特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

候補者たちになんか任せていられない!(笑)と、映画『少女は自転車に乗って』

週末はダラダラしながら、都知事選の候補者、宇都宮氏と細川のホームページを見ていた。
宇都宮氏のほうは翌日の遊説スケジュールや応援のHOW TOなんかが載っていて、自分も直接応援したい、という気持ちにさせる希望のまち東京をつくる会 宇都宮けんじ公式サイト。政策の内容はとても詳細で、性的マイノリティの差別やダンス規制の撤廃まで入っていて個人的には素晴らしい、と思う反面、福祉面では無料パスとか高齢者の医療費無料とか、共産党が昔から言っているような財源や利用者のモラルハザードの問題を無視した時代遅れの施策も並んでいる。ブラック企業対策も触れているが、ブラック企業の定義が不明だし、現状でもブラック企業の問題の多くは労働基準監督署の体制を強化すれば対応できることに全く触れていないので、彼は働く場の現実を理解してないのかなと思ってしまう。
良いことは書いてあるけれど非現実的、というのが宇都宮氏の政策を見てのボクの感想だ。

                                        
細川のほうのホームページはデザインもお洒落でプロの仕事という感じtokyo-tonosama.com。その反面 参加しようとか応援しようとかいう気持ちにはなりにくい。内容のほうは政策だけでなく、佐川の借金問題なども説明しているし(ボクはそれを見て納得できた)、政策の数値データも載せていて、案外彼が考えていることを正直に表現している印象がある。ただ原発の『資本コスト』とか言っても理解できる人がどれだけ居るだろうか とは思った。政策は大ぐくりで抽象的だけれど、その分だけ宇都宮氏のものより非現実的な感じはしない。羽田空港の国際化などの国家戦略特区を活用するところが全面拒否の宇都宮氏との大きな違いだろうけど、国家戦略特区がすべて悪いわけではないので、それはそれで現実的には悪くない、とボクは思う。共産党が労働規制緩和と絡めて、この件を非難しているが単なる言いがかり、大嘘だ。細川は労働規制緩和なんて一言も言ってない。企業の内部留保の件もそうだったが共産党は平気で見え透いた嘘をつく。こういうところからも、共産党は自民の補完政党であることが良くわかる。



都知事選の情勢が新聞各紙に出るようになった。まだ序盤の情勢でしかないけれど、舛添がトップで細川がそれに続いているのは各社共通だ。マスコミには出ないがネットでは小泉効果で細川の演説会での動員人数がどんどん増えている、という話も複数ある。ポイントはやはり無党派、投票態度を決めていない人たちの動向。この層が圧倒的に多いから、まだまだわからない。このような状況ではっきりしているのは、宇都宮氏に投票するということは結果的に舛添を応援するということ、だ。宇都宮氏に凝り固まっている人は自分の行動の意味を客観的によ〜く考えて欲しいなあ。そんなに舛添を当選させたいのか。

                                             
孫崎亨氏がtwitterで、とても良いことを言っている。
脱原発の一本化は有権者の判断で出来る。
1.宇都宮も細川も最後まで勢力拡大に頑張れ。
2.選挙の前日に有権者はいずれかが優位か判断して、優位なほうに投票する。

                       
そのとおりだ。我欲だか、組織の都合だか知らないが、候補者たちが一本化できないのなら、市民の力で脱原発の候補者を一本化しようじゃないか!
あいつらが出来ないのなら、ボクたちがやるのだ!
それが民主主義だ。まず、選挙にいこう。そして、
人任せでなく、自分でやるのだ。






岩波ホールサウジアラビア映画『少女は自転車に乗って

                                                                
サウジアラビアでは女性が自転車に乗ることは禁止されているという。ついでに自動車の運転も禁止だし映画館もない。法律と言うより、イスラムの一部宗派の教えを厳格に運用しているから、らしい。この映画の監督もサウジアラビア初の女性監督で、街中ではゲリラ的に撮影したそうだ。

主人公は10歳の女の子。母と一緒に暮らしている。お転婆な主人公はイスラムの教えに厳格な学校では服装や生活態度で怒られてばかり。ある日 主人公は自転車が欲しくなったが、母には『女の子が自転車なんて』と全く取り合ってもらえない。どうしても自転車を諦めきれない主人公は賞金ほしさにコーランの暗記大会に出場する。

                        
そんなお話。始めて見るサウジアラビアの暮らしは驚くようなことばかりだ。
                                        
物質的には殆ど日本と変わらない。家には大画面TVもあるし、プレイステーションもある。TVゲームもあればDVDもある。街中にはランドクルーザーが走っている。だけど映画館を禁止するんだったら、主人公の父親のようにプレステでシューティングゲームやってるほうが遥かに神の意に反してるんじゃないのか(笑)。カネが全ての資本主義の生活も問題だが、宗教が押し付ける生活習慣もインチキと矛盾だらけだ。
●少女は店先で見かけた自転車がどうしても欲しくなる。

●幼馴染の男の子と平気で遊ぶ主人公。これもあまり歓迎される行為ではない。

                              
選挙はあるけれど投票する基準は政策ではなく、候補者の部族。働いている母は、自動車の運転が禁止されているため男性の運転手を雇わなければ通勤することもできない。女性だけの職場に勤めるため片道3時間もかけて通っている。家に近い就職先として病院を親戚に紹介してもらうが、男女が同じオフィスで働いているため、転職する踏ん切りがつかない。一歩多妻制のため父はたまにしか母子の家に顔を見せない。その父は新たな結婚をしようとしている。主人公が通う学校では男の子と視線を合わすことも禁止。女の子は初潮を過ぎたら外出する際はヴェールを被って顔を隠さなければならない。男子生徒と密会した女子生徒は宗教警察!に逮捕される。

                                                                
う〜ん。絶句。日本から見ると宗教に閉ざされた牢獄のように見えてしまうが、それは現地の人の感覚とは違うから一概にどうこうは言えない。それにサウジのこのような風習全てはイスラム一般のものではないはずだし。イランとはまるで違うし、トルコでもインドネシアでも違うだろう。
●課外活動はコーランの研究会


監督は、そんな日々の暮らしに生じた小さな綻びも見逃さない。
家の都合で10代前半の若さで嫁に出されてしまう生徒が居る。嫌だとは思っていても誰もそれを止められない。学校で厳格な教えを生徒に強制する女校長先生(美人!)は実は男を家に引き込んでいる。男女が厳しく分けられた恋愛禁止の学校では同性愛もどきの行為(手を繋ぐだけだが)に走る女生徒もいる。

                                        
主人公は因習には負けない。子供だからできることは限られているけれど、人任せではなく、自分の力でやる子だ。そういう子供だ。主人公の母は敬虔な信仰を持っているけれど、イスラムで認められた夫の多重婚にどうしても心穏やかではいられない。その結婚式を祝う花火の下で、母と主人公が心を通わせるところは実に美しくて、心に残った。そこから繋がっていく爽やかなラストシーンは最高でした。
●美人なお母さん(笑)と主人公

                                                                         
監督は声高に何かを批判はしない。この映画で描かれたような女性を縛り付けるような因習はボクは受け入れられないけれど、内容を理解していない他人がとやかく言うようなものではない。この映画はあくまでも10歳の女の子とそれを取り巻く暮らしの楽しいことや辛いことを淡々と描いているだからこそ普遍的な感情を掬い取ることに成功している。
ちなみにサウジではこの映画が国会で上映されて、今は女性の自転車の運転はOKになったそうだ。
ものすご〜く、よく出来た映画。面白い!