特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『日本人は民主主義を捨てたがっているのか』と映画『地獄でなぜ悪い』

往々にして世の中は理屈通りにいかないものだ。それでも選挙を棄権する人や最近では特定秘密保護法に危機感を持たない人が結構いるのを見ると、どうしてだろうと思ってしまう。そういう行為は自分で自分の首を絞めているのと一緒だからだ。
たとえば農協とか北海道。自分が自民党に投票しておいて、あとからTPPに反対と言ったって無理だろう。そうなることは最初からわかっているのに、あとで文句を言っても遅いではないか。別にボクは農協や北海道の農家に文句を言いたいのではない(笑)。日本ではそういう事例に事欠かないのが不思議なのだ。そういうことについて書いたリーフレットを読んでみた。
映画監督の想田和弘の『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?

想田監督は『選挙』、『選挙2選挙と『選挙2』(笑) - 特別な1日(Una Giornata Particolare)など、一切のBGMやナレーション、テロップを排した『観察映画』で知られている。彼は橋下を支持している人のTweetを観察しながら、ある一つのことを発見する。『民意』、『マネージメント』、『リセット』、『公務員は上司の命令に従え』など橋下の支持者は橋下が使う言葉を自分のTweetにそのまま引用することが多い、と言うのだ。
それは橋下が、理屈に訴えるのではなく大衆の感情に訴える言葉を使うことに長けていることに加えて、人々の間に為政者の言葉をそのまま内面化する思考停止状態が広まっていることを意味している。それと同じことを彼は、自分の映画の観客から言われた『政治をもっとわかりやすくしてもらわないと関心を持ちにくい』という感想からも感じたと言う。まるで何も考えずに、消費者がサービスを受けるような態度を感じたというのだ。彼はそれを『熱狂なきファシズム』と呼んでいる。曰く
自らを政治サービスの消費者であるとイメージする人々は、政治について理解しようと努力する責任が自分自身にもあろうとは思いもよらなかったのではないか』。

確かにそのような心理があれば『投票にいかない』、『政治に関心を持たない』という態度もうなずける。そしてそのような態度は『熱狂なきファシズム』に消極的な協力をしていることになる。そのような『消費者民主主義』(お任せ民主主義)に対抗するためには、想田監督は自らの映画が自民党の県議に妨害されたり(『選挙2』)、千代田区から図書館での映画公開にクレームを受けた体験から、『(民主主義を守るために)一人ひとりが日頃から不断の努力を続けるしかない』とする。今の日本の体たらくは普段から『まあ、いいか』という『不戦敗』を積み重ねてきた結果ではないかと言うのだ。


ボクはかねがね、政治家、特に生活の党の政治家などが演説の最後に『皆様にお約束申し上げます』というのを非常に不愉快に感じていた。自分でも何故だろうと思っていたのだが、想田監督はこう言っている。
『(政治家は)主権者のことを、単なる受け身の、自分では何もできない、消費者だと思っているからです。』
なるほど。
消費者運動が華やかな頃から『消費者』という言葉はなんとなくポジティブなイメージがあった。だが、本当にそうだろうか。偽装表示されたインチキ食品をありがたがっていたのは消費者だろう。小泉時代からずっと、累進課税の強化を主張している東大の神野直彦先生が『分かち合いの経済学』という本で消費者でいるということは金銭的尺度でのみ、物事を判断することだと指摘している。想田監督が言っている『消費者はサービスを受けるだけで、自分自身にも責任があろうとは思いもよらない』にも一脈通じる。

「分かち合い」の経済学 (岩波新書)

「分かち合い」の経済学 (岩波新書)

確かに我々は商品を購入する際は価格のことは非常に考えるし、できればより安く買おうとする。だが、もっと大事なことがあることを忘れがちなのではないか終戦後 一部で言われた1億総懺悔論は戦争責任をうやむやにするものとして評判が悪い。だが、政治家に騙されて大政翼賛会に参加するような政党に投票したり、日独伊三国同盟に賛成したり、真珠湾攻撃で提灯行列して喜んだ者にも戦争責任があることも間違いない。

