特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『女たちのサバイバル作戦』と映画『ウォームボディーズ』

京都地裁、えらい!
京都地裁:在特会街宣に賠償命令…人種差別と認定
●判決
http://mainichi.jp/select/news/m20131007k0000e040156000c.html
●街宣の記事
http://mainichi.jp/area/news/20130626ddf041040010000c.html

いくら在特会が日本の恥でクズでゴミ以下の存在だろうと、言論の自由の問題があるから法律で取り締まるのもどうかと思っていましたが、1200万円の賠償なら抑止効果があるでしょう。オリンピックなんかどーでもいいけど、自分と違う誰かを罵ることで自分のルサンチマンを解消しているようなクズどもこそ、オリンピックにもっともふさわしくない連中であることは間違いありません。街には一応 美観ってものがある。右翼団体一水会の代表が言っているようにhttp://www.47news.jp/47topics/e/242504.phpこいつらがいかに無能で恥ずかしい存在であるか、日本の社会としてはっきりさせたほうがいいです。人間を人種や性で差別するのは恥ずかしいことなんだよ。そういうことはアホガキどもが調子に乗る前にコンセンサスとしてはっきりさせたほうがいいです。
ダメなものはダメなんだと。

   
                                                         

先週夢中になって読んだのは上野千鶴子の新作『女たちのサバイバル作戦

男女雇用機会均等法が導入されて以降、女性たちの雇用や生活がどうなってきたか、そしてこれからどうやって生き残っていったら良いか、を纏めたもの。

男女雇用機会均等法が導入されて以降、女性にも『男なみ』に働く機会が開かれた反面、非正規雇用など女性間の格差は一層拡大していること、特に小泉などのネオリベ改革が進行するに伴い企業の労働者の使い捨てが進む中で女性たちもそれに巻き込まれてしまっていること、などが時系列で述べられています。疲弊する総合職、行き詰まる一般職、将来が見えない派遣社員。女性が正規社員になっても激務だし、低能な男どもは家事をしようとしない、結局 仕事も家事もできるスーパーウーマンしか生き残れなくなっている。

雇用機会均等法は女性にとって得だったかという問いに対して、上野はイエスでも、ノーでもある、としています。まあ、そんなことは誰にでもわかります(笑)。女性の社会進出は結構ですが、日本の多くの男のように、長時間労働社畜労働自体が間違い奴らの罠(笑)ですよ。上野はそれに加えて社会のそこかしこに女性差別が厳然として存在するのが本質的な問題だ、としています。企業の人事政策もそうだし、家庭に戻れば相変わらず女性に家事を押し付ける男たちもそうです。ボクなどは家事をやらないようなバカな男と女性が結婚しなければ問題は結構片付くのではないかと思いますが、上野によるとそれだけではシステム的な女性差別に対しては足りない、とくに育児が問題だと言っています。


この本に出ている過去の出来事の整理を読むことは忘れたことを思い出せて有益だし、すごく面白かったです。だがこの本のもっとも良いところは『じゃあ、どうしたら良いか』を真剣に考察しているところ。
社会はどうしたら良いか、企業はどうしたら良いか、個人はどうしたら良いか。
社会的制度の面では『配偶者控除と第3号被保険者制度の見直し』と『同一労働同一賃金制の徹底』を上野は提唱しています。また企業レベルでは『新卒一括採用の廃止』、『総合職と一般職などコース別職種管理の廃止』、『能力給の導入』などを挙げています。同一労働同一賃金は大賛成だが、現実的には可否は職種にもよるでしょう。特に職務定義が不明瞭なところは逆に柔軟性にも通じる日本企業の強みでもある部分です。また企業に対する方策は個別の経営環境によって大きく異なるので、上野の言っていることを全て妄信するとやばいとは思います(笑)。今どき能力給が反映されていない企業なんてあるのですかね(笑)。主旨は賛成だけど、世の中はなかなか一筋縄ではいきませんよ。


やはり関心があるのは個人はどうするか、という点です。
ここでは上野は『ひとりダイバーシティ』、『ゴー・バック・トウ・ザ・百姓ライフ』を推奨している。前回書いた『里山資本主義』にも通じる話ですが、ここで言う百姓とは農業ではなく、色々な職業を少しずつやるマルチ・ジョブのことを指しています。今後 正規社員の職が減っていくことは免れない。またムリして正規社員の職を得ても激務に追いまくられるだけ。それだったら周りの人々とつながりをもって、少しずつ色々な職業をやって生き残れ(ひとりダイバーシティ)、と言うのです。
上野に対するいつもの話として、(ボクをはじめとして)(笑)周りとつながりを持つのが不得意な人はどうすんの?というのはあります。また、この本に書いてあることを全て本気にしてマルチ・ジョブ生活に入ったらえらいことになるかもしれません(笑)。だが、今の機会不平等な自己責任社会で、こういう考えを一つの希望のオプションとして個人が持っておくのは間違いではないと思います。ただ、ボクはこの本に、ネオリベ社会にはびこる『自己責任病』にどうやって対処していくかの考えのヒントを期待したんですが、その点はちょっと物足りませんでした。自分で答えは見つけろ、ってことなんでしょうね。


