特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

誰のために仕事をするか、何のために仕事をするか:映画『シェフ 三ツ星トラック始めました』と映画『パリよ、永遠に』

テレビ朝日ニュースステーションという番組で元官僚の古賀茂明氏がバトルをやらかして話題になっているらしい。ボクはここ数年TV朝日は録画している深夜の『ももクロちゃん』以外は殆ど見たことがない。特に報道関係は『朝まで生テレビ』とか『TVタックル』とかポピュリズムを煽る下品な番組ばかりだから、『ニュースステーション』なんて見る気も起きない。一方 古賀氏の方も官僚を辞めた当初の『日本中枢の崩壊』(これは良い本だった)を読んだだけで、あとは良く知らない。だから、どうでもいいと言えばどうでもいいのだが、報道された範囲では古賀って人はイカレてしまったのか?、というのが感想だ。
なんでも、彼は『I am not Abe』と発言したのがきっかけで管官房長官から圧力がかかって番組から降ろされたと番組内で発言したようだ。真偽は判らない。
もちろん彼の発言も証拠を提示したなら全然OKだ。だけど、そうではない。TVには政治的中立を謳った放送法というものがある。商業右翼が社是のフジサンケイグループの幹部ですら、『木村太郎みたいな右翼的な見解を社や番組の見解として受け取られないように注意して番組を作っている』と一緒に酒を飲んだ時に言ってた。免許事業であるTV局にとってはGHQが戦前の反省を踏まえて作ってくれた『放送法は大変なプレッシャーになっているらしい。安倍の政策をきちんと批判するのならともかく、個人攻撃にもなりかねない『I am not Abe』を具体的な根拠や証拠もなしに古賀氏が発言したら、政治的中立を疑われても仕方がない。そういうコメンテイターをTV局が降ろすのは理解できるし、少なくとも政府にマスコミ介入の格好の口実を与えたことは間違いないだろう。
TVで安倍の政策を批判するのは今だって問題はないはずだ。この前も知り合いのアナリスト氏がTVで安倍の経済政策をボロクソに言ってたが、具体的な根拠があるから何の問題も起きなかった。
●ボクの感想はこれに近いかな。http://usami-noriya.com/?p=5053


ボクはニュースステーションなんて番組は見たこともないし興味もないが(そもそも、まともな人はそんなTV番組見ないだろう)、ブチ切れたと言う古賀氏の姿を見て、多くの人は引いたのではないだろうか。そんなことをして彼個人にも社会のためにも何か良いことがあるのだろうか。実際にTVを見た人の中には、コメントを読むように喋っていた古賀氏とTV朝日がグルになったやらせかと思った、と言っている人もいた。もし、そうだったら大したもんだが。


                                                
さて、毎度の話ですが、基本的にボクは他人と会ったりするのが苦手だ。本来はボクくらいの歳になったら人脈造りでもやらなければいけないんだけど(笑)、ボク自身 特に他人に話すようなこともないし、人見知りの方が先に立ってしまう。それでも若い頃は我慢して人に会ったりしてきたが、歳をとるにつれ自分の人生の終わりを意識するようになって、こんなことをやっていていいのか、と思うようになってきました。ボクは小学生の時から徒然草晴耕雨読の生活に憧れる変わり者だったが、そういう本来の性向というのは変わらないみたいだ。
ところが先週末は珍しく二人の人にお会いしてお昼をご一緒しました。一人はブログでお世話になっているマツケンさん鳥取und八尾Tagebuch。千葉〜東京〜金沢の旅の途中というマツケンさんは率直なお人柄で色々喋って下さる方で助かりましたブラック企業批判の共産党が文字通りブラック企業というのは成程と思った(笑)。教育とか道徳とかを説く政治家にロクな奴がいないのと一緒、ってことだろう。ただマツケンさんは旅の疲れからか体調が本調子ではないようで、どうかご自愛なさってください。
もう一人は某大学の副学長。もう70歳を超えているがまだ自分でポルシェを運転するような人で(笑)マイケル・サンデルの友達。前日までハワイで講義してきたばかりだという。今も学校で博士課程を担当しているそうで、学校の雑事はともかく、そういう仕事なら徹夜しても何でもない、と仰っていた。曰く、仕事ってそんなものだろう、とのことだ。ご本人の努力の賜物なんだろうけど、そういう風に思える人って何となくうらやましい。
ボクは仕事にそれほどの情熱はないし、老後資金を貯めて早く引退したい、一刻も早くリタイヤしたいと思っている。残念ながら大した能力も意欲もないボクのような人間には、仕事なんて生活の糧を稼ぐためのもの(by上野千鶴子)でそれ以上の意味も目的もないと諦めているけれど、それでも3〜5%くらいは仕事の中に自分の意志や良心をもぐりこませるのがせめてもの意味、とも思わないでもない。そういうことを考えさせられる映画を2本見てきました。