原発事故も同じだ。騙した者には責任があるし、騙された者にも責任はある。消費者の名の下に思考停止した者にも責任はあるのだそう感じない者には失敗の原因を理解することはできないだろう。だから 一人ひとりが自分なりの責任を背負う覚悟を持とうとしなければ、また311と同じことが起きる。それどころか、太平洋戦争のように大マヌケで悲惨なことがまた起こりかねない、と思う。金銭で物事を判断する消費者である前に、ボクらは主権者でなければならないのだ。




新宿で映画『地獄でなぜ悪い』。
映画『地獄でなぜ悪い』公式サイト
前回『希望の国』で原発事故を取り扱った園子温監督が『政治性のかけらもないものを造りたかった』という ベネチア国際映画祭出品の新作。


ヤクザの武藤組の組長、武藤(國村隼)は、最愛の妻(友近)の出所を目前にしていた。自分の娘(二階堂ふみ)がスクリーンデビューすることが生きがいの妻を喜ばせるため、本業そっちのけの武藤はアマチュア映画制作集団『ファック・ボンバーズ』(長谷川博巳ら)を引き入れて自ら映画を作ることを決意する。妻の出所を数日後に控えた武藤は池上(堤真一)率いる対立する組との抗争をそのまま映画にするのだった。
●ヤクザが映画を作るというプロットは実際にヤクザみたいな人が多かった昔の撮影所システムへのオマージュになっている。

●武藤組組長役の國村隼。決まってるなあ。

●対立する武藤組長の娘(二階堂ふみ)に異常な愛情を抱く、池上組長(堤真一

園子温監督のアマチュア時代や昔の映画撮影時に実際に起きたエピソードを基にしたコメディ。 お話自体は色んな話を詰め込みすぎた感があって、ややまとまりが悪いが、殆ど実話だという(笑)。確かに大変面白かった。園監督特有の大仰な台詞回しやオーバー気味のアクションなどの演出と荒唐無稽なストーリー(実話ベースだそうだが)のバランスが非常にマッチしていて、とても見やすい。いつもの作品と違い、マジで怖い残虐シーンとかも無かったし。

●多少ウザいが、長谷川博巳のオーバーアクションも園子温映画にマッチしてた。

●主題歌も歌っている星野源

●夫を狙った鉄砲玉を返り討ちにした組長の妻(友近
  
                                                                                         
この作品に有名俳優が数多く出演していることからわかるように、今や園監督作品には色々な俳優から出演希望のオファーが殺到していると言う。今回の國村隼は殺陣も台詞回しも実に格好良い。カンヌで新人賞をとった二階堂ふみちゃんを始めとして園子温映画で評価を高めた俳優さんは非常に多いが、『冷たい熱帯魚』で文字通りの殺人鬼を演じたでんでんや吹越満が『あまちゃん』で人畜無害な田舎のおじちゃんとして能年ちゃんと絡んでいたのは違和感があったもんなあ(笑)。今回は二階堂ふみちゃんの可愛さが十二分に炸裂していて、この点も非常に楽しかった。

●かわいいなあ、二階堂ふみちゃん。


まさにエンターテイメント、だけど。この映画の一番の特徴は、街角の映画館やフィルム撮影など滅んでいくものへの哀惜がひしひしと伝わってくるところだ。園監督は、出資リスクを軽減させるための制作委員会方式や企業とのタイアップ、それに表現の自主規制などで、映画つくりと言うものが無くなりつつある、と言っているように思える。ボクは映画作りと言うことに対しては思い入れはないけれど、このようなセンチメンタルな感情に触れるとなんとも不思議な感じがする。青春を振り返ったエレジーと言ったらよいだろうか。そして、こんな世界でも『地獄でなぜ悪い』と言い切ることができるのが何よりもすがすがしく感じるのだ。
コミカルでスプラッターでもあるんだけど、見ると優しい気持ちになれる、そんなユニークな映画だった。見て損はありません。