特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

コンサート:相対性理論『回析3』と映画『小さき声のカノン』と『スーパーローカルヒーロー』

東京でももう、桜のつぼみが膨らんでいる。文字通り春の芽吹きです。今週は少し寒くなるそうだけど、やっと冬が終わりそう。とにかく暖かくなるのは嬉しいな。これが真夏になるといい加減にしろ、と思うんですが(笑)。
●小さな桜の花が芽吹こうとしている。

                                                                                                                                 
昨日はまた痛くなってきた足を引きずって後楽園ホールでコンサート。相対性理論『回析3』
いつも書いているように『相対性理論』というバンドはロリータボイス+ポップソング+不気味な歌詞+超腕利きな演奏、と表現できるでしょうか。いつもコメントを下さるiireiさんはマザーグースのようだ、と仰っていましたが、甘い歌声の中に結構な毒があるから、その表現は的確です。覆面バンドという割にはSMAPももクロちゃんなどの曲提供やユニクロなどのCM音楽をやっているから実は耳にする機会は多いです。常に新しいことをするバンドらしく、コンサートではジャズや現代音楽の奏者とコラボで演奏することが多いのですがが、昨日は電子音楽奏者のジェフ・ミルズとのコラボ。相変わらず演奏、特にベースとツイン・ドラムスとの絡みはスリリングで実に興奮しました。定型的なポップソングもこういう演奏をされると全くの別物です。生気に満ちた、充実したステージでした。一方 オープニングのジェフ・ミルズのステージはレーザーと電子音の洪水の中でも退屈すれば寝られることを発見できた(笑)のが唯一の収穫でした。
●左側のポスターはヴォーカルのやくしまるえつこ画。このポスターがチケット(笑)。

                                   
対照的なドキュメンタリーを2つ見てきました。同じようなテーマを描いても驚くくらい異なる対照的な作品でした。
最初は鎌仲ひとみ監督の『小さき声のカノンー選択する人々


福島の原発事故の後、子供を被爆から守るために奮闘する母たち。福島県二本松市に残っている母子、チェルノブイリ事故を体験したベラルーシの人たち、福島を離れて移住した母子、北海道で子供たちの保養を受け入れているNPOの人たちの姿を描く。
●2011年当時 空間線量が2マイクロシーベルトあった二本松市で400年も続いているお寺の奥さん。檀家もいるし、お寺では幼稚園を経営しているので、さすがに自分たちだけ避難することはできない。彼女は被爆を防ぎながら子供たちを守る決心をする。


ミツバチの羽音と地球の回転』などで有名な鎌仲ひとみ監督の作品を見るのは初めて。何故か今まで積極的に見ようと思わなかったんです。
作品の視点は事前に想像していたよりは冷静でした。福島で苦闘しているお母さんたちの姿は見ていて、心を打たれます。4年経って自分でも忘れていることが本当にいっぱいある、と思いました。そういうことを思い出させ、感じさせてくれるのはこの映画の価値でしょう。
●お寺で全国の宗派から届けられた安全な野菜を配る活動を続けているうちに、だんだんとお母さん仲間が増えてくる。動かない市に代わって通学路も自分たちで除染する。

だがこの映画には気になるところがあります。映画に出てくるお母さんたち、お母さんたちを支援する人たちは低線量被ばくの影響を本気で心配しているし、当事者としてそれはよく判ります。だが福島にはそうでない人もいる。そちらの方が遥かに多いのに、そこは視点から全く無視されています。この映画は低線量被ばくは健康に影響がある、という前提で作られていて異なる立場の人や意見は殆ど出て来ない被爆地の子供たちの保養をやっているベラルーシNPOの医師の話は興味深くて、特に『低線量の地域でも、ほぼ放射線量に比例して甲状腺がんが発生したし健康障害は今も起きている』という話は説得力があります。チェルノブイリの影響で健康被害を受けたり奇形で生まれたベラルーシの子供たちを描いたアカデミー賞受賞のドキュメンタリー『チェルノブイリ・ハート』をボクも見たので、成程とは思います。だけど福島にはそういうことを心配していない人も大勢いる(そっちの方が多い)。また今回の低線量被ばくで健康被害は考えにくい、という医師や学者が大勢いるのも事実です。そういう人が全部が全部 山下俊一のような御用学者ばかりなんでしょうか。そんなわけないだろって(笑)
この映画はチェルノブイリで起きたことが福島でも起きる可能性がある、と一方的に決めつけている。両方の意見を聞いて考えたいボクはこの映画を見て納得もしないし、感動もしませんでした。ドキュメンタリーが結論ありきの姿勢でいいのか、と思うからです。原発を推進してきた小泉純一郎オンカロの映画『10万年後の安全』を見て原発に対する考え方を変えたと言います。オンカロの映画は決して直接的に原発廃止を訴えたものではありません。10万年後は風評頼み:『10万年後の安全』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)いろんな人の意見や事実を淡々と描いただけの作品です。人間の心を動かすのはそういうものだと思います。
この映画のエンドロールでベラルーシの医師が『日本の人は諦めずに政府と対話すべきなのです』と言っていて、その通りだと思ったのだが、この映画には立場が異なる他者と対話する意志はあまり感じられない。客席は満員だったが、ボクの前の席の人がいびきをかいて寝てたのが象徴的でした。
ベラルーシではまだ甲状腺がんを発症したり、障害を負って生まれてくる子供たちが居る。政府ではなく、NPOの検診が今も続く。

