特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

過ぎ去った過去を抱きしめて:映画『おみおくりの作法』

風はまだまだ冷たいけれど、陽の光は温かく感じるようになってきました。こうやってまた、春がやってくる。春という季節はもの悲しさもあるし、夜などはぼんやりとした幻想的な感じもあるし、どこかとらえどころのないところがある。けれど、温かくなるのは嬉しいものです。これで異動とか組織替えとか煩わしいものがなければもっと楽しいんだけど(笑)、それに歯を食いしばって(笑)春を味わっていこうと思います。


昨年の慰安婦問題の大騒ぎはあんまり興味がもてなかった。ボクはそんなに事情は詳しくないけれど、朝鮮半島で強制連行があろうがなかろうがインドネシアでは強制連行をしたのははっきりしているし、日本軍という公的な組織が一役買って慰安所というものを運営していたのは間違いないんだから、朝日の誤報なんて枝葉末節の問題、だと思っていたからだ。もちろんボクは傲慢で独善的な朝日新聞は大嫌いだが(笑)、誤報・虚報は産経・読売でもいくらでもやっている。朝日の報道がなくたって、慰安所なんてものを運営していたことは日本にとって恥ずかしいものであるのは変わりがない。そもそも敵に殺されるより、補給の不備などで味方に殺される方が多かった日本軍なんて有史上、まれに見るマヌケな軍隊だ。それだけで充分恥ずかしいよ。

先週25日のTBSラジオ『セッション22』で慰安婦問題で最近発見されてきた資料のことが紹介されていた。終戦時に公的資料はあらかた破棄したと言われていたが、研究者によって国内だけでなく、海外で残っている資料の発掘が今も進んでいるそうだ。2015年2月25日(水)「資料から読み解く慰安婦問題」(探究モード) - 荻上チキ・Session-22
慰安所は軍隊が認めた公的施設であり、業者が女性をかどわかして連れてきたこと(軍隊の依頼もあり)、業者の誘拐を日本の裁判所が罰しなかったこと、軍隊が慰安婦の移動の便宜を図っていたこと、慰安所での奴隷的待遇(軍人による暴力・暴行や外出・棄業の制限など)の証拠が役所の通達などの公文書として残っている。
すっごく明快な資料だ。
人間は時には、犯罪的な行為や過ちを犯してしまうこともある。国籍に関係なく、人間ってそういうものだ。勿論 ボクだって例外じゃない。だとしたら過去の過ちや失敗を繰り返さないために、それを直視することはとても重要なことだ。嘘や屁理屈で事実を捻じ曲げようとするのは、過去を侮辱することでもある。



銀座でお見送りの作法
東京では一館しかやってないからかもしれないが、上映時間直前になると道路に面したチケットの販売窓口には大行列ができて係員が道路際で列を整理をしている。場内は立ち見も出る盛況ぶり。大ヒット上映中らしい。

主人公はジョン・メイ、42歳。市役所の民生係。独身、独り暮らし。仕事は孤独死した人の遺品を片付け、身内を探し、葬式を行うこと。孤独死した人の中には天涯孤独で、葬式に参列するのが彼だけになってしまうこともある。亡くなった人の宗教に合わせた葬式を行い、生活を反映した弔辞まで作る彼の丁寧な仕事ぶりに不満を覚えた上司から彼はリストラを宣告される。そんなとき 彼の家の向かいに住む老人が亡くなり、彼の葬式がジョン・メイの最後の仕事になるが。

原題は『Still Life』(静かな生活)。内容にぴったりの題名だ。
まず、主人公の造形が良い。彼はいつもネクタイをしっかり結び、無駄口も叩かず、ただ黙々と丁寧に仕事をこなす。お人よしで愚直だが効率とか、愛想はない。特に娯楽も友人もなく、TVもステレオもない家に帰っても、缶詰とトーストの夕食を一人で食べるだけの生活を送っている。別に孤独とか惨めとかではなく、彼はそういう人間なのだ。どこかへ遊びに行くより、ただ勤務先と自宅を往復しているだけの方が楽しいボクには他人事と思えない。親近感が持てる(笑)。
●一人きりのオフィスで全身グレーの地味なスーツにチョッキ、安い3色ボールペンにノート。この姿が彼のキャラクターを物語っている。

                                             
彼は孤独死した老人の身寄りを探して、郊外の鄙びた街、ロンドンの下町を訪ね歩く。かっては栄えていたが今は何もない海辺の町とか、昼間からホームレスが酒を飲んでるロンドンの下町とか、そんなところばかりだ。それは単に街が衰退しているというより、登場人物たちが生きてきた社会自体そのものを表しているように見える。従来 人々が暮らしを立ててきた生業が廃れていく光景だ。
孤独死した老人の妻。鄙びたフィッシュ&チップス屋で働いている。

孤独死した老人のホームレス仲間と。ウイスキーをストレート!であおりながら話を聞く。

                                     
サッチャー時代以来 ウィンブルドン現象と言うことでイギリスには外国からの人が集まって金融業で栄えているというけれど、映画には殆どそんな面影はない。彼が出あうのは寂れたフィッシュ&チップス屋で働く老人の元妻、老人と一緒にフォークランド紛争に出征した元兵士、PTSDで苦しんでアル中のホームレスとなった老人のホームレス仲間たち。それに主人公。彼が弔っているのは孤独死した死者だけでなく、旧来のイギリス社会も、なのかもしれない。
主人公は市役所の民生係として22年間 ただ黙々と仕事をやってきた。だが彼は突然、派手なスーツでアウディに乗った若い上司からリストラを宣告される。『死者に感情はないのだから、死者を丁寧に弔う彼の仕事は意味がない。だから、効率化する。』と言って。かってケン・ローチ監督が多額な費用を費やすサッチャー国葬に憤って『彼女の葬式こそ、民営化してコストを下げろ』と言っていたのを思い出す。
●葬儀の列席者を探して主人公はとうとう、老人の生き別れていた娘を訪ね当てる。

                                             
映画は主人公が老人の身寄りを探して多くの人を訪ね歩くのを描くことで、市井の人々がどんどん生きづらくなった社会のありさまを描いている。誰もが派手な金融とかコンサルタントとかになれるわけじゃない。多くの人が生きてきた過去や社会を時代に合わないからと言って、そんなに簡単に捨て去ってしまっていいんだろうか
主役を演じるエディ・マーサンは如何にもイギリス人らしい、頑固で難しそうな顔をしている。児童文学のドリトル先生シリーズ、その中に出てくる作者が書いた登場人物の挿絵を思い起こすような風貌だ。主人公のキャラクター上 表情の変化も少なければ、セリフも多くないけれど、微妙なしぐさとか表情の変化が本当に雄弁だった。特に後半 表情だけが明るく変わるところはびっくりした。この人、名優かも(笑)。
●見て、この顔(笑)

                                                                                        
この映画は最後に、黙々と愚直に仕事をしていく無名の人生の素晴らしさを、無言で、だが温かく描いて、終わる。過去を畏敬することを忘れないこの映画は、登場人物たちと同じように静かで黙々とした地味な作品だが、実に雄弁だ。大号泣必至(笑)。大ヒットも頷ける、本当に素晴らしい作品だった。