日本橋で映画『シェフ 三ツ星フードトラック始めました

ロサンジェルスで高級フランス料理店のシェフを勤める主人公は(ジョン・ファブロー)。本来は自由にクリエイティブな料理を作りたいが古臭い定番料理ばかり作らせる店のオーナー(ダスティン・ホフマン)の意向とぶつかって、ブチ切れて退職してしまう。ブチ切れた際のやり取りがネットで公開されてしまったため、なかなか次の仕事が見つからない。別れて暮らす元妻の勧めで主人公はキューバ料理を提供するフードトラック(移動式屋台)を始めることにするが。

ボクは見たことない大ヒットシリーズ『アイアンマン』や『アベンジャーズ』の監督が、自分が本当に作りたい映画を作りたいとして自分で監督・主演・製作を務めた作品。実際の監督の気持ちと映画のストーリーが見事に重なっている。アイアンマンなどと比べたら遥かに低予算な作品だが、ダスティン・ホフマンスカーレット・ヨハンソン、ロバート・ダウニーJrなど彼の映画に出ていた有名俳優が脇を飾っている。特にロバート・ダウニーJrはアイアンマンの役柄どおりの不気味で嫌味な金持ちを怪演している。
●主人公(左)と愛人(スカーレット・ヨハンソン)。スカーレット・ヨハンソンのルックスにはひれ伏しますが(笑)、違法入植のイスラエル企業のCMをやったのは許し難い。CNN.co.jp : スカーレット・ヨハンソンさん、国際親善大使を辞任 CM出演で批判

                                         
冒頭 主人公の見事な包丁さばきに魅せられる。本当にうまい。監督は、俺は本気でやってるぞ、ということだろう。いろんな料理が出てくるが、彩鮮やかでどれも美味しそうだ。そう言えばアメリカの料理って、店さえちゃんと選べば比較的まともだったのを思い出した。

主人公のシェフは腕利きだが、仕事一筋で人の言うことを聞かない頑固な性格だ。妻と離婚し、10歳の息子とも別れて暮らしている。2週間に1回 息子と一緒に過ごす時間は持っているが、心が通じ合わず息子はどこか寂しそうだ。
●一緒に食材さがしに行っても父は息子の事より料理のことばかり考えている。

                                    
お話のなかでは『何のために仕事をしているか』、『誰のために仕事をしているか』という問いが度々出てくる。LAの高級レストランで毎日 決まりきった料理を作ることを強制される主人公。主人公のゆがんだ性格は、自分の創りたい料理を作れないという鬱屈も大きな原因なのだろう。

その高級レストランで主人公はとうとうブチ切れてオーナー(ダスティン・ホフマン)と大喧嘩する。啖呵を切って辞めたが次の職が中々見つからない。彼が客席でブチ切れているのが他の客のスマホでネット中継されてしまったからだ。どん詰まりになった主人公は、プライドを捨てて一から屋台で出直したら、という元妻の勧めに従わざるを得なくなる。キューバ系の元妻の実家があるマイアミで中古のフードトラックを手に入れた主人公は息子と前の職場のアシスタントと共に、再びLAを目指して旅に出る。ここから俄然お話は明るさを帯びてくる。主人公が作るキューバ風サンドイッチ、ラテン音楽にマイアミの明るい色彩も相まって、画面が明るく、躍動感を帯びてくる。主人公の転落のきっかけはネットでの炎上だが、こんどはTwitterやVivimoが逆転のツールになっていく。