ベラルーシの医師。治療を続けながら子供たちを放射能が低い地域へ保養に出す活動を続けている。

                                       
上映が終わった後 監督と世田谷区区長の保坂展人氏とのトークショー。昔 この人が国会議員になる前に教育問題に取り組んでいた頃に会ったことがあります。話してみると物腰柔らかな常識人で、同じ席に居た喜納昌吉はこの人大丈夫か?と思ったのとは全く対照的でした。彼が社民党に入って国会議員になった時は驚いたが(誠実過ぎて政治家には向いてないと思ったので)、考え方はボクと近いので選挙では彼には何度も投票しました。社民党の退潮とともに彼は議席を失ったが、311後 彼は脱原発を唱えて世田谷区長に当選しました。だが彼が4月に当選して世田谷区が放射能を測り始めたのは7月、いくら考え方が良くても組織を動かす能力がないとダメ、ということも思い知らされたのも事実です。それでも彼が区長になって区政は明らかにオープンになってきたし、渋谷に続いて同性婚をサポートする施策を検討すると言い出したのもさすがだと思っています。

久しぶりに近くで見る彼は年を取って多少人相も悪くなっている。良くも悪くも政治で苦労した顔なんでしょう。監督が、未だに再稼働を目指すようなアホが政権に居るのは何故か?、と保坂氏に尋ねると、彼は議員時代の経験を語りながら、まともな報道をしないマスコミの責任、それに財界の姿勢、それに国民があまり考えたくないんだろう、ということを挙げていました。国民のアホさはその通りだが、もっと大きな問題がある。最大の原因は野党が無能だから、だよ。保坂氏は放射能測定の遅れの件は機械が手に入らなかったと言い訳していた。ホントかな(笑)。ま、それでも彼には頑張ってほしいです。

●鎌仲監督(左)は何度も保坂氏(右)の発言を遮って自分の言いたいことを話していた。お前の言うことなんか聞いてないって。映画と同じ姿勢だ(笑)。

                                                               
上映後、退場する観客の列の中で鎌仲監督が保坂氏に『ありがとうございます。今日のお礼は後日相談させてください』と大声で話していた。保坂氏は『いや、そんなの結構ですよ』と大声で答える。結局 ノーギャラということになりました(笑)。映画より、そのやり取りのほうが面白かったです。


                  
さて、新宿でスーパーローカルヒーロー映画『スーパーローカルヒーロー』公式サイト
映画のキャッチコピーは『音楽とこどもたちから愛される、ちょっと変わったおじさんの物語

舞台は広島県尾道市。この街には風変わりなCDショップ『れいこう堂』を営む「ノブエさん」と呼ばれるオジサンがいる。彼は商売ほったらかしで、一人で身銭を切りながら多くのミュージシャンを尾道に呼び続けている。311後、彼は原発事故で西日本に避難してくる自主避難者の支援を始める。また、たった一人で。
●これがノブエさん(信恵という名字)。れいこう堂の店内にて

映画はライブ映像から始まります。ミュージシャンが感謝の言葉とともに『ノブエさん』と呼びかけます。それだけでなく、エゴ・ラッピン二階堂和美(映画『かぐや姫』の歌を歌っていた人)ハンバート・ハンバート、多くのミュージシャンから彼は慕われているらしい。その彼は、歯が抜けた、何の変哲もないおじさんです。ニコニコしているが普段は殆ど喋らないらしい。何かあるとスーパーカブにのって尾道の街を駆けまわる。店はほったらかしで、自主避難者たちの子供会をやったり、被災地の子供たちの保養を実現させたりしている。彼がやろうとしていることは大抵の人が『これはムリだろ』と思うけれど、彼が一人で忙しく駆け回っているうちにいつの間にか実現してしまう。子供たちのため、音楽のため、走り回っている彼を見ているうちに、周りの人がいつの間にか手助けを始めてしまう。彼もそれを受けてますます張り切る。そういう循環が存在しているのです。
                                                   
