特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『#最低賃金上げろデモ@新宿』と映画『ウィーアーリトルゾンビーズ 』

 日曜日は新宿で『最低賃金上げろデモ@新宿』。#最低賃金を1500円に
[:W600]

 最低賃金を上げることは格差対策だけなく、景気対策でもあります。日本のGDPの6割が消費なんですから、経済を良くするにはここをテコ入れするのが有効に決まっています。
 前提条件が違うのに外国の猿真似でMMTとか言いだした山本太郎のようなバカでなければ、企業に金を回すことばかりを考えたアベノミクスの結果で良くわかるのではないでしょうか。
山本太郎の経済ブレーン、立命館大松尾匡のブログ。以前 こいつの本↓の感想を書きましたが、安倍晋三なみにアホだと思いました。机の前で屁理屈こねてるだけで実際に汗水たらして働いたことがないんでしょう。その尻馬に乗ってるのが山本太郎、麻生の不信任案も棄権したこのバカは内閣不信任案も棄権するのでしょうか(笑)。とにかく自分が目立ちたくてしょうがないんだと思います。それが彼の生命線ですから。



 それでもエキタスなどが言っている時給1500円というのは現状の全国平均874円、東京でも985円という水準から考えると、かなり大変な金額です。正直10年がかりで目指すような目標だとは思うのですが、労働者にとっては1500円×2000時間/年で300万/年、決して高い金額ではありません。先進国だったら普通の暮らしをするために必要な金額と言っても良い。
 そこが難しいところ。最低賃金を上げることは経済の構造を変えることでもあります。そこは未だあまり議論されませんが、労働者の教育、失業手当などの施策を含めて考えなければならない。それでも声をださなければ何も始まりません。
 主催者挨拶でエキタスの子が言ってましたが、『3年前エキタスが時給1500円と言いだしてから、随分状況は変わった。与野党ともに最低賃金を上げることに対して随分積極的になった』。確かに最低賃金を巡る雰囲気はずいぶん変わったと思います。
●アルタ前に集合。主催者が簡単にスピーチして、直ぐデモが始まりました。だらだらと意味のないスピーチを続けるプロ市民の自称市民運動とは違います。

 若い人から年配の人まで、デモ参加者の年代が様々なのが良いです。若い人の比率が高いだけでなく、現役感がビンビン(笑)。実際、ボクの目の前に、新宿に買い物に来ていたらしい、お洒落していた中年の女性が照れながら飛び入りしてきたし、そういう人は他にも居たのではないでしょうか。

 ボクは休日っぽいリネンのシャツを着ていったのですが、こうやって日曜日の午後、デモをしていると、フランスやイタリアの映画みたいに当たり前のようにデモが行われている光景を連想しました。笑われるかもしれませんが、まるで自分がそういう映画の登場人物になったような気がする(笑)。当たり前のようにデモがある日常、です。
 とにかく(笑)、今日の参加者は300人、だそうです。


ということで、新宿で映画『ウィーアーリトルゾンビーズ
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littlezombies.jp

事故、自殺、他殺などでそれぞれ両親を亡くして火葬場で出会った4人の子供たち、ヒカリ(二宮慶多)、イシ(水野哲志)、タケムラ(奥村門土)、イクコ(中島セナ)は家を出ることにした。やがてたどり着いたゴミ捨て場で、LITTLE ZOMBIES というバンドを結成。そこで撮った映像が話題を呼び、社会現象になるほどのヒットを記録するが。


 タレントの水道橋博士などが『今年の上半期の邦画ベスト1』と評するなど非常に評価が高い作品です。監督の長久允という人は今作が長編デビュー。電通所属のCMディレクターでサンダンス映画祭で短編部門グランプリを獲得した人。この作品もサンダンスやベルリン映画祭で受賞しています。


主役を演じるのはこの4人の子供たち。左からヒカリ、タケムラ、イクコ、イシ

その脇を佐々木蔵之介工藤夕貴池松壮亮佐野史郎菊地凛子永瀬正敏らのベテラン俳優が固めています。

 お話は8ビットの昔のゲーム(ファミコン?)をモチーフに、ダークファンタジーというか、虚無というか、現代の世相を非常に反映しています。

 最初に出てくる子供、ヒカリは豪華タワマンに住む共稼ぎで忙しい夫婦の息子ですが、家に殆ど帰ってこない親からは殆ど放置されています。お金だけはあるけれど、常にゲームをして、冷蔵庫の冷凍食品を解凍して一人で食べる毎日。彼が幸せである筈がない。でも、彼はそれでもいいと思っている。
●いちおう 主人公のヒカリ。彼を演じる二宮慶太はドラマの『半沢直樹』や是枝監督の『そして父になる』に出演しているそうです。