主人公たちはニューオリンズ、テキサスのオースティンと旅を続ける。ご当地の食べ物や音楽、風俗を取り入れた描写が楽しい。主人公は客の喜びのために料理を作ることで、自分も人生の喜びを取り戻す。息子もネットを使った販促や調理の手伝いをして自分の存在価値を確認する。二人はフードトラックで忙しく働くうちに心の触れ合いを取り戻していくのだ。
●大忙しのフードトラックに別れた妻も手伝いにやってくる。

                                                        
良い意味で誰が見ても楽しい映画。ボクも楽しかった。仕事に喜びや意義を感じられる人は幸せだ。エンドロールの最後で監督が料理修行をするシーンが映って、これもまた面白い。だけどホットサンド(キューバ風サンドイッチ)のパンの外側からもバターをどっちゃり塗りたくるってやり過ぎだよ!



                                
もうひとつ『なんのために仕事をするか』という映画。
銀座で映画『パリよ、永遠に』(原題Diplomatie=外交術)

ノルマンディ上陸後 連合軍はパリに迫りつつあった。ヒトラーはコルティッツ将軍にパリ死守を命じ、万が一の時はパリを火の海にして破壊するよう厳命を下していた。中立国スウエーデンの総領事ノルドリンクはコルティッツが住居とするパリの超高級ホテル・ムーリスを単身訪れて無血開城を説得しようとする。
                                   
その昔 第2次大戦中のパリ解放を扱った、オーソン・ウェルズなどが出演した『パリは燃えているか』という映画があったが、これはパリ解放の前夜 ドイツ軍の最高司令官コルティッツ大将とスウェーデンの総領事ノルドリンクの一晩の交渉を描いた作品。史実を一夜の出来事に凝縮させた舞台劇がベースだと言う。

ノルドリンク役のアンドレ・デュソリエはこの前 見たばかりのアラン・レネの遺作『愛して飲んで歌って』(あまり面白くなかった)で女たらしのスケベ爺役をやってた。コルティッツ役のニエル・アレストリュプは『潜水服は蝶の夢を見る』に出ていたそうだが知らない。監督は懐かしいブリキの太鼓フォルカー・シュレンドルフ。文字通り独仏合作のキャストだ。
スウェーデン総領事のノルドリンク。各国の外交官が避難する中 ドイツ軍との交渉のために彼はパリに残った。

●ドイツ軍のコルティッツ将軍。彼は、撤退する際はパリを破壊せよという命令をヒトラーから直接受けている。

                              
映画は第2次大戦の記録映像から始まる。戦闘で破壊されたワルシャワの白黒映像が映される。見渡す限り崩れた壁に折れた柱、人っ子一人いない文字通りの廃墟、すさまじい映像だ。パリもこうなる寸前だったということを思い出させる見事な演出だ。迫力があり過ぎて、カラーの本編が始まったとき、少し拍子抜けしたくらい。
次にコルティッツがどのような計画を立てていたかが示される。セーヌ川の橋を破壊して広範囲に洪水を起こす。ルーブルオペラ座ノートルダム大聖堂コンコルド広場、凱旋門などに爆弾を仕掛ける。エッフェル塔にはタワーの根元に大型の魚雷の弾頭を仕掛ける周到ぶりだ。要するに名所旧跡は全部じゃん(笑)。これらが実行されれば、数百万人の死の可能性があったと言う。

本筋はここからだ。深夜 ノルドリンクがホテル・ムーリスを訪れる。ドイツ軍は存在を知らなかった、ナポレオンが愛人との逢引に使ったというホテルの隠し階段(さすがフランス人!)を使ってコルティッツの部屋を訪れた彼は、コルティッツと1対1の談判を始める。
ナポレオンが愛人を覗くために作らせた(笑)部屋の覗き穴を使ってコルティッツの計画の詳細を既に知っていたノルドリンクは『パリを破壊することは文明の冒涜だ。パリを破壊してもドイツは戦争に勝てないし、コルティッツは永久に汚名を着る。戦後もフランスとドイツは友好関係を結べないだろう』と説得にかかる。
当然だ。
                                                                                             