上野の今回の著作も大変刺激的で、そしてシニカルに現実に向き合う本です。男も女も我が身はどうなのかという問いを匕首のように突きつけられます。ここに書いてあることに100%賛成するわけではないが、ボクはこの本は好きです。自分で自分の人生を考えるためには良い材料になる本です。




自民が東電解体を本格的に考えているようです。安倍の元側近&元マッキンゼーの塩崎までそんなことを言い出しました(喧嘩別れしたという話もあるが、安倍の筋書きを描いているのはこいつかも、とボクは思っている)。http://mainichi.jp/select/news/m20131007k0000m020029000c.html
ただ、解体の仕方は問題です。東電を救済するための解体では意味がない。銀行や株主の責任を追及して国民の負担を減らすことが大事でしょう。そういう方向へ行くかどうか、監視の目が必要です。


                               
                         
さて本題。
2年前に公開されたジョゼフ・ゴードン・レヴィットくんとセス・ローゲンが出ていた『50/50』は大好きな映画でした。
難病ものなのに全然暗くない、思い切り笑って、少しだけ泣かせ、最後には未来への希望が溢れるハートウォーミングな作品だったんです。今度、パンケーキを焼いてあげる:映画『50/50』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)

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その監督のジョナサン・レヴィンが次に作ったのが、この映画『ウォーム・ボディーズ


舞台は近未来。突如広まった病原菌により発生したゾンビの群れから逃れるため、人間は壁の中に立てこもって暮らしている。
廃墟となった空港で暮らすゾンビの青年『R』(ニコラス・ホルト)は、壁の外に物資調達に出てきた人間たちと遭遇、その中に居た美少女(テリーサ・パーマー)に一目ぼれしてしまう。

そんなお話。ゾンビ版ロミオとジュリエットという感じ。
●ゾンビの美青年『R』くん(ニコラス・ホルト


ボクはホラーもヴァイオレンスも興味ないし、基本的には嫌いです。だけど映画の冒頭、ゾンビの美青年『R』が少女に出会うと同時に、80年代に流行ったジョン・ウェイトの『ミッシング・ユー』が流れたときに、ぞくぞくっときたんです(笑)。
何てチャーミングな映画なんだろう!

●気が強くて、やんちゃな美少女(テリーサ・パーマー

                                  
この映画はミュージカルでもあり、コメディでもあり、ボーイ(ゾンビ)・ミーツ・ガールのロマンティックな青春劇でもあります。女の子と出会って恋に落ちる瞬間のワクワクする気持ち、そういう気持ちがすっごく良く表現されているんです。ボクはそういうものが世の中にあることすら、すっかり忘れてしまっていた(笑)。
映画は主にコトバを喋れないゾンビの青年Rの述懐と言う形で進行します。Rを演じるニコラス・ホルト君はトム・フォードが監督した『シングルマン』でコリン・ファース演じるゲイの主人公に口説かれる役を演じた美青年。美青年と美少女のラブストーリーなんて普通なら嫌味を感じてしまうが、美青年の彼がゾンビの死体メイクで、女の子と恋に落ちる姿はユーモラスで好感が持てます。
そんな感じでロイ・オービソンガンズ・アンド・ローゼズなどの音楽を取り入れた前半のボーイ・ミーツ・ガール、いや、ゾンビ・ミーツ・ガールのミュージカルはロマンティックで本当に良かったです。使われた曲の一つ、スプリングスティーンの『ハングリー・ハート』なんて1000回以上は聴いたことあるけれど、この映画を見て『この歌はこういう意味だったのか』と改めて再認識したほどだもの。
とにかくセンスが、いいです。



中盤から後半にかけて、このムリ筋の恋(笑)がどうなっていくか、そして、人間社会とゾンビの関係にまで、お話は発展していきます。 ゾンビの群れの中で、美少女を懸命に守ろうとするRくん。だが通常のゾンビより凶暴な骸骨ゾンビまであらわれて、二人は人間の世界を目指して逃避行に走る。だが美少女の父はゾンビをさんざん殺してきた防衛軍の隊長(ジョン・マルコヴィッチ)。Rくんは見つかったら命はない。一方 恋に落ちた二人の姿を見ていたゾンビたちにも異変が起こり始めます。
●ゾンビをいきなりぶっ殺そうとするオヤジ。どっちがゾンビなんだか。


ゾンビたちは言葉を持たない。体温もない。快感も痛さも感じない。もちろん嬉しいとか、悲しいとか、感情も持たない。
だが見ているうちに、ゾンビなのは人間ではないかと、そして映画を見ている自分ではないか、と思えてきます。自分の心を閉ざし、自分と違う誰かを罵り、差別しているのはむしろ人間ではないか。終盤 人間の街を囲む壁が崩壊するシーンを見たとき、それは確信に変わります。*ボクはこの壁に囲まれた町がイスラエルに思えて仕方ありませんでした。
                                           
観ている側の心が温かくなるチャーミングな傑作。こんな世の中だからこそ、なのかもしれません。
DEAD・BUT・CUTE!というキャッチフレーズがぴったりの、今年のベスト10に入るような作品。ボクは大好き。

●Dead・But・Cute!