お互い浮気をしているヒカリの親は関係修復のために夫婦二人だけで一泊旅行に出かけますが、そこで事故に遭って二人とも死んでしまう。
●ヒカリ(中央)の一家。タワマン暮らしの裕福な家庭ですが、幸せそうではありません。

 他の子供たちも、実家の中華料理屋のガス爆発、工場の経営難による自殺、他殺などで親を失っています
●イクコ(中島セナ)の家族。父は娘を溺愛し、母は娘を心の底から憎んでいます。

 が、彼らは皆 悲しそうじゃない。夢も希望もないという世の中の事実を淡々と受け入れている。彼らには感情がない。
●倒産しかかっている町工場を営むタケムラの両親。

そんな子供たちは親の火葬場で知り合い、一緒に彷徨い始めます。


お話しのテンポはややゆっくりなんですが、社会風刺はかなり利いています。面白い。絶望的な状況なんですが、描写も一歩退いた感じで淡々と描いています。
●ゴミ処理場で子供たちと知り合ったバンド・マネージャー(中央、池松壮亮)が子供たちをマスコミに売り込みます。

やがて彼らはパンク・バンド『リトルゾンビーズ 』を結成、『全員孤児で住所不定』という彼らたちの境遇も相まって社会現象になります。

 ここからお話はまるで往年のセックス・ピストルズを思い起こさせるようなものになります。衝撃的な内容でスターダムに駆け上ったとおもったら、未練もなくあっという間に消えていく。曲はファミコンの音をフィーチャーしていてメロディは結構キャッチ―、テーマ曲はマジでかなりかっこいい。


【公式MV】WE ARE LITTLE ZOMBIES (映画『ウィーアーリトルゾンビーズ』テーマ曲)


 夢も希望もない、涙もない。感情もない。誰もいない、ないないづくし。生きているか死んでいるかすらわからない。

 そういう感覚って大友克洋のマンガ「AKIRA」など80年代半ばからありましたから、何をいまさら、と思わないでもない。でも電通資本の映画でここまで徹底的に虚無を追及するところは時代は変わったと感じさせられます。
 今や日常の虚無に対して違和感を感じない。ボクだけじゃなく、多くの人がそうなんじゃないですか。かってのディストピアSFが今は現実のものになってしまった
●これなんか80年代っぽい画です。


 今の現実を見てみると本当に何もなくなってしまったように思える。タワマンに住むいわゆる勝ち組にも、生活苦で自殺する人たちにも、事故や通り魔に殺される人たちにも虚無は共通している。今だけなく、将来、少子高齢化が進む未来の日本にも大きな虚無が広がっている。映画は寓話、そして子供たちという形を借りて、我々に現実を突き付けてきます。我々の生ぬるさを揺さぶってきます。

 終盤にかけて、お話は漫画のエヴァンゲリオンみたいな世界系が入ってきます。そこはどうかと思いましたが、映画はパンキッシュ、奇想天外で投げやりに作ったかのようにさえ見えるけれど、よく見ると画面の撮り方や雰囲気、それに美術やコスチュームなどが非常にきめ細かく計算ずくで作られています。結構お金かかっているし、出来が良い。

 あと、中島セナという子の非人間的な超絶美少女ぶりには参りました。人間というより、彫像のよう。お話ではこの子の存在そのものが周りの大人たちを狂わせていくのですが、それくらいの説得力があります。この人、これからが楽しみです。



 感情を無くした子供たちは感情を取り戻したのでしょうか。それは判りません。少なくともボクには判りませんでした。彼らに表情を無くさせた世界は何も変わっていない。相変らず虚無のままです。子供たちは少しだけ変わり、『生きているか死んでいるかわからない』彼らは自ら生き続けることを選択します。

 お話のテンポがやや遅い、後半息切れするところもあったりしますが、なかなか面白かったです。見る価値があるというか、現代に正面から対峙した、まさに見られるべき映画だと思います。

『ウィーアーリトルゾンビーズ』予告編