コルティッツは彼の言を理解しつつも『命令に従うことが軍人である自分の義務だ』と答える。それに『パリを破壊することで、数週間でもドイツ侵攻の時間稼ぎができればそれで良い』とも言う。太平洋戦争中も聞いたセリフではないか!
更に彼は連合軍の爆撃で廃墟になったハンブルグやベルリンのことを言及する。無実の市民を大勢殺した彼らに自分のパリ破壊を責める資格があるのか、と。

                                                        
夜を徹して丁々発止のやり取りが続く。お互いの心の内もさらけ出されてくる。パリを破壊する意思を変えないコルティッツが未成年の兵士に退去命令を出すのも印象的だ(自軍の兵士に無意味な死を強要することも多かった野蛮な日本軍とはずいぶん違う)。そんな彼にノルドリンクは『君は何のために仕事をしているのか』と問いかける。ヒトラーのバカな命令を聞くことが義務なのか、と言うのだ。
コルティッツは彼のパリ赴任前日に制定された『親族連座法』のことを挙げる。彼がパリを破壊しなければ、彼の妻子はヒトラーに殺される。逆にコルティッツはノルドリンクに迫る。『君がボクの立場だったらどうするか。良く知りもしない異国の街のために自分の妻子を犠牲にするのか?
                                                        
舞台劇が元になった作品らしく、緊迫感あふれる、それでいて観客に考えさせるやり取りでお話が進んで行く。ボクは物事を考える時、自分だったらどうするか、ということを良く考える。政治家でも何でもいいが、自分に出来もしないことを他人に要求したり批判したりするのはフェアではない、と思うからだ。ナチと言えどもコルティッツの言うことは案外正論だ。
                                              
しかし、双方は正論だけで勝負しているわけでもない。ノルドリンクは中立国の領事と言えど、連合軍やレジスタンスとつながっているし、コルティッツのことを経歴から私生活まで寸分たがわず調べ上げている。彼が前職で嫌々ユダヤ人虐殺に関与したことや、彼の部屋の中のウイスキーの隠し場所まで知っているほどだ。コルティッツは自分の保身が大事だし、武器を握っている。いつでもノルドリンクを殺せる立場だ。お互いのやりとりを一晩に凝縮させたお話は、知的かつスリリングだ。また豪華ホテルらしく、フォワグラや高級ワインなどの小道具が効果的に使われる。ホテル・ムーリスの従業員が粗野な兵士にはシードルしか出さないのも面白かった。
●台詞だけでなく表情が実に雄弁な映画でした。

                                                        
結果は史実が語る通りだ。間一髪のところでパリは救われ、連合軍に降伏したコルティッツは釈放後 家族と再会した。戦後10年後にはノルドリンクともパリで再会したそうだ。
●ギリギリのところでコルティッツは破壊中止の命令を出す。

                                                                                         
パリ生まれでパリ育ち、パリを愛するスウェーデン人ノルドリンクと文明の価値を理解できたドイツ人の最高司令官コルティッツが1944年の8月にそこにいたのは歴史上の幸運だった。ワルシャワもベルリンもハンブルクも瓦礫になってしまったわけだが、パリは救われた。本土決戦を遅らせるためと称して数十万人もの兵士や民間人を犠牲にした日本となんと違うことか。例えば沖縄。米軍が上陸して直ぐ日本軍の守備隊がパリのように無血開城していたらどうだったのか。沖縄も日本もきっと今と違った姿になっていただろう。原爆だって落ちなかったかもしれない。コルティッツは極悪ナチだったがそれでも、長い時間の流れの中で何が大事なのかということが判っていた。対照的に戦前の日本軍はバーミヤンの仏像を破壊したタリバンや美術館の仏像を破壊するイスラム国の連中と同じってことなんだろう。


                                                                
客席が明るくなった後 ボクの後ろの席に座っていたおばあさんが連れに『真面目な映画も面白いわね〜』と大きな声で述懐していた(笑)。
仕事とは何か、何のために働くか、人間の良心とは何か、本当に大事なものは何か。色々考えさせられるし、実に実に、面白かった。この作品にボクの心情がマッチしているのもあるけど、今年になって観た映画約30本の中でベスト3に入るような素晴らしさでした。