特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

強く、優しく、温かい。:映画『ぼくの名前はズッキーニ』

朝晩の寒さは厳しいですが、日中は暖かさを感じるようになりました。いよいよ、春の足音も近づいてきた感じです。花粉が飛び出したのは困りものですが、早く春になってほしいです。


春は旅立ちの季節でもあります。この前 結婚式で初めて恵比寿のロブションに行ったので、写真で料理をおすそ分けします。ネタ、ですね(笑)。グラン・メゾンとは言え、経営はピザーラなので舐めてたんですが(笑)、確かに材料の質が想像以上に良かったし、美味しかった。感心しました。でも、こういう、野菜が少なくて脂っこい料理は数年に1回でいいです。味が単調なんだもん。それでも旅立つ若い人たちの晴れがましい顔を見て、『こんな酷い時代でも若い人はお幸せに』、つくづくそう思いました(笑)。
 
 
 
 
 
●その前日に食べた代々木の手作り餃子(『生きている餃子』というキャッチでTVに度々出てるらしいです)。個人的には中国のアンちゃんが一日中包んでいる6個590円のこの餃子の方が好きかも。




一方 マスコミの方はオリンピックばかりで国会のTV中継もない。今日 衆院厚労省裁量労働制拡大に関する安倍晋三の先日の答弁の根拠にしたデータで『一般労働者には「最長の残業時間」を尋ねていた一方、裁量労働制で働く人には単なる労働時間を聞いていた。』 つまり質問方法の違う調査を比較し、一般労働者の労働時間の方が長くなるとの結果を出していたことを白状しました


厚労相、裁量労働巡り謝罪 違う調査で労働時間比較 :日本経済新聞


酷い話です。今回の労働基準法改正では残業時間の上限規制が労働者への『飴』として入れられていますが、残業が無くなる裁量労働制が拡大されたら、残業の上限規制なんて全く意味がありません。それが連中の狙いです。政府は最低賃金で働いている人にも契約社員にも裁量労働を適用すると言っている。時間に囚われない働き方をと言っている割には時間に思い切り囚われています(笑)。だから日本の経営者も政治家もダメなんです。頭の中が昭和のまんま。


安倍内閣になって以来 言葉の置き換え、ごまかしは甚だしい物がありますが、いよいよデータまでねつ造するようになってきた。しかも、多くの労働者に影響があるこんな大事な話で、でっち上げをしようとする。ますます日本は北朝鮮が進みつつあります。やっぱりバカな国民がバカな政治家に舐められてるんですよ。
●カナダのトルドー首相を始め、イタリア、イギリスと、各国の首脳は自国選手のメダル獲得を祝って選手の写真をツイートしていますが、安倍晋三だけは自分の写真をツイート。バカ丸出し、品性下劣。


安倍晋三とは全く逆なのは江頭2:50先生。ご立派です。オリンピック放映なんて電波のムダ、ですが、これは見たかった↓。まさに、やるときはやる男です。こういう人こそ日本の、誇りだと思います。




ということで、新宿で映画『ぼくの名前はズッキーニ映画『ぼくの名前はズッキーニ』公式サイト

アル中のシングルマザーに育てられている9歳の少年イカールは突然の事故で母親を亡くし、孤児院で暮らすことになる。母がつけてくれたニックネームの“ズッキーニ”を大事に思っている彼は戸惑うばかり。だがそれぞれ問題を抱えた子供たちと接するうちに、イカールも少しずつ打ち解けてくる。そんなある日、カミーユという少女が施設に送られてきたが- - -。


フランスの作品ですが、監督はこれが長編第1作というスイス人のクロード・バラス、脚本はフランス人の女性映画監督セリーヌ・シアマという人。一見 地味そうなビジュアルだし、子供が孤児院に入ったりする話って暗そうじゃないですか。見る前はちょっと気が重かった。
●主人公のイカール君、9歳。母がつけてくれたあだ名はズッキーニ。


