特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

映画『アデル、ブルーは熱い色』

前回のエントリーはちょっとへヴィーだったので(笑)、今回は軽く行きます。
今週末は3か月ぶりくらいで一本も映画も見に行かず、のんびり。と言うと聞こえが良いが、何もしないでベートーベンのピアノソナタを聞きながら、ダラダラしているだけだった(笑)。アメリカで封切られた、地震原発が破壊されるところから始まるハリウッド版ゴジラに刺激されて、DVDで『ゴジラ対ヘドラ』を見て盛り上がろうと思ったが、善玉になったゴジラヘドラを追って、後ろ向きで口から放射能を吐きながら空を飛ぶ(笑)のはさすがに今ひとつだった(笑)。

ストロンチウムまで出てくるサイケな主題歌はなかなかだけど。

                                                   
こうやって週末はアッと言う間に過ぎていく。早く定年になって毎日が日曜日になったらどんなに良いだろうと思うのだけれど、今のところ叶わぬ夢だ。早く老後資金を貯めないと(笑)。


EUの議会選挙で極右政党が大幅に躍進して支持率は25%以上を獲得、フランスでは第1党になる見込みというニュースには少し驚いた。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140526/k10014718541000.html リーマン&ギリシャショックでEUの経済は今後10年くらいは立ち直れないという説もあるから、こういう傾向は益々進みかねない。世の中 景気が悪くなると、ヤケクソな方向へ考えが行きがちなものだ。日本でも雑誌や本などで反韓国とか反中国を取り上げると売れるそうだが、それも典型的なものだろう。自分がうまくいかないことの原因を誰か他のせいにできれば、人間 誰でも心地よいものだ。もちろん他人のせいにしているだけでは何も解決しないし、あとで必ずツケを払うことになる。                                                               
かって古市憲寿と対談した際『戦争いや〜。そうなったら逃げるも〜ん』、『韓国や中国の言い分も聞けばいいじゃん』と答えていた、ももいろクローバーZの新曲が先週 始めて1位になったが、そのB面のタイトルは『堂々平和宣言』だ。ヒップホップ関連の作家が作ったそうだが、よく聞くと最近の東アジア情勢のことを歌っているのがちゃんとわかる。安倍晋三集団的自衛権がどうのこうの言ってる奴も、耳かっぽじって10代の子供の声を聞けよ。恥ずかしくないのか。


                                                  
                                                                        
新宿で映画『アデル、ブルーは熱い色
昨年のカンヌ映画祭スピルバーグが絶賛し、監督(男性)と主演女優二人が三人共同でパルムドール受賞という異例の展開が大きな話題になったフランス映画。劇場は結構混んでいた。

主人公のアデルは高校生。ハンサムな同級生と恋愛をしてみたり、デモに参加したり(さすがフランス!)ごく普通の高校生活を送っていたが、どうもしっくり来ない。ある日横断歩道ですれ違った青い髪の女性、エマのことがどうしても頭から離れない彼女は、クラブを巡って彼女を探し出す。お互いの気持ちは次第に高まっていき、二人は共に暮らし始める。始まりから終わりまで二人の数年間を描いた作品。
●主人公のアデル

                                                           
恋愛映画は見るのは好きだけど、感想を書くのは苦手だ(笑)。きっとボク自身が人間にあまり興味がないので理解力に自信がないからだろう。それとも歳のせいで感情が枯れてきたか(笑)。それはともかく(笑)、この映画を一言で言うと、まぶしい映画だ。フランスの明るい陽の光、10代後半から20代前半までの主人公たちの瞳の文字通りのきらめき、そして真正面から相手にぶつかっていく心情、ボクのようなロートルのおっさんにはどれもまぶしかった。
●青い髪に青い瞳の少女、エマ

                            
人間の描写が細やかだ。監督は女優さんたちに、実際にそういう気持ちになった上で演技をすることを要求したため、撮影に莫大な時間がかかったそうだが、3時間の上映時間の中で主人公たちの気持ちの起承転結が丁寧に描かれている。

アデルが普通の高校生活にしっくりこないところから始まり、アデルとエマが徐々に気持ちを募らせていくところは描写時間も長いが、非常に面白かったし説得力もあった。二人を巡る背景の描写が面白い。例えば執拗に映されるアデルの家の食事シーン。労働者階級らしい家庭のリビングには、いつもTV番組が流れている。その食卓に家族全員が座ってスパゲティ・ミートソースを食べる姿がいかにも不味そうだ。アデルの周囲は友人も家族も同姓の恋人なんてとても受け入れない。対照的にアデルがエマの家へ行くと、上品な母と継父が生カキと白ワインで迎えてくれる。娘の同姓の恋人として!だ。美術学校へ通うエマの友人たちもアデルがエマの同姓の恋人ということに違和感を持たない。

                                     
二人を取り巻く階級差、環境による人々の考え方の違いも実に丁寧に描かれている。同姓婚が合法化され、婚外子のほうが多いフランスでもそれが現実なのだろう。昨年見た、性同一性障害の男性(つまり女性)と女性の10数年の恋愛を描いた映画『私はロランス知的で過激、そしてシャイ(笑):相対性理論『幾何1』と映画『私はロランス』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)と感触は近い。実際のLGBTの人たちの恋愛はどうだかは知らないけど、男女の社会的・文化的な性役割のような押し付けられたものがない分 愛情が純化されて描くことができるような気がする。『アデル』は『私はロランス』より主人公たちが若いだけあって、自分の欲望により忠実だ。まぶしくもあり、ボクには近寄りがたくもあり、そんな感じだ。

アデルたちが愛し合うシーンも憎しみあうシーンも、愛情はエゴイズムの裏返しだなあ、とつくづく感じる。美しくもあり、醜悪でもある。若いアデルたちだから、尚更それが強烈に映る。

終盤になるに連れてアデルが欲望に忠実な分だけ、年上のエマのありようが不鮮明になってくる。前半の、蒼い髪に蒼い瞳が印象的なパンキッシュな少女は大人になり、画壇にデビューして社会的な役割を受け入れようとしている。歳若いアデルの荒れ狂う欲望をそのまま受け入れることはできないのだ。それは観客のボクにも重なっている。
                  
純粋に人間の愛情の美しさと醜さを切り取ってみせた映画、というのがボクの感想。確かに凄い映画ではある。
この映画を見て映画館から一歩出ると、新宿のけたたましい商業宣伝といわゆる『常識』が空気のように覆っている日常が拡がっていた。それをいつもどおり、屁理屈と凍らせた感情でなんとかやり過ごす(笑)。『アデル、ブルーは熱い色』は、人を傷つけることを恐れない純粋な気持ちを取り戻すことができないボクのような観客に踏み絵を迫っている、といったら褒めすぎだろうか。瑞々しい感性は遠い日の記憶なのか(笑)?