CDショップ『れいこう堂』は渋い品ぞろえで尾道の若者に音楽を教える場になっているらしいです。確かに昔は店主の奨める音楽を聞いていれば間違いないというCD屋(レコード屋)がありました。新宿にも渋谷にもそういう店があった。有名な例では青山に『パイドパイパーハウス』と言うレコード屋があって、売れる前の山下達郎などが音楽を教わりに来ていた。ボクもたまに通ってたけど実に独特な雰囲気でした。れいこう堂もそういう役割を果たしていたようです。
だがネット時代になると、そういうCD屋も厳しいのでしょう。だがノブエさんは全然気にもかけない。新聞配達や水道の検針、畑仕事のようなバイトをいくつも掛け持ちしながら、自分のやりたいことを続けている。ちなみに彼がバイトをしている間はれいこう堂は赤ちゃんを抱えた主婦(元客)や猫が店番をしている(笑)。
●れいこう堂。殆どバラックのようにすら見える。

                                
彼が支援する自主避難者の会のことは強く印象に残りました。尾道にも赤ちゃんを抱えた自主避難者が移ってきているそうだが公的なサポートはほとんどない。でも、ノブエさんは自分の出来ることをやる。孤立しがちな避難者たちが定期的に集まる会を作って、一緒にご飯を食べ、子供たちと遊んだり、着ぐるみを被ったり、紙芝居を聞かせたりします。
●クリスマス会のために着ぐるみを被る。

                                                     
だが、会の中心となってきた避難者の女性は3年後 東京へ戻る決心をします。家族のためと思って子供を連れて避難してきたが、家族が離れ離れになることで家族が崩壊の危機にさらされてしまったからです。今まで支えてきたノブエさんも何も言うことが出来ない。彼は一緒になって、ただ涙を流します。
                                 

ノブエさんがバイト先で指を失う事故に巻き込まれた際、れいこう堂は存続の危機に立たされます。店をたたもうとしたノブエさんだが、それに対して多くのミュージシャンが立ち上がり青山で支援コンサートが行われます。勝手に人を助けてきたノブエさんを今度は周りの人が勝手に支える光景は実に感動的でした。
いったん危機を脱したれいこう堂だが、今も存続が危ぶまれています。それに対して地元のデザイナーやミュージシャンらが勝手に支援するプロジェクトを始めているそうです。Tシャツなどの物販の利益をれいこう堂に寄付する形だが、ノブエさんは受け取った金をまた被災者のために使ってしまう。結局 れいこう堂の経営危機はずっと続いたままだそうです(笑)。
●映画は美しい尾道の光景で幕を閉じる。*そっくりのシーンはありますが、この写真は映画のスチールとは異なります

                                                                                          
ぐちゃぐちゃ言わずに独りでもやる。後先を考えないでさっさとやる。全然威張らない。押しつけがましさの欠片もない。スーパーカブに乗ってどこからともなく現われて、いつの間にか去っていく。ノブエさんの姿は文字通りヒーローでした。きっと日本の地方にはこういう無名のヒーローが大勢いて世の中を支えているんでしょう。
それにしても、まるで良くできたおとぎ話のようです。いや、これは現実の話なんですね。確かにこういう人が居る限り、世の中も捨てたもんじゃない。この映画、昨年 尾道で上映が始まり、全国60か所以上で上映されてどんどん輪が広まり、東京公開にこぎつけたそうです。とても面白いだけでなく、爽やかな風が吹いてくるような映画でした。素晴らしい!

●上映後の田中トシノリ監督。彼はイギリスで映像の仕事をしていたが、311の衝撃で帰国し郷里の尾道に戻ってきた。何か支援をしたいと思っていたらノブエさんと知り合って、多くの人と同じように彼のことがほっておけなくなったそうだ。自分の映画の公開初日にも関わらず田中監督は、自主避難者を描いているから『小さき声のカノン』も見てください、と他の映画を宣伝していた。作品の内容も制作者まで、この2本は何から何まで対照的だった(笑)。