それでも見に行ったのは、この作品、欧米で公開された昨年から非常に評判が高かったからです。昨年のアカデミー賞ゴールデングローブ賞にノミネートされ、本国フランスのセザール賞では最優秀長編アニメーション賞だけでなく、実写映画を抑えて最優秀脚色賞を受賞しています。若手映画監督の鬼才グザヴィエ・ドランが自分のインスタに,扮装させたこの映画の主人公をアップしているのも話題になりました。
グザヴィエ・ドランのインスタより。映画を見たら、彼がこの作品を熱狂的に支持するのがよくわかりました。彼の作品とテーマが共通しているこの映画を、まるで自分の心象風景が描かれているように感じたのだと思います。



イカール君はビールばかり飲んでいるシングルマザーの母親と暮らしています。父親はずっと前に、他に女を作って出ていきました。時折 暴力をふるう、ろくでもない母親ですが、イカール君は母親がつけた自分のあだ名『ズッキーニ』に愛着を持っている。彼には他に自分の拠り所がないからです。その母親を事故で亡くしたイカール君は事故を担当した親切な警官の助けで、養護施設で暮らすことになります。
●酒と男、暴力ばかりの母親を避けるように、イカール君は屋根裏部屋で空を見上げながら暮らしていました。彼が手にしている凧には想像上の父親の姿が描かれています。


そういえば、フランスのこういうお話って『にんじん』という名作がありました。

にんじん (岩波文庫)

にんじん (岩波文庫)

この作品もにんじんに言及するなど、明らかに意識しています。にんじんの次はズッキーニ(嘆息)
●孤児院の悪ガキ、シモン(左)は現代の『にんじん』なのかもしれません。


『にんじん』の時代より現代はさらに複雑になっています。施設の子供たちは驚くほど深刻な事情を抱えています。貧困だけでなく、戦争、薬、ヘイト、暴力、失業、移民、大人たちの社会のゆがみは子供たちにこそ、重くのしかかっている。子供達には居場所がない。そして逃げ場がないんです。大人の一人として申し訳ない。映画ではこんなことまで描いていいのかと思えるようなことまで、描かれる。
●孤児院の子供たち一人ひとりには深刻な事情があります。映画はそれに触れることを恐れませんが、過酷な現実に打ちのめされたりはしません。


素朴な粘土細工のストップモーションアニメだからこそ、子供たちの心情が痛いくらいに表現できるのかもしれません。どうやって作っているかわからないですけど、唇などミリ単位で動かしているのかも。人間の演技ではここまで素直に心に入ってこないと思います。
●ズッキーニ君と途中から施設に預けられたカミーユ(左)は互いに心を通わせるようになります。


でも、お話は暗くなりません。子供たちの生命力、治癒力を描くことで、この映画は社会の不条理さに抗い続けます。お涙頂戴や感情過多に陥ることを拒否しているだけでなく、社会の不条理なんかには負けない、と宣言しているかのようです。この映画が子供たちと一部のまともな大人たちの物語を描き続けることができるのは、バックボーンにある価値観が実に強靭だからです。一人一人の人間の生きる力や良心に対する深い信頼があるからです。
●まともな大人たち:施設の先生(左)と事故を担当した警察官



1時間10分の短い作品ですが、この映画は過酷な現実に対して、常に光を提示し続けます。それだけでなく映画的なエクスタシーまで感じさせる。本当に素晴らしい脚本です。先日のインド映画『バーフバリ』にも度肝を抜かれましたが、違う意味で、この映画のもつ強さにも圧倒されました。
この映画は作中に登場する子供たちを抱きしめるように描いているだけでなく、日本も含めて世界中にいる似たような境遇の子供たち、それにかって子供だった大人たちをも抱きしめている。励ますなんて陳腐な話ではなく、ただ抱きしめる。それくらい強く、優しく、温かい。


早くも今年のベストワンかどうかは判りませんが、そういうレベルの作品です。後半はずっとギャン泣き(笑)。ボクが10代か20代のころに見ていたら、人生が変わっていたと思います。拠り所がなくてふらふらしている、こんなバカな大人にならなくて済んだのに(笑)。それくらい圧倒的な、優しくて強靭な物語見た人の心の宝物になる傑作です!