりに箱根へ出かけました。行く前は箱根なんて、と思っていたのですが、行ってみると涼しいし、それなりに楽しかったです。

 軽井沢は東京から電車で1時間、です。こちらもあまり興味ない場所ですが、箱根にしろ、軽井沢にしろ、東京の通勤圏周辺なら自他ともにリスクは変わらないだろう、と思うからです。

 新幹線の乗車率は20%くらいでしょうか。普段の通勤電車より空いています。軽井沢でしなの鉄道に乗り換えて、殆ど誰もいないローカル駅で降車。

 タクシーもバスも気持ち悪いので、ボクは極力使いません。エレベーターだって乗りたくないくらい。荷物を担いで(笑)、駅から20分くらい歩いて宿へ入りました。全然オッケーです。

 宿はほぼ満員でしたけど、感染には気を使っていると威張っているだけあって(笑)、何でもかんでも予約制にして時間帯をずらしているので、ソーシャル・ディスタンスは大丈夫でした。

 観光なんか興味ありませんから、宿に着いてしまえば殆ど部屋にこもりきりです。水辺にある部屋にはベランダがついています。

 ベランダの前では野生の鴨が遊んでいます。宿の人に聞いたら、いつの間にか住みついたそうです。全く人間を警戒していない。宿に泊まる子供がちょっかいをかけてくる以外は(笑)天敵もいないので、数もどんどん増えているそうです。

 水辺で呑気に遊ぶ鴨たちと豊かな緑を見ていると、普段、自分が如何にイライラしているか、を実感しました。

 弱肉強食の酷い世の中だし、仕事もうんざりだし、身の回りを見渡せばマスクをしてなかったり、大声でしゃべっているバカも大勢歩いているし(笑)、とにかく、どいつもこいつもロクなもんじゃありませんが、イライラするのは自分の精神の問題自分が悪い。我ながら全然だめだなーという気持ちになってきました。 



 今年 亡くなった『日本のいちばん長い日』の原作者、半蔵一利氏は、遺言で(日本人は)墨子を読め』、と言い残しました。気になっていたので、ちくま学芸文庫版の文庫本を荷物に入れていました。自分でも無意識のうちに、誰かに何かの救いを求めていたのでしょう。
 そういう場合は実在の人間のアドバイスより、古人の箴言が良いに決まってます(笑)。


 墨子というのは中国の諸子百家の中の思想書で、春秋戦国時代孔子と同じころに実在した(らしい)墨子という人が書いたものです。

 墨子の考えを奉じた思想家・技術家の一団は墨家とよばれ、戦乱の時代に敢えて『とにかく戦争はするな、もし攻められたら専守防衛(笑)』と説き、時には請負業者のように、命を懸けて都市国家の防御を請け負ったそうです。墨子憲法9条の元祖?(笑)。
 これは解説で知ったのですが、墨家はその後 体制に迎合した教えである儒家などに押されて、秦や漢などの統一王朝が出来る頃になると衰退し、幻の思想と言われるようになってしまったそうです。

 読んでいて感動したのは『兼愛交利』という墨子のエッセンスともいうべき言葉です。
 戦争や疫病!など世の中の禍を取り除くには兼愛交利をすればよい
 つまり兼ねて相愛し、交ごも相利す、即ち人々を誰もを同じように(兼:あまねく)愛し、お互いに(交:こもごも)利益を与え合うことをやっていけば、強者は弱者を捕らえることなく、多数は少数を脅かすことはなく、富者は貧者を侮らず、貴人は賤者におごらなくなり、争いや怨恨、禍はなくなるだろう
 というのです。

 そのベースには、国家が領土を保持しているように『天』は世界を領有しているのであり、禍は天の意志に背いた王侯貴族を含めた人間を罰するために天が行っている、という墨子の宗教にも似た思想があります。老子の『一』にも似ているし、マルクス・ガブリエルの新実存主義にも通じる。

 これを展開すると、儒学が主張する『仁愛』は家族や先祖、貴人への愛と他の者を差別しているから、間違っている、という主張になります。差を『別』けることに専念したのが古来の暴君であり、古来の聖王は兼(あまねく)することに力を注いだ、と。

 安倍晋三の『あんな人たちに負けるわけにはいかない』が典型ですが、トランプにしろ、菅にしろ、人々を『別』けること、つまり分断することに一生懸命です。
 『兼愛交利』という言葉を現代の男女差別や人種や民族の差別に置き換えてみると、墨子のいう『差別』の意味の重要性が良く判ります。差別は世の中を破壊する

 一方 世の中を司る『天(の志)』の前では皇帝も庶民も同じですから、ある意味 権威も否定することになります。戦争をする者は何であれ、天の志に背いている。優しいことを述べているように見えて、かなり過激な主張です。超アナーキズムというか、権力者からは受け入れられにくい思想であることは間違いありません。
 
 こうやって豊かな緑を見ながら読書をしていると、普段より素直になれるのでしょうか(笑)。
 宗教的でもあるけれど、実務的でもあり、何よりも本質を突いた議論だと思いました。半藤一利氏が『今、日本人が読むべきだ』と言い残したのは頷けます。視野の広さ・深さは憲法9条なんかをはるかに超えます。
 文庫で200ページほどの短い本でもあり、本質的な議論が展開されている前半部『兼愛編』、『非攻編』、『明鬼編』、『天志編』はさらに短い。1回読んだきりで全て理解できたとは思わないですが、大変勉強になる本でした。やっぱ、古典は凄い。



 そのあとは 緑の中で長野産シードルを一杯(笑)。

 この日の夕食は和食でした。ペアリングをお願いしたので、料理に合わせて、それぞれ日本酒が一口ずつ出てきます。
 ボクは量は飲めないし、酒飲みではありませんが、やっぱり和食を美味しく食べようと思ったら日本酒も少し欲しい。幸い長野県には、お酒に関する非論理的で馬鹿げた制限なんか出ていません。

 海老真丈のお碗(下1枚目)、鯉やマスの刺身(2枚目)にも、加賀太キュウリと万願寺唐辛子の炊き合わせ(3枚目)にも、合わせた日本酒がついてきます。

 

 こちらは佐久の鮎。

 土鍋で炊いたウナギご飯。


 食べ終わって外へ出たら、辺りは暗くなっていました。水の中に行灯がともされています。続きはまた。